04/30/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 旗振台古墳 操山山系のハイキングコースの中で主要ポイントの一つにここ旗振台古墳ー展望所ーがある。案内板によると5世紀前半に築造されたと推定される方墳で、当時の吉備国の一部を治めた豪族のな構成員が葬られたと考えられている。ここからの岡山平野、児島湾方面の眺めは素晴らしく、休憩舎は操山愛好家たちの交流と憩いの場所となっている。
04/30/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 古立石不動明王 沢田の恩徳寺の北西、操山の山裾に沿った道を岡山市街方面に向かって西に進むと、道が細くなる所左側に古い石段がある。大木の根本に立てられた岩の脇に小さい祠が祀られており、付近には、神社であったことを思わせる破壊された石が放置されている。奥には、古立石不動明王と書かれたお堂があり、摩崖仏の不動明王が彫られている。
04/29/2017 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 沢田山恩徳寺 奈良時代の天平勝宝2(750)年の創建で、のち報恩大師によって備前四十八ヶ寺の一つに加えられたという。現在の本堂は山門、大師堂、鐘楼、観禅堂などと共に明治10年に再建されたもので、天井には採色画と2m四方ほどの方位盤が描かれている。中国四十九薬師霊場八番札所、備前八薬師霊場第8番札所。
04/28/2017 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 瑞光山仏心寺 岡山平野の眺めが良い操山の中腹にある、阿弥陀如来を本尊とする天台宗の寺院。正徳4(1714)年岡山藩主池田綱政の姉(一条右大臣教輔夫人)の発願による建立と伝えられる。早春の梅、緑の中に静かに咲き誇る桜、青空の下新緑の中に咲くツツジやサツキ、秋の紅葉といつ訪れても静かに四季を楽しむことができる所。
04/28/2017 / 最終更新日時 : 05/05/2017 桃太郎 旅日記 円山ー操山山系ー 操山山系に属するピークの一つ。山頂は平らになっており南東端には、石鉄山(いしぐらやま)古墳(操山54号墳)、南面には八大龍王と書かれた石碑があり、儀式が行われていたのではと思われる平地が、そして南側の階段を降りた所には、古墳の上に円山不動尊の社が建てられている。
04/27/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 八畳岩古墳 操山山系の稜線に沿った遊歩道上にある古墳。石室を覆っていた墳丘は流出、露出した石質の岩が大きいことが古墳の名称となっている。この岩からは、かっては吉備の穴海と呼ばれる遠浅の海であった岡山平野、児島湾方面の眺望が開けており、操山山系を縦走する人達の良い休憩所となっている。
04/27/2017 / 最終更新日時 : 03/12/2020 桃太郎 史跡 金蔵山古墳 全長約165m、後円部の高さが18mの大型前方後円墳で、造山古墳、作山古墳、両宮山古墳に次ぐ県下4番目の大きさ。造られた時期は4世紀末~5世紀とされており、この時代では西日本最大の規模を誇る。1953年の発掘調査の結果、この古墳から鉄製品を始めとした多数の副葬品や、多くの各種埴輪が出土している。
04/27/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 ハイキングコース 三勲神社跡 三勲神社跡は、和気清麻呂、楠木正行、児島高徳を祀っていた旧県社跡。操山山系の西端にあり、岡山市街の眺望がすばらしい。操山散策路の一部で、春、ソメイヨシノが散り始める頃から周辺には、「コバノミツバツツジ」の花が咲き誇る。本 […]
04/26/2017 / 最終更新日時 : 03/28/2018 桃太郎 森林公園等 操山公園里山センター 操山の雑木林の丘陵地やその麓で人と自然が調和してきた里山の暮らしに親しみ、学べる施設。施設内には、操山に関わる情報、書物、展示物や、会議室・ふれあいスペース・多目的ホール、屋外には、芝生広場、炭焼広場、里山農園などがある。操山散策用のガイドマップの入手も可能なので、初心者には特にお勧め。
