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倉敷地区郊外

倉敷地区の郊外には、吉備の国であった時代の古墳などの史跡が数多く残る庄地区、平安時代末期の源平藤戸合戦の史跡が残る藤戸地区、羽柴秀吉による高松城水攻めの際毛利軍の「境目七城」の一つであった松島城のあった松島地区、「源平盛衰記」に鹿ヶ谷事件で備前国に流された藤原成親が出家したという安養寺のある浅原地区など魅力ある地区が多い。

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狛犬・鳥居ー鯉喰神社ー

狛犬・鳥居

鯉喰神社

矢喰神社から鯉喰神社まで血吸川と足守川沿いに歩いてみた、約40分。庚申山、吉備の中山、日差山、、造山古墳、鬼城山、竜王山などを周囲に眺め、吉備津彦命と温羅の戦いや備中高松城水攻めなどを想像しながら歩くのも楽しいものだ。

王墓の丘史跡公園

王墓の丘史跡公園

王墓の丘史跡公園

倉敷市の東端、足守川右岸の小高い丘に沿って大きな団地がある。この庄新町団地のある丘が王墓山丘陵で、楯築遺跡・王墓山古墳・日畑廃寺などの史跡のほか、総数60基にものぼる古墳が残されており、王墓の丘史跡公園として整備されている。

楯築遺跡

楯築遺跡

楯築遺跡

吉備津神社の西方、足守川の西岸の丘の上に築かれた弥生時代末期の墳丘墓。石の楯の様なものが円形に並んでいる事から、吉備津彦の命が、鬼ノ城の温羅退治をするにあたって、この丘に防衛のための石の楯を築いたという伝説もある。

王墓山地区ー王墓の丘史跡公園ー

王墓山地区

王墓山地区ー王墓山古墳ー

倉敷市の東端、足守川の右岸、庄新町団地のある小高い丘の南部に位置する古墳群が、王墓の丘史跡公園王墓山地区。北端にある王墓山古墳を主として四つの古墳群からなっており、公園内には現在25基の古墳が残されている。

赤井堂地区ー王墓の丘史跡公園ー

赤井堂地区

赤井堂地区ー日畑廃寺ー

庄新町の団地のある王墓山の北東側に、古くからの吉備の国の農村の雰囲気をそのまま残した日畑集落がある。そして王墓山の北東麓、集落との間には広大な寺院跡が残されている。王墓山古墳を造った子孫たちの建立した寺院跡といわれている。

鷹ノ巣城跡

鷹ノ巣城跡

鷹ノ巣城跡

羽柴秀吉の備中高松城水攻めに対し、小早川隆景が陣を構えたと言われる鷹ノ巣城跡からの眺望は本当に素晴らしい。備中高松城水攻め関係地全域、吉備の国の中心部、吉備の中山から総社方面にかけての吉備路全体を眺めるのにも最適。

源平藤戸合戦記念碑

源平藤戸合戦記念碑

源平藤戸合戦記念碑

源平藤戸合戦が行われた倉敷市藤戸の藤戸寺横、県道22号線沿いに、源平藤戸合戦から八百年になったのを記念した記念碑が建てられており、脇には源平藤戸合戦略記が刻まれている。付近のゆかりの地を訪ね併せてその地の写真を掲載する。

藤戸寺

藤戸寺

藤戸寺

毎年6月の中旬頃、平家物語の冒頭に出てくる沙羅双樹の花の開花が報道される藤戸寺。佐々木盛綱が源平藤戸合戦の戦没者と、盛綱に浅瀬の場所を教えたが口封じの為殺害された漁夫の霊を弔った寺、としても知られており訪れる人も多い。

佐々木盛綱像

佐々木盛綱像

佐々木盛綱像

藤戸寺の眼下に、倉敷川に架かる盛綱橋が見える。この辺りはかっては海で児島に陣取る平氏を攻めるのに、源氏の武将佐々木盛綱は、漁夫から浅瀬の場所を聞き騎馬で藤戸海峡を渡って先陣をとげた。その時の雄姿を銅像にし架橋記念としている。

