安養寺ー三浦家菩提寺ー

安養寺山門

安養寺山門

勝山の町並み保存地区から、三浦坂の一本南を出雲街道に沿って左に曲がり、細い坂道を上がると三浦氏が、太鼓山南麓の台地上に造った武家屋敷、旦地区に出る。左手に最初に目にするのが勝山藩主三浦家の菩提寺安養寺の山門。

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名称  浄土宗 安養寺ー三浦家菩提寺ー
所在地  〒717-0013 真庭市勝山727
TEL  0867-44-2284
宗派  浄土宗
創建 長承年間(1132~1134)、天台宗僧・観覚得業上人
概要  当山は長承年間(1132~1134)天台宗僧・観覚得業上人(法然上人の叔父・生母
秦氏君の弟)が創建の寺院である。

その後中絶し数百年の時を経て本宗祖八代の法孫・覚誉浄隆(築後の僧)西国弘教の
際にこの地に来て浄土宗を広める。

時に慶長10年(1605)5月、美作の太守森中将忠政公の長臣・高田の庄を治める城代
大塚丹後守の帰依信仰によって再興し寺檀転宗して浄土宗となる。

明和元年(1764)6月21日、西尾城主の三浦志摩守明次が美作国高田へ所替となり、
安永2年(1773)三浦家菩提寺となる。

境内地六畝十八歩門外制札寺録十五俵を賜る。

安永9年(1780)4月2日真夜中出火し本尊像を運び出すだけで講堂・鐘楼等全焼する。

記録物も焼失の為定かではないが本尊阿弥陀如来像は恵心僧都作と伝わる。

文化11年(1814)8月16世暢誉上人が現本堂を再建する。

よって勝山城主三浦氏大旦那となり堂内には二万三千石三浦家のお霊屋が有り霊園高台
には墓所があり、名実ともに当時は勝山はもとより美作一円の名刹の一寺院として名を
轟かしていた。

明治維新・廃藩置県とともに大旦那の三浦家が神徒となり、その家臣も職を失い勝山を
離れることが多くなっていく。

明治・大正そして昭和と困窮した時代を経て現在に至る。

・・・余談・・勝山藩の家臣であった江戸詰鳩山家子孫である鳩山由紀夫、邦夫両氏が
平成8年突然来寺し先祖の前で民主党立ち上げを誓った。

三浦家の墓は五代から十代まで有り。

現住職空誉正文は第二十一世(現地案内板)

交通  JR姫新線中国勝山駅より徒歩約20分、

中国自動車道落合ICより車約30分、

米子自動車道久世ICより車約20分

駐車場  城内・中町等、観光駐車場の利用をお勧め

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