06/20/2020 / 最終更新日時 : 06/20/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 蓬莱山 報恩禅寺 蓬莱山 報恩禅寺は、かって加藤清正陣跡の山の上にあったが、その後この位置に移転したとされている。また、参道左側には文英の銘が刻まれた文英石仏と呼ばれる吉備地域固有の石仏が祀られている。
06/14/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 小早川隆景陣所跡ー日差山ー 日差山は羽柴秀吉による備中高松城水攻め時、尾根続きにある鷹ノ巣城跡と共に小早川隆景が陣所を張った所として知られている。日差山山頂下の日差山寺(祭神ー毘沙門天)近くには駐車場があり、ここまでは車で登ることができる。
04/21/2020 / 最終更新日時 : 04/23/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 高松山 妙玄寺(こうしょうざん みょうげんじ) 高松山 妙玄寺は、慶長5年(1600年)、領主 花房職之公により花房家の菩提寺として建立された寺で最上稲荷の高松城支院である。境内には宗治公自刃の地として建立された元高松城主清水宗治公の供養塔がある。
04/02/2020 / 最終更新日時 : 04/23/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 経王山 寺宝院 観世音石仏 ここ寺宝院をはじめ高松地区内の各所には、自然石の平坦面に刻線彫を主体に一部半肉彫を用いた素朴な表現の観世音石仏が分布している。同様の石仏は、北は岡山市北区山上、東は赤磐市にも認められ、地域独特の石仏。
01/05/2020 / 最終更新日時 : 01/05/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 盛徳院 臨済宗妙心寺派の禅寺。元禄12(1699)年約300年前の建立。池田恒元公(備前藩主池田光政公弟)播磨(兵庫県)山崎藩主とその一族の菩提の寺で恒元公の法号が盛徳院殿でそれが寺名とされた。境内地一千坪、静寂で幽玄である。
07/06/2018 / 最終更新日時 : 01/10/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 不洗観音寺 奈良時代の天平年間(729~749)に観音様の化身である稽文会、稽主薫の二権化が天界の霊木に彫刻した観音像を、行基菩薩、菩提僧正の二人の聖者が開眼供養し当山に安置、増慶上人によって開基されたと伝わる古刹。一般には不洗観音と呼ばれて、子授け・安産のご利益で有名である。七五三や厄除けでも多くの参詣者で賑わう。
06/24/2018 / 最終更新日時 : 07/10/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 矢上山 宝嶋寺 Sponsored Link 宝嶋寺は平安時代初期の貞観元年(859)に理源大師により創建され多くの塔頭や末寺を有する大寺であったが、慶長年間(1596~1615)に殆んど焼失し、その後江戸時代中期の名僧寂厳(じゃくごん […]
06/23/2018 / 最終更新日時 : 06/23/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 聖運寺 真如院 宝嶋寺の塔頭の一つとして、宝嶋寺を開創した理源大師聖宝により、宝嶋寺建立の平安時代前期の貞観元年(859)もしくはその数年後の間に創建。本尊は、十一面観世音菩薩で病気平癒、安産、癇の虫封じに霊験あらたかな寺。
06/23/2018 / 最終更新日時 : 06/23/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 円海山 観音寺 慈眼院 矢上山 宝嶋寺の塔頭の一つ。貞観元年(859)、宝嶋寺創建と同時に塔頭寺院の一つとして円海坊という名で開創、その後貞享年間(1684~1688)に円海法印によって慈眼院と改称されている。高野山 真言宗の寺院で本尊は如意輪観世音菩薩。
05/22/2018 / 最終更新日時 : 05/22/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 妙見宮ー観龍寺境内ー 現在鶴形山と呼ばれているこの山の山頂に文禄3年(1594)に妙見宮が遷宮、寛永5年(1628)に観龍寺が別当となって祭祀祭礼を司ってきたが明治2年(1869)の神仏分離令により妙見宮は観龍寺に戻り、妙見宮跡には阿智神社が建立され海上交通の守護神、宗像三女神を祀ったとされている。
05/19/2018 / 最終更新日時 : 05/29/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 鶴形山ー鶴形山公園ー 倉敷美観地区の背後にある鶴形山は海抜40mの小高い丘で、山頂には倉敷の総鎮守である阿智神社が鎮座しており、阿智神社の西側には、真言宗御室派の寺院、宝寿山観龍寺が建てられている。山上一帯は鶴形山公園として整備されており、春の桜やツツジ、藤の見所として知られている。
01/04/2018 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 天崇山 泰安寺 慶長8(1603)年津山藩主として入国した森忠政に従ってきた旧領美濃国の金山涅槃寺住職前蓮社眼誉が南新座に創建した覚王山涅槃寺にはじまり、元禄11(1698)年には津山藩松平家の菩提寺となる。本源寺、妙法寺と並んで津山三ヶ寺と呼ばれる大寺で、しかも諸寺の最上位に列していた。御霊屋には松平家歴代の位牌が祭られている。本尊は阿弥陀如来。
