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たびおか-旅岡山・吉備の国-とは

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岡山県は、海に面しているにもかかわらず東西南北が山に囲まれると言う、世界でも珍しい瀬戸内地方の独特の地形と気候に恵まれており、古くは吉備の国として、大和、出雲、北九州に並ぶ強い国として栄えていたことが知られています。

その痕跡は、日本で四番目の大きさと言われる、造山古墳や最近報道された、卑弥呼の鏡「三角縁神獣鏡」に関する古文書発見のニュース、桃太郎伝説の吉備津神社とその周辺の吉備路など数多く見られます。

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繁栄の原因としては、瀬戸内地方独特の地形が、台風や降雪、降雨量の少ないにも拘らず水に恵まれた温暖な気候とし、果物をはじめ新鮮な農水産物豊かな地域を育み、海路・陸路に恵まれ東西交通の要衝であったことが多くの人々の交流を生み地域産業や文化を発展させてきたことにあるのではないでしょうか。

もう一つ、県内には大きな活断層もなく、南部の干拓地を除くと地盤も固く地震に強いと言われている地域が多いことも理由として上げる事が出来ると想います。

たびおか-旅岡山・吉備の国-は、このような岡山に生まれ育った、岡山大好きな私が岡山再発見をしながらの旅の記録です。

岡山県の、南の瀬戸内海には、塩飽諸島と呼ばれる戦国時代には水軍の活躍した島々が浮かんでおり、金甲山、貝殻山、十禅寺山など児島半島の山々、鷲羽山や笠岡市の東部にある御岳山などが、これら塩飽諸島を眺める絶好のポイントとして瀬戸内海国立公園に指定されています。

それぞれの島に立ち寄って島内を歩くと、本土側から見るのとは別の視点で周囲を眺める事ができるのも面白い。
島は、容易に一周する事が出来、一日の内にその島の東西南北様々の位置から海を眺めることが出来るのです。
その位置によって、日の出、日の入り、逆光の瀬戸内海、順光の瀬戸内海など海の違った顔を知ることが出来るのです。

また、児島半島はかっては、瀬戸内海に浮かぶ児島で本土との間には、吉備の穴海と呼ばれる遠浅の海が広がっていました。
古代、中国山地は砂鉄の産地として知られ、たたら製鉄が盛んで多くの土砂が高梁川、旭川、吉井川によって運ばれたのもこの遠浅の海を造る原因となったともいわれています。

戦国時代末期以降この遠浅の海は、宇喜多秀家にはじまり、江戸時代の津田永忠、明治以降は藤田伝三郎らによる干拓事業によって徐々に陸地化され今は、児島湖と児島湾を残すのみとなっています。
児島半島の金甲山、三頂山からはこの干拓によって生み出された広大な岡山平野とその後ろに控える吉備高原の丘陵群を眺める事が出来ます。

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吉備高原の広がりを見渡すには、高梁市の南西広島県境に位置する標高654mの弥高山がお勧め。
山頂からは360度のパノラマが開け、標高400mから600mの吉備高原と、はるか北には東西に連なる標高1,000mから1,300mの中国山地、そしてきれいに晴れた日には南の瀬戸内海の島々や四国の山並みまでを眺める事が出来ます。

若い時には大山や蒜山、石鎚山、遠くは北アルプスの山歩きも楽しんだ私ですが、意外に面白くこの10年程楽しんでいるのが岡山県南部の里山散策です。岡山市街地の東にあり、岡山後楽園の借景にもなっている操山丘陵、かって吉備の国の中心に位置し人々から崇められた吉備の中山、桃太郎伝説の鬼(温羅)が住んでいたとされる鬼の城、南北朝初期の延元元(1336)年足利軍と新田軍が死闘を繰り返した備中福山合戦の舞台福山城跡のある福山(標高302m)など、史跡に恵まれ眺望の優れた丘陵が数多くあります。

これらの里山散策は、健康作りにも役立ちますし山で出会う人たちとの交流も楽しめます。
また、歩みを進めるに従って周囲の林の様子や、林の間から時々見える遠景も様々に変わっていきます。
冬は寒いと外出は敬遠し勝ちですが、少し歩けばすぐに温まるし木立ちに囲まれた山の中は風も気になりません。

たびおかー旅岡山ーはこの様に楽しみながら歩いた、またこれからも歩く県内各地を記録としてまとめていっているものです。

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