04/26/2017 / 最終更新日時 : 04/26/2017 桃太郎 旅日記 瓶井の井戸 操山の古名は瓶井山で、この瓶井の井戸(泉)がその名前の由来となっている。安住院が本坊であった頃の、瓶井山禅光寺の山号ともなっている。
04/26/2017 / 最終更新日時 : 04/26/2017 桃太郎 旅日記 内田百閒の墓地 安住院から多宝塔に登っていく道の途中の墓地群内にある。入口には案内板があり、「ほとんど岡山に帰らなかった百閒は、墓所のある操山の瓶井の多宝塔を、安房列車の車中から遠望していた。古京の生家からこのあたりまでよく遊びに来ていた。内田家の4代のお墓がある。」との記載が。
04/26/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 瓶井山禅光寺安住院 操山の西麓に位置する安住院は、奈良時代の天平勝宝年元(749)年に報恩大師が創建した備前四十八ヶ寺の一つとされる禅光寺の本坊。多宝塔は、岡山藩二代藩主、池田綱政が元禄年間(1688~1703)に後楽園の借景として建築に着手し、次の藩主、継政の代の寛延4(1751)年に完成したもの。
04/26/2017 / 最終更新日時 : 04/26/2017 桃太郎 仏閣ー寺院ー 普門院 かっての瓶井山禅光寺の塔頭の一つ。江戸時代には、安住院を本坊とし、十を超える塔頭があったが、安住院の他に現存するのは普門院のみとなっている。楼門右側奥の医薬門内の、江戸時代後期に建てられた本堂前の趣のある境内には赤い前垂れを架けられた一群の地蔵尊がひっそりとたたずんでいる。
04/26/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 安住院本堂 瓶井山禅光寺の総本堂であり、慶長6(1601)年に岡山城主小早川秀秋が再建したもので、素朴な外観の中に、内部は歴史の深さを感じさせる重厚な趣きで桃山時代の建築様相をよく残している。もとは東南の山腹に所在していたが、寛政12(1800)年に現位置に移築された。
04/26/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 安住院仁王門 室町時代中期の康生2(1456)年に建造された、入母屋造り、本瓦葺き、三間一戸の八脚楼門で、建築年代のはっきりしている楼門としては県下最古のものである。総朱塗りにしていることから地元では「瓶井(みかい)の赤門」と呼ばれて親しまれている。
04/26/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 安住院多宝塔 元禄年間(1688~1703)に時の藩主池田綱政が後楽園の借景として建立に着手し、次の藩主池田継政の代の寛延4(1751)年完成したと伝わる塔で、地元では”瓶井(みかい)の塔”とか”みかえりの塔”などと呼ばれ、親しまれている。
04/25/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 国富山少林寺 赤穂藩第2代藩主池田輝興の菩提寺。輝興が岡山で病没したため、赤穂の長松山盛岩寺をこの地に移し国富山少林寺とし、法隣和尚を開祖として開山。境内には岡山藩筆頭家老・伊木田忠澄公(三猿斎)の墓所と操山を借景とする遠州流の庭園があり、三猿堂が設けられている。
04/25/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 幡多廃寺塔跡 県下最大の塔心礎といわれ、白鳳時代後半(7世紀後半)に創建され、平安時代末(11世紀頃)までに廃寺になったと見られる伽藍後に残っている。古代吉備の豪族、上道氏の氏寺の一つと推測され、最盛期の寺院の様相は奈良の都のそれに遜色ないと推定されている。
04/25/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 最明院 最明院は浄土寺の境内にあったと伝えられている。その由来は鎌倉幕府、執権北條時頼が職を退き最明寺に閑居したが、諸国を行脚した時「見明院」と呼ばれていたこの院に立ち寄ったことから最明寺入道時頼公の名に因みこの院を”最明院”と呼ぶようになった。