01/03/2018 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 高室山 愛染寺 鐘楼門の両脇に仁王堂が附属する、正保元(1644)年建立の鐘楼門及び仁王堂は岡山県指定重要文化財。軒唐破風付き入母屋造り、檜皮葺の変形四脚門で、細かな技術的工夫が凝らされており、旧出雲街道に沿って立つ姿は、この寺の象徴となっている。美作八十八ヶ所霊場第78番霊場。
01/03/2018 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 西寺町 寺院の多いこの付近を西寺町と云う。城下の東西に寺町を作ったのは防衛上の潜在要塞といわれる。津山が西方の固めを重視したのは西国大名に対する備えによる。寛文のころ、この付近の四町内が城下に編入されたが、当時この町内には二十か寺があった。現在は十二か寺になっている。
01/03/2018 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 東海山 本源禅寺 南北朝時代、足利尊氏が国の安泰を祈願して当時の神戸村に創建された美作安国寺を、初代津山藩主森忠政公が森家の菩提寺として慶長12(1607)年に現在地に移転して境内が整備された。本堂を中心に、庫裡、中門、霊屋など江戸時代中期までの建物が残されており、臨済宗寺院建築の初期の遺構として価値が高い。
10/13/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 角磐山大山寺 大山寺は、養老2(718)年金蓮上人がお堂を建てて地蔵菩薩を祭り、修験者の根本道場とした事に始まる。貞観7(865)年、慈覚大師により天台宗になり、平安末期から室町時代にかけては160の僧坊と3,000人を超える僧兵を擁する大寺院として賑わった。参道沿いには、地蔵尊、不動明王や手水鉢などの奉納物が並んでいる。
10/13/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 海蔵寺 お地蔵さんの後に広がる風景どこかで見たことありませんか?そう、映画「釣りバカ日誌18」で、出てくる風景です。明るい、のんびりとした・・・・、瀬戸内の漁村によく見られる、こころがなごむ風景です。右端に見える青佐山(瀬戸内海国立公園)も何かしら印象的に残る山です。
09/17/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 医王山佛教寺 創建は奈良時代の和銅3(710)年という古刹で、盛時には49坊院が建ち並び、美作地方における一大道場を形成していたが、戦国時代に兵火に罹って大半の院坊を焼失したという。本堂は元の文殊堂を明治20(1887)年に移築したも […]
09/17/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 仏教寺石造宝篋印塔 佛教寺は、和銅3(710)年創建と伝えられる真言宗の寺院で、かっては美作地方における山上仏教の拠点として一大道場を形成していた。その寺の境内に、総高1.66m、花崗岩製で、南北朝時代、文和3年(1354)の造立の仏教寺石造宝篋印塔がある。
09/17/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 佛教寺鎮守社本殿 佛教寺は、和銅3(710)年創建と伝えられる真言宗の寺院で、かっては美作地方における山上仏教の拠点として一大道場を形成していた。その鎮守社の本殿は16世紀前半と見られる建築様式の建造物で三間社流造、銅板葺。全体として当初の形態を残しており、中世の建築様式として貴重である。
09/17/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 清水寺護法祭 二上山護法祭・黒岩の護法祭(いずれも美咲町)と並ぶ岡山県の三大護法祭の一つ。護法善神の乗り移った「ごうさま」(護法実)が神がかりとなって、深夜の境内を走り回り、観客は「ごうさま」に捕まらないように逃げまわるという奇祭で、真言密教と修験道が結びついた行事。毎年8月14日の深夜に行われる。
09/16/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 誕生寺 浄土宗の開祖・法然上人の誕生地に、弟子の蓮生坊が鎌倉時代初頭の建久4(1193)年に開創したと伝えられる。現在の建物は江戸時代中期の元禄年間(17世紀末ごろ)再建されたもので、本堂・山門は国重要重文である。宗派を問わずお参りする人が多い。境内には高さ10mの巨木「逆木の公孫樹(いちょう)がある。
09/13/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 両山寺 両山寺は奈良時代、元明天皇の和銅7(714)年に泰澄大師が創設したと伝えられている古いお寺で早くから信仰の対象として親しまれてきた。かっては本山寺(美咲町柵原地区)・誕生寺(久米南町)と並んで、作南三大名刹と呼ばれていた。盛時には、山内に28もの院坊を擁しており明治時代にもまだ8坊が残っていたという。
09/13/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 永昌山 本経寺 この寺は、はじめ真言宗、天台宗、一向宗の各派が入り交っていたが、明応5年(1496)日扇上人により法華宗に改宗され桂昌寺といわれた後、本門経王寺と改められる。その後、京都、妙満寺の末寺となり本経寺として今の地に建立。棟札によると、現在の本堂は元和4年(1618)の建立で岡山県指定重要文化財。
