09/26/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 天然記念物 天王八幡神社ー金ボタル発生地ー 天王八幡神社の境内と社叢は、全国的にも珍しい金ボタル(和名ーヒメボタル)の発祥地として知られている。毎年7月10日前後1週間ほどの間、日暮れから1時間ほど黄金色の光を発しながら雄が飛び交い、雌は地表や笹の茎等にとまり弱い光を放つ。
09/09/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 須佐之男神社 須佐之男神社は、穴門山神社参道の鳥居をくぐってすぐの所左にある。間口6メートル、奥行4メートルの拝殿と、間口2メートル、奥行2メートルの本殿がある。祭神須佐之男を祀る。
09/09/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 天然記念物 穴門山神社 崇神天皇54年(13世紀)に皇女・豊鍬入姫命が八咫鏡(やたのかがみ)を奉じてこの地に4年間奉った後、伊勢に遷されたと伝えられている。備中式内18社の一つで、備中二の宮ともいわれる。
09/04/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 瑞慶山龍徳院 成羽城主山崎氏の菩提寺として成羽に作られたが、山崎氏が天草に移封する時に、従わなかった家臣たちが移築した。寺の名は、山崎家治公の祖父堅家の法名龍徳院を執っている。
08/27/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 讃甘神社 宮本武蔵の生家跡のすぐ隣にある武蔵ゆかりの神社。創建は不詳であるが現在地に祀られたのは武蔵の生まれる前後の天正年間(1573~1592)で荒巻大明神と称していた。この神社の宮司が打つ2本の太鼓のバチさばき、音の響きに興味を持ち二刀流を思いついたと言われている。
08/26/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 上山神社 かって8,300枚の美しい棚田があった美作市上山地区。これらの棚田に灌漑用水を供給する為の大足池(現在は大芦池)を造ったといわれる大足之神を祭神の一柱とする神社。境内には演芸場も設けられている。
08/25/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県指定重要文化財 松神神社の歌舞伎舞台 弘化3年(1846年)、中島東有元城跡東側の王子権現の境内に建てられてたものを大正10年(1921年)にここ松神神社境内に移築したものである。江戸時代末期から歌舞伎が奉納され現在も続いている。
08/19/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 梶並神社 この神社は古くは武男山(たけおやま)の山頂にあって、水神を祀り香美郷(かがみのさと)の総鎮守であった。社伝によれば、979年に宇佐八幡宮の分霊を祀り、平安末期に京都清水八幡宮を勧請して、梶並八幡宮と号するようになったといわれている。
08/17/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 粟倉神社 創祀年代は不詳であるが、天安元(857)年美作一宮中山神社から勧請されたと伝えられている。明治以前は祠頭大明神、明治以降は粟倉神社と称し粟倉庄十二ヶ村(八社)の総鎮守。10月の秋季大祭で奉納される獅子舞は、この地域の他の神社で奉納されるそれと違って江戸風の獅子舞が奉納され非常に珍しい。
08/13/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 塩湯社 古人は体を温め傷を癒してくれる温泉の神秘なはたらきに深く畏敬して湯の神様を祀り塩湯社と称した。その塩湯社はその後湯神社に改められ塩垂山の麓に祀られている。平成17年に湯郷鷺温泉の平成の泉源開発を機として、湧出地に御社殿を新造営し、湯神社の分社として御分霊を奉斎している。
08/13/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 天満宮ー湯郷ー 塩垂山麓の湯神社境内に祀られている湯郷の天満宮は、江戸時代、この郷の寺子屋の精神的中心として菅公の御分霊をお祀りしたのが創始。以来天神様として親しまれ、学問の神さまの信仰は現在に至るまで受け継がれている。
08/13/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 湯神社 初めの頃は「御湯神」と呼ばれていたが、8世紀の初め美作国がおかれた時(和銅8年頃)「塩湯社」となった。その後も「湯大明神」と改称、明治6年になって「湯神社」となり明治41年に村社八幡神社、無格社日吉社と合祀して現在に至っている。
08/11/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 作楽神社 鎌倉時代から室町時代にかけて美作国守護の館があった所で後醍醐天皇が隠岐に配流の際には行在所(あんざいしょ)とされた。その庭の桜の幹に児島高徳が十字の詩を書いて天皇を慰めたという話は有名。明治2(1869)年の創建。