04/25/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 史跡関白屋敷跡 平安末期に平清盛により備前に流された関白藤原基房の配所跡。基房は関白藤原忠通の二男として生れ、承安2(1172)年関白となるも、兄基実の遺領相続をめぐって清盛と対立、後白河法皇の後楯を得て反平家政策をとった為、清盛の怒りをかい治承3(1176)年に湯迫に流された。
04/24/2017 / 最終更新日時 : 02/28/2018 桃太郎 ホテル・旅館 湯迫温泉白雲閣 平安時代からの歴史を誇る温泉。輸出が禁止となり、今では珍しくなった台湾産大理石を湯船に使用した100人が一度に入れる台湾大岩風呂、その石組と広さは見事なもの。また、20名のプロによる舞踊ショーも毎日開催されており思い出の […]
04/24/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 重源上人遺跡 備前国府大湯屋址 湯迫山浄土寺の一角に現在も使われている温泉の源泉がある。この源泉の周囲には、鎌倉時代初期に東大寺の再建のために備前国に赴いていた俊乗坊重源が、庶民の施療のために設けたといわれる大湯屋の跡があり、この一帯からは、「東大寺」と刻印された瓦が発見されている。
04/24/2017 / 最終更新日時 : 04/24/2017 桃太郎 旅日記 伊木氏玄蕃頭幸賢之墓 伊木家岡山藩家老三万石、伊木玄蕃頭幸賢、分家伊木日向の二代目、寛永19年12月8日跡目相続をし番頭-五千石ーをおおせつかる。延宝2年11月26日病死(43才)、主家池田家の安泰を願って岡山城の鬼門にあたる竜の口山麓湯迫の地に埋葬されたと言い伝えられている。
04/24/2017 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 花の見所ー桜以外ー 延寿の椿ー湯迫山浄土寺ー 天明年間、浄土寺の客殿・庫裡が再建された頃植えられたと伝わる。紅白のめでたい寄植椿で、延寿の椿の由来は鎌倉初期に奈良東大寺再建の大勧進として活躍された俊乗坊重源上人の延寿と椿の長寿とを相結び元岡山市長橋本富三郎翁が延寿の椿と命名された。
04/24/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 湯迫日吉神社 天台宗の湯迫山浄土寺の境内に西に向かって祀られている旧湯迫村の氏神様。ここに祀られた年代は不明であるが、比叡山延暦寺とその鎮護神として祀られた日吉神社の関係に見られるように、浄土寺の鎮護神として祀られたのが始まりと思われる。明治時代になって神仏分離令により分離。
04/24/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 湯迫山浄土寺 奈良時代の天平勝宝元(749)年、報恩大師が備前国に創立した四十八ヶ寺の内の一つで、東大寺の再建を命じられた僧 重源が、東大寺の修理料国として与えられた備前国において、国務のかたわら浄土教を広めた寺の一つとして知られている。重源が庶民施療のために設けた大湯屋跡があり、一帯からは「東大寺」の刻印のある瓦が発見されている。
04/22/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 賞田廃寺跡 竜の口山南山麓に建立された、備前地域では最古の寺院跡。白鳳時代に創建され、鎌倉時代前期(13世紀)にかけての存続が判明しているが、最盛期は奈良時代後半で、主要堂塔が整備された壇上積基壇の遺構も出土している。当地を掌握していた上道氏の氏寺の一つと想定されている。
04/21/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 市町村指定重要文化財 比丘尼妙善題目石 この法華題目石は、大覚大僧正が備中福山合戦の戦死者を供養した場所に、後の応永18(1411)年妙善尼が大僧正の聖跡を弔うために、自筆で主題の文字を書いて建てたと思われるもの。西辛川の妙善寺にあったが寛文7(1667)年に同寺が廃寺になった為、藩主の命によってここ大光院に移されている。