09/11/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 本山寺石造宝篋印塔 本山寺は、奈良時代に修験道の始祖・役小角(えんのおづぬ)によって創建されたと伝えられ、山上仏教の最盛時には三内に120坊も擁していたという美作地方きっての古刹。現在も七堂伽藍が整っていて、本山寺石造宝篋印塔は、総高1.42m 花崗岩製 応永6年(1399)の造立。
09/11/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 本山寺宝篋印塔 本山寺は、奈良時代に修験道の始祖・役小角の開山、頼観上人によって開基と伝えられ、山上仏教の最盛時には三内に120坊も擁していたという、美作地方きっての古刹。現在も七堂伽藍が整っていて、宝篋印塔は、総高1.8m 花崗岩製 南北朝時代の「建武2(1335)年6月11日大願主僧覚清」の刻印がある。
09/11/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 岩間山 本山寺寺侍長屋 本山寺は、奈良時代に修験道の始祖・役小角の開山、頼観上人によって開基と伝えられ、山上仏教の最盛時には三内に120坊も擁していたという、美作地方きっての古刹。現在も七堂伽藍が整っていて、寺侍長屋は塗屋造りで、江戸時代後期(1845年)の建物で石垣の中央に埋門(うずみもん)がある。
09/10/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 岩間山 本山寺御霊廟 本山寺は、奈良時代に修験道の始祖・役小角によって役小角によって開山、頼観上人によって開基されたと伝えられ、山上仏教の最盛時には三内に120坊も擁していたという。現在も七堂伽藍が整っていて本山寺霊廟は、江戸時代初期(1652年)の建築で、本殿と拝殿を中殿でつないだ権現造りによる社殿構造となっている。
09/10/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 岩間山 本山寺常行堂 本山寺は、奈良時代に修験道の始祖・役小角の開山、頼観上人によって開基と伝えられ、山上仏教の最盛時には三内に120坊も擁していたという、美作地方きっての古刹。常行堂は、室町時代後期の永正16(1519)年に今の形に作り直されたという。修理の跡が目立つが、細部の装飾・彫刻等に時代の特徴をよく伝えている。
09/10/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 岩間山 本山寺仁王門 本山寺は、奈良時代に修験道の始祖・役小角によって開山、頼観上人によって開基されたと伝えられ、山上仏教の最盛時には三内に120坊も擁していたという美作地方きっての古刹。現在も七堂伽藍が整っていて、仁王門は、江戸時代前期の貞享3(1686)年の建築で、木鼻や蟇股等に時代の特徴を良く表している。入母屋造り。
09/10/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 岩間山 本山寺三重塔 本山寺は奈良時代に役小角によって開山、頼観上人によって開基されたと伝わる美作地方きっての古刹。現在も七堂伽藍が整っていて、三重塔は津山藩主、森長継が承応年間(1652~1654)に再建した規模雄大な塔で、外部は木彫りが太く伝統的な手法を用いており、装飾的な細部はないが内部の構造は当時としては新しい手法を取り入れた貴重なものである。
09/10/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 岩間山 本山寺 奈良時代に修験道の始祖・役小角によって開山、頼観上人によって開基されたと伝えられ、山上仏教の最盛時には三内に120坊も擁していたという、美作地方きっての古刹。現在も七堂伽藍が整っていて、本堂・三重塔(どちらも国指定重要文化財)や常行堂・長屋・仁王門(いずれも岡山県指定重要文化財)、石造宝篋印塔など文化財の宝庫である。
09/10/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 岩間山 本山寺本堂 本山寺は、奈良時代に修験道の始祖・役小角によって開山、頼観上人によって開基されたと伝えられる美作地方きっての古刹。現在も七堂伽藍が整っていて、中でも本堂は南北朝時代の観応元(1350)年の建築とみられる寺内最古の建造物で、県内では長福寺三重塔に次ぐ古い木造建築物。
07/31/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 観音院 奈良時代の神亀~天平年間(724~749)の創建と伝えられ、戦国時代に備中松山城主三村元親と安芸の毛利輝元が戦った備中兵乱ー天正2(1574)年~天正3(1575)年によって荒廃し、長期間再建されなかったが、江戸時代初期の寛永6(1629)年になって宥賢和尚により現在地へ移転、再興された。現在の本堂は昭和59年に建築されたもの。
07/30/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 松林寺 清水山松林寺は、歴応2(1339)年、白幡城主赤松円心が、別峰和尚(大殊円光国師)を招いて開いたのが始まりで、元禄12(1699)年に、庭瀬藩2万石で入封した板倉重高は篤く帰依し元禄15(1702)年には菩提寺となってい […]
07/30/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 不変院 関ヶ原の戦いで功をなした戸川達安公が慶長7(1602)年に3万石で庭瀬に封ぜられた時に建立され、城国院日鳳上人によって開かれた戸川家の菩提寺。代々藩主から寺領を受け、領内十数ヶ寺の座主を務めている。境内には戸川家累代の墳墓がある。また、境内には不変院の鎮守として八幡大菩薩が祀られている。