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経ヶ島

経ヶ島

経ヶ島

藤戸寺から倉敷川の向こうに小さな森が見える。かってこの付近は海で対岸の森も瀬戸に浮かぶ小さな島であった。この島は、佐々木盛綱が浅瀬を聞き出しその秘密を守るために殺した漁師の追悼の写経を埋めたので経ヶ島と呼ばれている。

乗り出し岩ー源平藤戸合戦・佐々木盛綱ー

乗り出し岩

乗り出し岩

県道倉敷・玉野線(22号線)山陽ハイツへの入口より少し倉敷寄りの道路脇にある単なる石。歴史を知れば、この石の意味やこの付近の地形に興味が湧いてくる。佐々木盛綱が対岸児島の平家打倒の為、馬で漁師に教わった浅瀬に乗り出した岩。

先陣庵

先陣庵

先陣庵

先陣庵からは、源平合戦藤戸古戦場を眺めることができる。前方の山の上には、くらしき山陽ハイツがあり、その山裾付近には佐々木盛綱が海の中に馬を進めたと言われる乗り出し岩もある。山陽ハイツの展望大浴場からの古戦場の眺めも素晴しい。

平家本陣跡ー源平藤戸合戦ー

平家本陣跡

平家本陣跡

平家本陣跡は小高い丘の上にあるので周囲の様子が良くわかる。それにしても、源氏の武将佐々木盛綱が海に馬を乗り入れたという乗り出し岩から、平家方の陣に最初に乗り込んだといわれる先陣庵との間は結構長い距離である。

法輪寺本堂ー源氏本陣・源平藤戸合戦ー

法輪寺本堂

源氏本陣跡

源平藤戸合戦の戦跡を巡っていて、佐々木盛綱と漁師の話、そして盛綱の先陣までの戦跡が表に出て戦全体の大勢を見る事に気が付いたのは平家の本陣跡を見た時。源氏の本陣は何処なんだろうと思い調べて行き当たったのがこの法輪寺。

笹無山

笹無山

笹無山

平家の陣を攻める浅瀬を教えたにもかかわらず、佐々木盛綱に息子を殺害された母親は佐々木と聞けば笹まで憎いとこの山に生えていた笹を抜いてしまった。その後この山に笹が繁ることはなかったと伝わる。怨念は800年後の今も続いている。

御崎神社

御崎神社

御崎神社

今に「源平藤戸合戦」として伝わる平氏との戦に備えて、源氏の武将、佐々木盛綱が出陣前戦勝を祈った神社。高坪山の山頂にあったのを戦後、盛綱が現在地に移したと言われている。

鞭木跡

鞭木跡

鞭木跡

今は住宅地でこの地が浅い海の底であった事など想像出来ない。ブラタモリで土地の起伏からその地の歴史を確認しているが、源平藤戸合戦のあったこの地を訪問し乗り出し岩から先陣庵に至る浅瀬の位置と史跡との関係を確認出来れば面白い。

蘇良井戸ー源平藤戸合戦ー

蘇良井戸

蘇良井戸

高坪山の麓、御崎神社横の車1台がやっと通れる細い道をさらに奥に入った集落内にある井戸で、高坪山一帯に布陣した源氏の軍が使用したと言われる蘇良井戸。車が通れる道からさらに少し山に向けて上に登った所にある。

お茶屋跡ー天城陣屋跡ー

お茶屋跡

天城陣屋跡

天城陣屋跡は、今は天城中学校・高等学校のグランドとなっており、校門の北から道を隔てて反対側の同校グランドに上った所、学校を見下ろす高台の上に石碑が建てられている。学校の向こう側には天城池田家墓地のある丘陵も見える。

池田家墓所

池田家墓所

天城池田家墓所

天城池田家12代の墓所は、天城中・高校の南西にあるお櫻山という丘にある。天城高校の運動場の南、遍照院の裏に参道入口が設けられている。参道からは天城高校の校庭の向こうの丘の上天城高校のサブグランド横に天城陣屋跡が見える。

くらしき山陽ハイツ

くらしき山陽ハイツ

くらしき山陽ハイツ

倉敷美観地区まで車で約10分という至便な所にある宿泊施設。小高い丘の上にあり源平藤戸合戦のあった藤戸地区が一望の下に眺めることができるので、藤戸地区の観光の前後にここから眺めれば、合戦の史跡各地の位置関係が確認できる。

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