04/20/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県指定重要文化財 康永四年法華題目石 大光院にある「南無妙法蓮華経」と題目を刻んだ、康永4(1345)年の銘がある日蓮宗の題目石。銘文は大覚大僧正自筆のものとされ、旧津高郡一宮村(現岡山市)西辛川の妙善寺にまつられていたが、寛文年間(1661~1672)岡山藩の寺社整理にあって、この大光院に移された。
04/20/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大光院の法華題目石 曹源寺の塔頭の一つである大光院には「南無妙法蓮華経」の題目を刻んだ笠塔婆が二基ある。髭題目が刻まれた日蓮宗独特の石塔で、題目石と呼ばれている。共に年銘をもち、康永4(1345)年と応永18(1411)年の製作年代が知られている。
04/20/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 石高神社 操山の南側、操山山系から突き出した小高い丘の上にある氏神様。岡山県神社庁のホームページによると、備前の式内、式外古社128社の内の1社で、現在位置から北東部、操山山系の一つ高倉山にあった石高神社と西方の嶽岩坪にあった八幡宮を天和3(1683)年に合祀したとか。
04/19/2017 / 最終更新日時 : 03/12/2018 桃太郎 主な庭園 曹源寺庭園 岡山藩池田家菩提寺曹源寺の表書院の東側に設けられた池泉回遊式庭園。山裾に設けられた心字池の背景に枯山水の石組を造り、書院と池との間には砂敷を広げて海景を表している。2代藩主池田綱政が絶外和尚を開山に迎え、津田永忠と共に造らせたものと伝えられている。
04/19/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 曹源寺仏殿ー本堂ー 岡山藩2代藩主池田綱政が、高祖父信輝と父光政の菩提を弔い、自らの冥福を祈るため、家臣の上阪外記に命じて建立させた池田家の菩提寺。元禄11年に竣工。この仏殿は文政7(1824)年の再建で、重層入母屋造、本瓦葺、正面25m、側面19m、高さ20m、木造建築物としては県下で最大規模の建物である。
04/19/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 岡山藩主池田家墓所ー曹源寺ー 岡山藩主池田家の墓所は、池田光政が津田永忠に命じて、造営した和意谷墓所と、その子綱政が同じく津田永忠に命じて造営した曹源寺(正覚谷墓所)の二ヶ所にある。和意谷墓所は儒教の影響を受けた墓所で、曹源寺墓所は仏教(禅宗)の影響を受けた墓所である。
04/19/2017 / 最終更新日時 : 11/05/2021 桃太郎 主な庭園 護国山曹源寺 岡山藩第2代藩主・池田綱政が、高祖父の信輝と父・光政の菩提を弔い、また自らの冥福を祈るために、江戸時代中期の元禄11年に創建した西日本屈指の臨済宗の寺院。書院の東に、山を背景にして心字池を配し、山畔の中ほどには枯山水の石組みを造り、書院と池との間に砂敷を広げて海景を表している。
04/17/2017 / 最終更新日時 : 04/17/2017 桃太郎 史跡 百間川遺跡群 百間川遺跡は、旭川の氾濫から岡山城下を守るために造られた放水路、「百間川」流域の微高地とその周辺で発見された弥生・古墳時代の遺跡群。流域には、原尾島、沢田、兼基、今谷、米田などの各遺跡が点在しており、微高地からは、竪穴住居、墓などがまた、微高地周囲の低地からは水田跡が発見されている。
04/17/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 備前国総社宮 かって国司はそれぞれの国で国内のすべての神社を一宮から順に参拝していた。平安時代になって、この参拝を効率化するため各国の国府近くに国内の神を合祀する為に設けられたのが総社。ここは、備前国府の北西に位置し備前国内にあった神社128社の祭神を集めたものと伝わっている。
04/16/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 祇園大樋 この祇園大樋で分水された水が、ここから下流の旭川東部(左岸)の広大な平野をうるおしている。その築造が、元禄年間に津田永忠が、沖新田を開発した時、灌漑用水の確保をはかるためになされたことを知るにつけ、改めて津田永忠の偉大さについて考えさされる。