08/11/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 福力荒神社 福力荒神社は、安産ならびにマムシ除けに霊験があるとして知られ、旧正月3日間に参拝すれば大変ご利益があるといわれ、大変な賑わいをみせる。なお、3日間参道には多数の露店が並び正月気分を十分に味わうことができる。
08/10/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国指定重要文化財 中山神社 延喜式内大社で、美作国一宮、奈良時代の慶雲4(707)年の創建と伝えられる。現在の本殿は出雲の国尼子晴久が再建したもので「中山造り」と呼ばれ国の指定文化財となっている。農耕の神様、特に牛馬の神として有名である。
08/10/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 猿神社 中山神社の敷地内にあり、「今昔物語」26巻に記載されている「中山の猿」の霊を祀るとされている。主祭神は猿田彦命で子育ての神として、子安・安産・育児にご利益がある。ぬいぐるみの子猿を奉納する風習が残っている。
08/05/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国指定重要文化財 布施神社 鏡野町富地区(旧富村)の鎮守で、樹齢400~500年のケヤキ、カヤ、スギの巨木を中心とする社叢は、県指定の郷土記念物に、5月5日に行われる伝統的なお田植祭は県の重要無形文化財に指定されている。
07/16/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 高田神社ー勝山ー 太鼓山の山麓、江戸時代三浦藩の武家屋敷や寺町のあった旦地区の東の山麓に祀られている神社。久寿2(1155)年紀州熊野大社の分霊を勧請したのが始まりで、当地域の産土神として歴代城主によって崇敬されてきた。
07/15/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 玉雲宮 「殺生石」を玉雲大権現として創建した化生寺(かせいじ)の鎮守社として祀られた神社。明治の神仏分離以降は玉雲宮として祀られている。
07/09/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県指定重要文化財 阿波八幡神社 慶雲2(705)年の創建と伝えられ、尼子、草刈、森など戦国から江戸時代にかけての武将たちによって崇敬されてきた伝統ある神社で、11月3日の秋季大祭の花祭りは、岡山県の重要無形民俗文化財に指定されている。
07/06/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 草刈神社 矢筈城主草刈家の祈願所の神社で、草刈家の勢力拡大に貢献しながらも、非業の最期を遂げたと伝わる矢筈第二代城主草刈景継を祀っている。この神社の前の阿波川の岸からは矢筈山を望む事が出来る。
07/05/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 矢筈神社 矢筈神社は、矢筈城主(高山城主)草刈氏の守護神として城内に奉祀された神社であり、その後、千磐神社の祀られているこの地に移されたものである。相殿には、矢筈城に関係した武将の霊が祀ってあります。
06/21/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県指定重要文化財 鴻八幡宮 児島市街の東部下の町、上の町、田の口、唐琴の総氏神。例大祭で各町内からの「だんじり」の進行に合わせて演奏される「しゃぎり」と呼ばれる祭りばやしが岡山県無形民俗文化財に指定されている。
06/18/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国指定重要文化財 熊野神社 県道21号線(児島線)の瀬戸中央自動車道水島ICより少し東を南に入った山裾に、熊野神社と修験道の寺院とが一体となった神仏習合の宗教施設群がある。古くは由加神社、由加山蓮台寺とも一体となって新熊野三山として篤い信仰を集めていた。
06/17/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県指定重要文化財 由加神社本宮 日本三大権現の一つ。児島が瀬戸内海に浮かぶ島であった頃から磐座信仰の近郊の人々に守護神として崇められてきた。天平5(733)年に行儀菩薩が十一面観音を祀ってからは神仏混淆の霊山として、桓武天皇の代以来は朝廷の祈願所として、江戸時代中期には池田候の祈願所として繁栄、「こんぴらさん」との両参りも盛んになってきた。
06/13/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 史跡 御崎神社ー源平藤戸合戦ー 今に「源平藤戸合戦」として伝わる平氏との戦に備えて、源氏の武将、佐々木盛綱が出陣前戦勝を祈った神社。高坪山の山頂にあったのを戦後、盛綱が現在地に移したと言われている。
06/06/2016 / 最終更新日時 : 06/10/2018 桃太郎 神社 石畳神社 高梁川湛井堰の上流、JR豪渓駅を過ぎ国道180号線を左にそれて新豪渓秦橋を渡っていると対岸の下流側に異様に大きな石柱が突っ立っているのが見えてくる。これが万葉集にも詠われているという石畳神社の御神体の磐座で、古来より信仰されてきた。