07/29/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 応徳寺 臨済宗東福寺派の寺院で、応永2(1395)年に円光国師が薬師如来を祀って開山。盛衰を経て、寛文9(1669)年、撫川藩主戸川安宣により、また文政6(1823)年に心界和尚来任時などに復興発展を重ね、明治以降も檀家の篤志に […]
07/15/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 岡山市北区市街地とその周辺の寺社 岡山市北区の市街地とその周辺にある寺社、特に岡山ゆかりの武将、藩主にゆかりの深い寺社や歴史ある寺社を中心に訪問。北区の内吉備路、庭瀬、御津、建部地区の寺社はこことは別にそれぞれの地区に掲載。
07/14/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 日応寺 番神堂 岡山空港近くの日応寺(日蓮宗)境内にある建物で、茅葺単層、入母屋造り。桁行三間、梁間三間の建物。内部に彩色紋様を施し、江戸時代初期の様式・技法を示す。
07/14/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 日応寺 養老2年(718)、報恩大師によって創建されたと伝えられている。聖武、孝謙、桓武天皇らの病気平癒祈願が行われ、勅命をもって仏恩に感謝したという故事をもち、周辺に勅使堂、勅使道、玉御膳所などの地名や旧跡が残されている。栄西 […]
07/13/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 蓮昌寺 当初は岡山城内(榎の馬場)にあったが、城主の変転に伴い城内で場所を移動、その後、慶長6年(1601年)に現在地に移る。それ以来2万4,000坪に及ぶ広大な境内に七堂伽藍を有し、48ヶ寺もの塔頭を有していたが、昭和20(1945)年の空襲により全焼。昭和43(1968)年新本堂を再建。
07/01/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大雲寺・日限地蔵尊 大雲寺の本尊は阿弥陀如来であるが、大雲寺がこの地へ移転時に掘り出された地蔵尊が「日限地蔵尊」として祀られ、境内の地蔵堂にも様々の地蔵尊が祀られている。毎月23日には、縁日が開かれ、夜店も立ち並ぶことから、一般的には、このお地蔵さんにお参りすることが大雲寺へお参りする目的となっている。
07/01/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 太然寺 奈良時代に、当時南都五大寺の一つであった大安寺の荘園を管理するための支院として創建されたのが始まりと伝わる。その後、室町時代初頭に、岩根山太然寺という禅宗寺院となり、戦国時代の永禄4(1561)年には、備前国守護の松田一族により日蓮宗に改宗されている。
06/30/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 国清寺 釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の禅寺で、慶長14(1609)年池田利隆が建立し、当初は法源寺と号した。その後、池田家の国替などによって寺歴は複雑化しているが、寛永9(1632)年、池田光正が鳥取から移封されると、彼は祖父輝政・父利隆を祀る寺として、国清寺と改称した。
06/29/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 長泉寺 薬園山長泉寺は、永正6(1509)年創建の真言宗御室派の寺院で、開創当時、周辺に備前国の薬草園が広がっていたことから山号を薬園山としたと伝えられている。本尊の薬師三尊の外陣右に弘法大師像(明暦元年在銘)が、左には大日如来が祀られている。
06/29/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 妙林寺 寛永9(1633)年の備前藩、池田光仲と因幡藩、池田光政の国替えの際、慈雲院日意上人が光政公に従い、旧山崎町に因幡から寺院を移し建立したのが起こりといわれている。その後、貞享3(1686)年、一往院日周上人が現在地に移転、元文元(1736)年現存する堂宇を建立した。
06/28/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 光珍寺 宇喜多氏の菩提寺として、秀家ファンの多くが訪れる光珍寺。岡山空襲により焼失したため今は鉄筋の建物の中の3階に本堂があり、向かって左側には宇喜多氏の祭壇が祀られている。元は、東隣する岡山寺と同一の寺院で、慶安5(1652)年、光珍寺と岡山寺に分割されている。
06/27/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 瑞雲寺 この寺は、暦応年中(1338~1341)多田頼貞の嫡子能勢太郎左衛門頼仲の創建といわれ、満願山成就時と呼んでいたが、岡山藩主小早川秀秋を葬ってから、その法号「瑞雲院殿前黄門秀厳日詮大居士」にちなみ瑞雲寺と改称。小早川秀秋の墓は本堂の中にあり、秀秋の木像も安置しており、これを稲葉塚と呼ぶ。