04/15/2017 / 最終更新日時 : 04/15/2017 桃太郎 旅日記 量水堰堤 豊かできれいな水を供給する森林の研究。園内にある量水堰堤は、森林から流れ出る水量を測定する施設。森林の変化や取扱が河川の流量にどのような変化を及ぼすかを研究するために昭和11年に設置され、昭和12年から80年にわたり流量観測が続けられている。
04/15/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 森林公園等 龍之口グリーンシャワーの森 岡山市の北東部に位置し、山頂からは岡山市街、遠くは児島半島や瀬戸内海まで見渡すことができる。自然の観察、自然探勝の場として風致探勝林に指定され、多くの市民の散策の場として親しまれている。また、北側の峰には、戦国時代の城跡があり、現在は八幡宮が祀られている。
04/15/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 城跡 龍之口八幡宮 龍之口八幡宮創建の年代は明確ではないが、奈良時代の天平勝宝年間と伝えられている。江戸時代には岡山藩主池田家の崇敬を得て社領十五石を受けていた。最近は受験の神様として県下全域は勿論、近県の受験者からも崇敬されている。本殿後ろからの眺望が素晴らしい。
04/14/2017 / 最終更新日時 : 02/28/2018 桃太郎 ホテル・旅館 岡山国際ホテル 岡山市街の東に横たわる東山の中腹に建つ、岡山国際ホテルからの緑に囲まれた岡山市街の眺め、また、夜景の素晴らしさは格別。近くには、新緑や紅葉の美しい臨済宗の禅寺松琴寺もあり朝の散歩に最適。また、ゴルフの好きな方は、すぐ近くにゴルフの練習場も。
04/14/2017 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 グルメ 青龍山松琴寺 松琴寺は貞和年中無柳一参禅師が創建した禅院で、本尊は観世音菩薩である。戦国の乱世に法脈中絶のときもあったが池田光政の慶安年間に再興して一山のうちに陶後庵、指月庵、単伝庵、庭樹庵などが営まれ、岡山城下にほどちかい閑寂な山上に文人墨客も好んで訪ずれる浄地として栄えた。
04/11/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 岡山県ゆかりの人 小川郷太郎博士像 明治9年に当時の里庄村新庄に生れ、東京帝大法科大学政治学科を卒業、大蔵省に入省。明治33年に京都帝大に迎えられ助教授、教授を経て経済学部長にまでなる。その後大正6年衆議院議員に当選、商工大臣、鉄道大臣、大政翼賛会総務、ビルマの軍政最高顧問などを歴任。昭和20年4月歿。
04/11/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 岡山県ゆかりの人 仁科芳雄博士像 里庄町浜中に生れ、東大工学部電気工学科を卒業、クライン仁科の公式の導出、サイクロトロンの建設、宇宙線の研究など、わが国原子物理学発展の基礎を築築いた。太平洋戦争後理化学研究所所長、日本学術会議副会長として科学技術の復興に盡した。1951年歿、61歳。
04/11/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 里庄町歴史民俗資料館 里庄町の長い歴史の中で使われてきた民具や、生活を支えた麦稈真田、大原焼を主として陳列。特に、里庄の産業であった大原焼(こたつ・ほうろく・かまど・火鉢等)を収蔵・展示するとともに保存につとめている。資料館の前にある像、仁科芳雄、小川郷太郎両博士に関する資料も展示している。
04/10/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 仁科会館 わが国原子物理学の父ともいわれる仁科芳雄博士の偉業を顕彰すると共に次代を担う人たちの科学教育施設で、ここでは、博士の遺品類に接することができ、展示機材を通じ好奇心を養うことが出来る。
