木下利玄生家

木下利玄生家

木下利玄生家

旧侍屋敷から近水園に行く途中、利玄通りに入ると左側の広い空地(足守陣屋跡)に続いて利玄生家の長屋門が見えてくる。利玄生家は週末と祝日など限定された日にしか公開されないが嘉永年間に建てられた時の様相が良好に残されている。

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名称 岡山県指定史跡 木下利玄生家(きのしたりげんせいか) 昭和34年3月27日指定
所在地  〒701-1463 岡山市北区足守801
TEL  ー
木下利玄  木下利玄(1886~1925)は5歳のとき、伯父木下利恭(旧足守藩主・子爵)の養嗣子
となる。

13歳のときから佐々木信綱に師事し和歌を学ぶ。

雑誌「白樺」の同人となり、アララギ派の作風にも親しんだが、やがて国語的発想による
独自の”利玄調”を確立して形式主義打破につとめた。東京帝国大学国文学科卒業。

大正14年2月15日鎌倉に病没、40歳。墓は足守の大光寺にある。(現地案内板を参考)

利玄生家 利玄の生家であるこの建物は足守藩陣屋の中枢部で藩の政治の場であり、藩主の生活の場
でもあった殿舎の一部にあたる。

江戸末期に描かれたとみられる絵図には、この建物が陣屋内に増築された様子が記されて
おり、修理の際に発見された棟札から嘉永5(1852)年に建てられたことが明らかになった。

この建物は木造平屋およそ百坪の広さがあり、屋根は寄棟造り桟瓦葺で足守に多く見
られる桟瓦ー瓦の鎬(しのぎ)が通常とは逆向きーで葺かれている。

一部に間取りの変更などもみられるが、建築当時の様相が良好に残されている。

陣屋の建物は明治4(1871)年の廃藩置県後は、利玄生家を残して県庁となり、その後は学校に転用された。

また生家の前に建つ長屋門は明治末頃に旧藩士である禰屋(ねや)家の屋敷から移築された
もので、かっては木下家に伝わる資料が保管されていた。

初代藩主の木下家定は豊臣秀吉の妻である高台院(おね)の兄にあたり、秀吉の関白叙任状
などの貴重な文書が土蔵から発見された。平成23年 岡山市(現地案内板)

料金  無料
開園時間  9:30~16:30
休園日  4月~11月ー月曜日~木曜日(祝日を除く)に閉園、金曜日~日曜日、祝日に開園。

12月~3月ー月曜日~土曜日に閉園、日曜日のみ開園

交通  JR岡山駅より大井行バス約45分、足守郵便局前下車徒歩約5分、

岡山自動車道岡山総社ICより車約10分

駐車場   普通車20台、バス3台(足守観光駐車場、無料)

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