06/25/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 法界院 法界院の開山は天平年間(729)報恩大師と伝わり、本尊の木造聖観音立像(国指定重要文化財)は、脇仏の多聞天、持国天と共に平安時代の藤原中期作の秘仏で、33年ごとに開扉される。仁王門は重層八脚門で、楼門としては県下で屈指の規模である。縁日は毎月の21日で(午前中)、多くの人で賑わう。
06/25/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 妙善寺 かっては福輪寺という真言宗の寺であったが、南北朝の初め、大覚大僧正と時の住職が法輪の末、大覚に帰依して日蓮宗に改宗した。寛文7(1667)年岡山藩の厳しい迫害と弾圧を受け無住となり、その後、堂宇も取り壊されたが、明治10(1877)年津島教会所として再建、明治30年に再興。
06/24/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 金山寺 報恩大師が創建、備前48ヵ寺の根本道場として栄えた名刹。その後、栄西禅師が入山ー灌室、護摩堂などを増築し法相宗から天台宗に改めた。金川城主松田氏が日蓮宗への改宗を求めたが応じず全山焼き尽くされる。のち大山寺から来た法印円智が岡山城主宇喜多直家の庇護を受け本堂、護摩堂を再建。
06/24/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 金山寺仁王門 本瓦葺の入母屋造りで、上下2層からなる楼門である。岡山藩主池田光正の寄進により正保2年(1645)に再建された。建物規模は、下層正面が6.1m、側面が4.4mを測る。柱には「チマキ」(柱端部の丸形にくびれた部分)のある特徴を持ち、柱の上の斗栱は二手先の禅宗様(唐様)を示している。
06/24/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 金山寺三重塔 江戸時代中期の天明8年(1788)の建立で高さ26.3m。和様に禅宗様を多く取り入れたどっしりとした三重塔で、柵原町の本山寺のそれと並んで、県下では最大規模のものである。
06/24/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 金山寺本堂 戦国時代の文亀元年(1501)に兵火で焼失。その後、天正の初め(1573年以降)に再建された。桃山時代初期の建築様式を伝える貴重な建築物として国指定重要文化財に指定されていたが、平成24年(2012)12月24日午後7時半頃本堂より出火し惜しくも全焼してしまった。
06/24/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 金山寺護摩堂 戦国時代の天正年間(1573~1591)の建築。後世修理の跡が著しいが、室町時代の手法がよく残されている。
06/17/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 主な庭園 妙覚寺 不受不施派は、祖師日蓮聖人と中祖日奥聖人の教えを厳守した唯一の教団である。徳川幕府の宗教政策に抵抗した為に、江戸時代にはキリスト教と共に激しい弾圧を受けた。しかし、禁制が解かれた後の明治9(1876)年、日正聖人が、法華宗を外護した松田氏の本拠地金川に祖山妙覚寺を再興した。
06/01/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 啓運山盛隆寺 庭瀬領主戸川達安公の妹君が、嫁ぎ先の宇喜多家で亡くなられたのを母堂の妙承尼が嘆き、悲しまれ、お寺を建てて姫君の冥福を祈ろうと思いたち、達安公もその死を哀れむと共にご母堂の心のうちを察しその願望を叶えてあげよう当山を開創、日鳳上人を開祖に迎え啓運山盛隆寺と名付けた。
05/31/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 啓運山浄園院 啓運山盛隆寺の塔頭の一つであったが、日蓮宗は昭和16年に本山と末寺の関係を解体したため、現在では旧本山、旧末寺と呼んでいる。盛隆寺の境内の南東部、県道152号線沿いに位置する。 Sponsored Link 名称 啓運 […]
05/31/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 啓運山知應院 啓運山盛隆寺の塔頭の一つであったが、日蓮宗は昭和16年に本山と末寺の関係を解体したため、現在では旧本山、旧末寺と呼んでいる。盛隆寺の境内の南東部、浄園院の裏側に位置する。日親堂には久遠成院日親聖人(応永14(1407)年~長享2(1488)年)の木造をお祀りしている。
05/31/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 啓運山善立院 啓運山盛隆寺の塔頭の一つであったが、日蓮宗は昭和16年に本山と末寺の関係を解体したため、現在では旧本山、旧末寺と呼んでいる。盛隆寺の境内の南西部、安祥院の裏側に位置する。 Sponsored Link 名称 啓運山 善 […]
05/31/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 啓運山安祥院 啓運山盛隆寺の塔頭の一つであったが、日蓮宗は昭和16年に本山と末寺の関係を解体したため、現在では旧本山、旧末寺と呼んでいる。盛隆寺の境内の南西部県道152号線沿いに位置する。 Sponsored Link 名称 啓運山 […]
05/31/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 西磯山観行院 啓運山盛隆寺の塔頭の一つであったが、日蓮宗は昭和16年に本山と末寺の関係を解体したため、現在では旧本山、旧末寺と呼んでいる。元は盛隆寺の境内であった所であろうが現在では、観行院のみ街並みの中の寺となっている。