04/10/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 歴史的建造物 仁科芳雄博士生家 ノーベル物理学賞受賞の湯川・朝永両博士を指導、日本の物理学の基礎を築き、戦後初めての文化勲章を受章した仁科芳雄博士が幼・少年時代を過ごした生家。松などの老木、白土壁に囲まれた風格ある佇まいから、仁科芳雄博士が過した在りし日をしのぶことが出来る。
04/10/2017 / 最終更新日時 : 11/09/2017 桃太郎 旅日記 浅口市ー金光町ー 浅口市の北東部に位置し、北は矢掛町と霊峰遥照山を持って接している。町の中央部を東西に流れる里見川に沿って山陽本線が通り、JR金光駅南に位置する金光教本部を中心に市街地を形成、参拝者は約50万人にのぼる。植木の産地としても知られている。
04/10/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 天然記念物 安倉八幡のくすの木 樹齢600年、岡山県内のくすの木では最も大きいといわれている。干拓により現在は海岸から離れた所となっているが、約160年前はこの付近は海岸で安倉八幡神社の参道の入口にあたり、神木として大切にされてきた。浅口市の天然記念物に指定されている。
04/10/2017 / 最終更新日時 : 11/23/2017 桃太郎 旅日記 浅口市ー寄島町ー 寄島は、山裾が海に沈む狭い砂浜に続く浅い砂浜の先にある島の名であった。この浅い海に着目し、狭い砂浜を広げるため江戸時代に陸側から干拓工事が進んだ。その後も、昭和50年代になって、県営の農業干拓として、現在の寄島干拓地の干拓がなされ、寄島が陸続きとなった。
04/08/2017 / 最終更新日時 : 11/09/2017 桃太郎 旅日記 浅口市ー鴨方町ー 北に瀬戸内海方面の展望に優れた、遥照山、竹林寺山を控え、中央を山陽自動車道が東西に貫き、鴨方ICでアクセスすることができる。また、町の中心付近で羽を広げたように横たわる鴨山の麓には、備中鴨方藩の中心地、鴨方往来で栄えた街並みの一部が「かもがた町家公園」として復元されている。
04/08/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国立公園 寄島・青佐山・御嶽山 水島灘の北西部に位置し、御嶽山、青佐山、寄島などからなる地域で、昭和25年に瀬戸内海国立公園に指定されている。それぞれの山の山頂や中腹からは、塩飽諸島、笠岡諸島を中心とした瀬戸内海の景観を楽しむことができる。
04/08/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 国立公園 御嶽山 水島灘の北西部に位置し、寄島、青佐山と共に瀬戸尚海国立公園に属する。霊山として古くから地元の人々に親しまれており、頂上への歩道沿いには現在も33体霊場が残っている。山頂および幻虹台からの眺望がすばらしく、塩飽・笠岡諸島の多島美を一望できる瀬戸内海有数の展望地となっている。
04/08/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国立公園 青佐山 寄島町の西方に位置する山で、御嶽山、寄島とともに瀬戸内海国立公園に指定されている。山頂(標高249m)付近には安倍晴明が築城(伝説)し、後に細川通薫が改修したと伝わる青佐山城の城跡がある。第一展望台からは笠岡諸島を一望することができる。
04/08/2017 / 最終更新日時 : 04/08/2017 桃太郎 旅日記 寄島園地 瀬戸内海国立公園に属し、笠岡諸島や塩飽諸島など瀬戸内海の多島美を眺めることができる自然豊かな丘で、南側に1kmに渡って伸びる海岸線では、海水浴やキャンプ、釣りを楽しむことができる。現在は干拓により陸続きとなっているが、寄島園地は元々寄島と呼ばれる瀬戸内海に浮かぶ島であった。
04/07/2017 / 最終更新日時 : 02/25/2018 桃太郎 海水浴場 青佐鼻海岸 青佐山の山裾が瀬戸内海に沈むところにある海岸で、瀬戸内海国立公園の一部を構成している。沖には、寄島園地、三っつの小島が並んだ三郎島ー別名三ツ山ー、そして笠岡諸島などが眺められ、瀬戸内海の多島美を楽しむことができる。また、海水浴シーズンには子供連れの家族をはじめ多くの人々で賑わう。
