和気富士

和気富士

東から流下してきた日笠川が北から流下してきた本流吉井川と合流する所の北東に和気富士(標高173m)と呼ばれるつつじの名所として町民に親しまれてきた山がある。
山上には、戦国時代末期、備前・美作・西播に権勢を誇った浦上宗景の家臣、明石景行が開いた城、北曽根城(別名名黒山城)跡が、城門に使われたと思われる巨石や石垣などに名残を留めている。

明石景行の跡を継いだ宣行は宇喜多氏の反乱に呼応して浦上氏を滅ぼし、四千五百石を与えられたが朝鮮戦役で戦死、遺子久蔵も関ヶ原の戦で宇喜多氏に従って西軍につき敗北、この城は廃城となった。(和気町案内板を参考)(写真は佐保田整骨院付近より)
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