05/24/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 築地山常楽寺 国指定史跡、大廻小廻山城跡の東部にある寺院。備前48ヶ寺の一つで、最も栄えていた時期には20余りの院や坊が立ち並んでいたといわれている。山号の「築地山」の語源は、小廻山山頂に弘法大師空海が構築した霊場の「台輪」とする寺伝や大廻小廻山城跡に築かれている城壁の列石と推定する説がある。
05/19/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 明王寺 馬路山明王寺は、奈良時代末期に報恩大師の開基と伝えられ、備前四十八ヶ寺の一つに列する天台宗の古刹である。聖観音立像(国指定重要文化財)は、平安時代前期(8世紀)の作とみられる体長148cm、カヤの木の一木造りで、他に例のない個性的な姿をしている。
05/10/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 広谷山西方寺 芥子山南東の山腹にある高野山真言宗の寺院。無量壽院と共に、広谷山如法寺の塔頭で西方院と呼ばれていた。明治33(1900)年まで、西大寺観音院会陽の「宝木取り」の儀式はこの西方院で行われていたが、その後は無量壽院で行われている。
05/10/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 無量壽院 南無仏太子立像 無量壽院太子堂に安置されている聖徳太子二歳像である。寄せ木造りで彩色され玉眼が嵌入されている。像高は69.5センチメートル、各部に補修や欠落が認められ、彩色も原初と補彩が混合しているが、保存は良好である。鎌倉時代後期の洗練された作風を示し、岡山県下に遺存する南無仏太子像の中でも優品である。
05/10/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 無量壽院 本堂 無量壽院の境内にある如法寺本堂は、明和5年に再建された仏堂だが、14世紀頃に建立されたと推定される5間仏堂の部材を再用。従ってこの本堂は、それまでの中世の仏堂の材料を可能な限り再利用しながら造り替えたもので、中世寺院の意匠が窺える貴重な建造物で、文化財としての価値は非常に高い。
05/10/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 無量壽院 芥子山(備前富士)の南東山腹にある寺院。西大寺観音院の会陽に使用される宝木の原木を、西大寺からの使者に授与する「宝木取り」の儀式が行われる寺、として知られている。宝木取りの儀式は、西大寺観音院と無量壽院の間を真夜中に提灯の火を頼りに無言で往復するという神秘的な行事。
05/02/2017 / 最終更新日時 : 01/05/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 操山周辺の神社・仏閣 金蔵山古墳をはじめ多くの古墳が築造されている事からも明らかな通り、古くから開けた操山山麓には、多くの神社・仏閣があり、自然豊かで心安らぐ空間を作り出している。これらの多くは、登山口近くにあるので、その目標としてまた、歴史探訪や散策の場所としても訪問をお勧め。
04/30/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 古立石不動明王 沢田の恩徳寺の北西、操山の山裾に沿った道を岡山市街方面に向かって西に進むと、道が細くなる所左側に古い石段がある。大木の根本に立てられた岩の脇に小さい祠が祀られており、付近には、神社であったことを思わせる破壊された石が放置されている。奥には、古立石不動明王と書かれたお堂があり、摩崖仏の不動明王が彫られている。
04/29/2017 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 沢田山恩徳寺 奈良時代の天平勝宝2(750)年の創建で、のち報恩大師によって備前四十八ヶ寺の一つに加えられたという。現在の本堂は山門、大師堂、鐘楼、観禅堂などと共に明治10年に再建されたもので、天井には採色画と2m四方ほどの方位盤が描かれている。中国四十九薬師霊場八番札所、備前八薬師霊場第8番札所。
04/28/2017 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 瑞光山仏心寺 岡山平野の眺めが良い操山の中腹にある、阿弥陀如来を本尊とする天台宗の寺院。正徳4(1714)年岡山藩主池田綱政の姉(一条右大臣教輔夫人)の発願による建立と伝えられる。早春の梅、緑の中に静かに咲き誇る桜、青空の下新緑の中に咲くツツジやサツキ、秋の紅葉といつ訪れても静かに四季を楽しむことができる所。
04/26/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 瓶井山禅光寺安住院 操山の西麓に位置する安住院は、奈良時代の天平勝宝年元(749)年に報恩大師が創建した備前四十八ヶ寺の一つとされる禅光寺の本坊。多宝塔は、岡山藩二代藩主、池田綱政が元禄年間(1688~1703)に後楽園の借景として建築に着手し、次の藩主、継政の代の寛延4(1751)年に完成したもの。
04/26/2017 / 最終更新日時 : 04/26/2017 桃太郎 仏閣ー寺院ー 普門院 かっての瓶井山禅光寺の塔頭の一つ。江戸時代には、安住院を本坊とし、十を超える塔頭があったが、安住院の他に現存するのは普門院のみとなっている。楼門右側奥の医薬門内の、江戸時代後期に建てられた本堂前の趣のある境内には赤い前垂れを架けられた一群の地蔵尊がひっそりとたたずんでいる。