04/07/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 岡山県の島 三郎島 三郎島は、青佐鼻海岸の南方、三郎島海水浴場の西南部沖合いに三っつ並んで浮かぶ島で別名三ツ山とも呼ばれている。この三っつの島は、粗粒花こう岩からなり、高さ各10m、長さ15m、相互に約6mの間隔をおいて規則正しく並んでいる。干潮時にはこれらの島へ陸地側から歩いていくことができる。
04/07/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 青佐山御台場展望台 青佐山の東側中腹に、文久3年鴨方藩が海防のために築いた台場跡がある。この台場跡付近の展望台からは、塩飽諸島や笠岡諸島の多島美が楽しめるほか、瀬戸大橋がほぼ真横から展望できる。砲車は、明治4年の廃藩置県とともに廃棄され、石塁砲門を据えた跡のくぼ地が残されているだけである。
04/05/2017 / 最終更新日時 : 02/25/2018 桃太郎 海水浴場 沙美海水浴場 沙美海岸は、日本で初めて海水浴場として施設が開設された所で、海水浴による療養施設の為の仮小屋が建設され、海水浴場としての第一歩を踏み出した。その後、明治15年に本格的な施設が建設され、白砂青松の素晴しい海水浴場になり、岡山県を代表する夏のリゾート地として親しまれている。
04/04/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 岡山天文博物館 国立天文台の施設の構造と機能及び研究について紹介するとともに、一般的な天文知識の普及を目的とした模型・写真・パネルが展示してある。プラネタリウムで星座や天体の動きを学び15センチと8センチの屈折望遠鏡で、太陽の焦点及びプ […]
04/04/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 天文台・プラネタリウム 竹林寺山天文台 岡山天体物理観測所には、日本最大級の188cm反射望遠鏡、世界最大級の65cmクーデ型太陽望遠鏡等を備えており、天文学研究者により、休みなく観測や研究が進められている。188cm反射望遠鏡とドームの見学ができる。ただし、 […]
04/04/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 天文台・プラネタリウム 竹林寺山 標高366m。瀬戸内海沿岸地域にあるため、年間を通じて湿度が低く、快晴の日が多く、山頂がなだらかで風速が小さくしかも地上の明かりの影響が少ないなど天体観測に適していることから、国立天文台 岡山天体物理観測所が建設されている。
04/03/2017 / 最終更新日時 : 04/03/2017 桃太郎 展望の良い所 遥照山 天文台で有名な竹林寺山の東隣に、はるか四国から瀬戸内海の塩飽諸島・笠岡諸島から高梁川の河口方面や水島工業地帯を眼下に見渡すことのできる遥照山がある。山頂は、いくつかの峰を持つ台地状で遥照山総合公園、両面薬師、遥照山温泉、キャンプ場、数カ所の展望台などがある。
04/01/2017 / 最終更新日時 : 01/10/2020 桃太郎 神社 日月水火神社 遥照山に行っていつも思うのが、何とも不思議な名前の神社です。日月火水木金土と並んでいるのかと思えば、そうでもなく、火と水が逆の順序に、またその読み方も「ひつききびじんじゃ」。同じ境内には、観音様や龍神様も祀られています。
04/01/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 両面薬師堂ー遥照山ー ここ遥照山山頂近くに祀られている仏様は、本尊の石像が南面と北面の両方に彫刻した、二仏一体の珍しい像で「両面薬師」と呼ばれている。南面は、薬師如来、北面は釈迦如来で、堂も南北両方から拝むことができるようになっている。平安初期、慈覚大師による開山と伝えられている。
04/01/2017 / 最終更新日時 : 03/04/2018 桃太郎 温泉 遥照山温泉 吉備津命が鬼退治にやって来た時、鬼がこの温泉で矢傷を治したと伝わる温泉。天然のラドン温泉として古くから湯治に利用されてきた。コイン式の冷泉スタンドがあり飲料水として持ち帰ることも可能。近くにある、遥照山総合公園からの眺めも素晴らしく、日帰りの休養には最適。