ボンネットバスー吹屋ふるさと村ー

ボンネットバスー吹屋ふるさと村ー

ベンガラ色の静かな家並みが続き、石州瓦の赤い屋根の重なりとまわりの豊な緑とが調和して美しい。
吹屋の街並みは、国の重要伝統的建造物保存地区として選定され、その価値が認められている。

主な見所 銅山経営・ベンガラ生産の大庄屋広兼邸と西江邸  塗込造りとベンガラ格子、石州瓦の吹屋商家群  家並みのはずれのベンガラ館 銅を採掘した笹畝坑道 吹屋ふれあいの森(テニスコート 天文台 ゲートボール場)

銅山とベンガラの町として栄えたころの町並みがよく保存されていることから昭和41年県のふるさと村に指定され昭和52年国の「重要伝統的建物群保存地区に」選定。
都会の人のふるさと志向に答えようとユニークな事業で行政と地域住民が一体となって取り組んでいる。

広兼邸 広兼氏は、大野呂の庄屋で、同家2代目元治が亨和、文化のころ、小泉銅山を営み、大いに栄え、城郭と間違うばかりの大邸宅を作った。この邸宅は映画八つ墓村の舞台となった。

西江邸 銅山の経営によって富栄えた、白壁と石州瓦が調和する豪勢なたたずまい。
ベンガラ工場 赤色顔料として、宝永4年(1707年)吹屋で開発され、硫酸鉄を原料として、安永6年(1777年)から工業化し、早川代官の指導で株仲間を組織し、明治産業復興の波にのり、特産地として長い間繁栄を続けた。

笹畝坑道 吹屋銅山は大同2年(807年)開坑されたと言われている。
この鉱道は、江戸時代から大正時代まで採掘され、主として黄銅鉱、硫化鉄鉱を産出した。坑内の気温は15度℃前後と夏は涼しく、冬は暖かい別天地。