04/26/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 安住院本堂 瓶井山禅光寺の総本堂であり、慶長6(1601)年に岡山城主小早川秀秋が再建したもので、素朴な外観の中に、内部は歴史の深さを感じさせる重厚な趣きで桃山時代の建築様相をよく残している。もとは東南の山腹に所在していたが、寛政12(1800)年に現位置に移築された。
04/26/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 安住院仁王門 室町時代中期の康生2(1456)年に建造された、入母屋造り、本瓦葺き、三間一戸の八脚楼門で、建築年代のはっきりしている楼門としては県下最古のものである。総朱塗りにしていることから地元では「瓶井(みかい)の赤門」と呼ばれて親しまれている。
04/26/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 安住院多宝塔 元禄年間(1688~1703)に時の藩主池田綱政が後楽園の借景として建立に着手し、次の藩主池田継政の代の寛延4(1751)年完成したと伝わる塔で、地元では”瓶井(みかい)の塔”とか”みかえりの塔”などと呼ばれ、親しまれている。
04/25/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 国富山少林寺 赤穂藩第2代藩主池田輝興の菩提寺。輝興が岡山で病没したため、赤穂の長松山盛岩寺をこの地に移し国富山少林寺とし、法隣和尚を開祖として開山。境内には岡山藩筆頭家老・伊木田忠澄公(三猿斎)の墓所と操山を借景とする遠州流の庭園があり、三猿堂が設けられている。
04/25/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 最明院 最明院は浄土寺の境内にあったと伝えられている。その由来は鎌倉幕府、執権北條時頼が職を退き最明寺に閑居したが、諸国を行脚した時「見明院」と呼ばれていたこの院に立ち寄ったことから最明寺入道時頼公の名に因みこの院を”最明院”と呼ぶようになった。
04/24/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 湯迫山浄土寺 奈良時代の天平勝宝元(749)年、報恩大師が備前国に創立した四十八ヶ寺の内の一つで、東大寺の再建を命じられた僧 重源が、東大寺の修理料国として与えられた備前国において、国務のかたわら浄土教を広めた寺の一つとして知られている。重源が庶民施療のために設けた大湯屋跡があり、一帯からは「東大寺」の刻印のある瓦が発見されている。
04/20/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大光院の法華題目石 曹源寺の塔頭の一つである大光院には「南無妙法蓮華経」の題目を刻んだ笠塔婆が二基ある。髭題目が刻まれた日蓮宗独特の石塔で、題目石と呼ばれている。共に年銘をもち、康永4(1345)年と応永18(1411)年の製作年代が知られている。
04/19/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 曹源寺仏殿ー本堂ー 岡山藩2代藩主池田綱政が、高祖父信輝と父光政の菩提を弔い、自らの冥福を祈るため、家臣の上阪外記に命じて建立させた池田家の菩提寺。元禄11年に竣工。この仏殿は文政7(1824)年の再建で、重層入母屋造、本瓦葺、正面25m、側面19m、高さ20m、木造建築物としては県下で最大規模の建物である。
04/19/2017 / 最終更新日時 : 11/05/2021 桃太郎 主な庭園 護国山曹源寺 岡山藩第2代藩主・池田綱政が、高祖父の信輝と父・光政の菩提を弔い、また自らの冥福を祈るために、江戸時代中期の元禄11年に創建した西日本屈指の臨済宗の寺院。書院の東に、山を背景にして心字池を配し、山畔の中ほどには枯山水の石組みを造り、書院と池との間に砂敷を広げて海景を表している。
04/01/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 両面薬師堂ー遥照山ー ここ遥照山山頂近くに祀られている仏様は、本尊の石像が南面と北面の両方に彫刻した、二仏一体の珍しい像で「両面薬師」と呼ばれている。南面は、薬師如来、北面は釈迦如来で、堂も南北両方から拝むことができるようになっている。平安初期、慈覚大師による開山と伝えられている。
03/30/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 長川寺 源三位頼政の末裔西山宗久を開基とし、室町時代の応永19年に、永祥寺 英厳章傑禅師により曹洞宗として開山、鴨山城主 細川家の菩提寺となり、禅宗の修行道場として興隆した。境内の一角には、戦国時代末期、天正3年に、この寺を中興した鴨山城七代の城主・細川通董の墓塔がある。
03/19/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 天福寺 町内最高峰の大平山の山腹にあり、天台宗の修験の寺として役小角の開基と伝えられる。江戸時代初期に再建されたのち足守木下藩主の祈願所となったという。現在は郷土自然保護地域に指定されモミの天然林や赤松林に囲まれ、紅葉と四季の風情に富む佳境である。本尊薬師如来は室町中期の作、町指定文化財である。
03/17/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 本宮山円城寺 初め本宮山正法寺と称して、行基の開山と伝えられ、鎌倉中期現在の地へ移されて円城寺と改めた。今は地蔵院、医王院を残すだけであるが、昔は十余の僧坊が立ち並び門前町として非常に栄えた。今も小規模ながら門前町のおもかげを、そこかしこで見受けることができる。