06/03/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 日本遺産構成文化財 鯉喰神社 矢喰神社から鯉喰神社まで血吸川と足守川沿いに歩いてみた、約40分。庚申山、吉備の中山、日差山、、造山古墳、鬼城山、竜王山などを周囲に眺め、吉備津彦命と温羅の戦いや備中高松城水攻めなどを想像しながら歩くのも楽しいものだ。
06/01/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 白山神社・温羅首塚 岡山市街から岡山空港、津山方面に伸びる国道53号線の西側にある坊主山の麓には「首部」と書いて「こうべ」と呼ぶ珍しい名前の集落があり、そこに祀られている白山神社の境内には「首塚」が地元の人たちによって大切に保存されている。
05/27/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 井神社・兼康神社 湛井堰から北方に5分程歩いた権現山の山腹、湛井堰を見下ろす所には、元々湛井堰の傍に祀られていた井神社と平安末期に湛井堰を改修妹尾兼康を祀った神社が建てられている。この地域は吉備国の中でも農業用の灌漑用水の水源として非常に重要な位置を占めていた様子である。
05/24/2016 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 史跡 吉備の中山 備津神社や吉備津彦神社の背後には、古くから吉備の中心に位置し、人々から崇められていた吉備の中山がある。歴史や自然に興味の或る方は、健康作りも兼ねて吉備の中山を散策することをお勧め。数多くの桃太郎伝説が残る吉備の歴史や自然をより深く理解するよい機会となるでしょう。
05/21/2016 / 最終更新日時 : 10/11/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 日本三大稲荷 最上稲荷教総本山 妙教寺 最上稲荷教総本山 妙教寺は、約1,200年前に報恩大師が創建した日本三大稲荷の一つで神仏混合の姿を今も残し、五穀豊穣・商売繁盛の神として全国から幅広い善男善女の信仰を集めている。奥之院への参道は季節の変化を感じることが出来、見晴らしも良いお勧めの散歩道。
05/17/2016 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 主な庭園 吉備津彦神社 岡山市中心部より国道180号線を西進すると古代「吉備の国」で神体山として崇められた「吉備の中山」の北東麓にさしかかる。ここに鎮座し備前の一宮として信仰を集める神社には吉備国草創の伝説上の英雄吉備津彦命が祀られている。現在の本殿は1697年(元禄10年)、岡山藩主池田綱政による再建。
05/13/2016 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 国宝 吉備津神社ー備中 吉備津宮ー 吉備の中山の麓に建つ吉備津神社は、崇神天皇の御代に四道将軍として吉備国に派遣された吉備津彦命ー桃太郎の温羅(鬼)退治(=桃太郎伝説)の主人公ーを祭神とし古くから吉備地方の総氏神として崇敬されている。境内では春にはぼたん、初夏にはあじさいが咲き誇り多くの人々が訪れる。本殿と拝殿は国宝。
05/07/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 吉備大臣宮 遣唐使として中国に渡り貴重な文物を持ち帰り、右大臣にまで上り詰めた吉備真備を祀った神社。隣接して吉備真備公園が整備され、休憩施設で手打うどん処「館址亭」や吉備真備公の巨大な銅像がある。受験の神様としても知られている。
04/24/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 茅部神社 石造りの鳥居としては日本一と言われる大鳥居から約1kmの桜並木が続く参道の先にある延宝5年(西暦1677年)建立と伝わる神社で神社奥の山中には「天の岩戸」と呼ばれてきた巨岩がある。
04/18/2016 / 最終更新日時 : 11/03/2020 桃太郎 神社 羽黒神社 備中松山城主水谷公が玉島地方干拓を行うに際し水谷家累世の氏神、出羽国羽黒山の出羽神社の神霊を勧請して開墾の成就を祈願し土地の守護神として建立。現在の本殿は嘉永3年(1845)幣拝殿は安政4年(1852)に再建されたもの。
04/15/2016 / 最終更新日時 : 12/12/2020 桃太郎 市町村指定重要文化財 祇園神社 この祇園神社は、かっては瀬戸内海に臨む小高い岬で平安時代頃に造られた旧長浜城址。室町時代に城の鎮守「長浜宮」として創建され、長浜大明神と呼ばれた。その後「祇園神社」、「素戔嗚神社」などと呼ばれた後、今の名前となっている。
03/26/2016 / 最終更新日時 : 05/24/2018 桃太郎 主な庭園 阿智神社 倉敷美観地区の中にある鶴形山の山頂に鎮座。古くは島で、神功皇后の西征の際、海の守護神として鎮り、渡来氏族である東漢氏(やまとのあやうじ)の祖、阿知使主(あちのおみ)が祀ったと伝えられ、現在名(明治2年~)の前には阿智の明神と呼ばれた。