03/17/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 本宮山地蔵院 鎌倉中期(1282年頃)本宮山山頂より移転した円城寺の塔頭の一つ。最盛期には、塔頭14坊、末寺6ヶ寺を数えていたが、現在残っている塔頭は医王院とこの地蔵院のみ。
03/17/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 本宮山医王院 鎌倉中期(1282年頃)に本宮山より移転された円城寺の塔頭の一つ。最盛期には、塔頭14坊、末寺6ヶ寺を数えていたが、現在残っている塔頭は地蔵院とこの医王院のみ。裏手には、北向庚申堂、祇園社、根本稲荷などの社が祀られている。
03/17/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 北向庚申堂 庚申堂とは帝釈天の使者青面金剛(庚申の別名)を祀るもので、本尊は見ザル、言わザル、聞かザルの3猿神を脇士としている。また、古来より悪事・災難は北方から襲来すると考えられており、この厄除けの神を祀る本尊も北向きに鎮座されている。
03/09/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 妙本寺本堂 骨格は、鎌倉時代建造ー弘安4(1281)年又は建治元(1275)年ー当初のものと推定されている。南北朝時代から戦国時代にかけて無住期間があり、天正11(1583)年に大改修され、その後も幕末に改修、平成3(1991)年に解体修理されている。
03/09/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 妙本寺 備中野山郷の地頭として関東から赴任して来た伊達弾正朝義公が、鎌倉時代の弘安4(1281)年に日蓮上人の弟子の日像上人を招いて開基と定め創立した。その後、正和の頃京都から大覚大僧正が来て、日蓮宗の西国の拠点としたため”西身延”とも呼ばれた。
03/03/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山實相院 この地にある寺院全体を大瀧山と称し、奈良時代に鑑真和上によって熊山と共に開かれ、現在は、本堂を中心に3ヶ院がありこれらを総称して福生寺と呼ぶ。寺には山号・寺号・院号があり、山号を大瀧山、寺号を福生寺、院号をそれぞれ西法院、福壽院、實相院と言う。ここ實相院は他の2寺院同様、高野山真言宗の寺院。
03/03/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山福壽院 福生寺には江戸時代13ヶ寺があったが明治以降現在の3ヶ院のみとなった。福寿院は實壽院、本命院、西明院が合併し、当時大瀧山の本坊西明院を福壽院として残し現在に至っている。高野山を本山とする真言宗の寺。聖観世音菩薩を本尊としている。
03/03/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山西法院 広島県の大聖院を起点として、山口県、岡山県と巡り広島市の観音寺を終点とする、「山陽花の寺」24ヶ寺の第14番札所。境内には約3万本、15種類のアジサイが植えられており、6月中旬から7月下旬にかけて楽しめる。
03/03/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山福生寺経蔵 本堂の後ろ、向かって右側に大師堂が、左側に経蔵が建てられている。経蔵は、寂應律師により延享3(1746)年に建立。内部の輪転式、八角形の書庫は、一切経を所蔵、全国的にも珍しいものである。
03/03/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山福生寺大師堂 福生寺は、天平勝宝6(754)年に鑑真和上により創建、報恩大師が備前四十八ヶ寺を整備するにあたりその一つに加えた寺。創建当初は天台宗であったが、早い時期に真言宗に改宗。大師堂は、江戸時代中期の天和2(1682)年に、岡山藩主池田綱政による本堂再建時に建立されている。
03/02/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山福生寺仁王門 応永4(1397)年、3代将軍、足利義政の命によって建立され、元和6(1623)年に檀信徒の寄付により改築。入母屋造、本瓦葺、三間一戸八脚門で桃山式の特色を有している。仁王門の上に掲げられている「大瀧山」の額は佐文山の書として有名。
03/02/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山福生寺三重塔 室町幕府6代将軍足利義教の命によって室町時代後期の嘉吉元(1441)年に再建されたと伝えられる。高さ19.8m瓦葺で、三重塔としては低い方に属するが、室町時代の様式を備えた貴重な塔で国の重要文化財に指定されている。塔内部には来迎柱、来迎壁、須弥壇が設けられ大日如来座像が安置されている。
03/02/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 大瀧山福生寺本堂 福生寺は、天平勝宝6(754)年に鑑真和上により創建され、報恩大師が備前四十八ヶ寺を整備するにあたりその一つに加えた寺。本堂は、棟木墨書から江戸時代中期の天和2(1682)年に、岡山藩主池田綱政により再建されたことがわかる。正面五間、側面五間という中世仏堂形式をとっている。