仁科芳雄博士生家

仁科芳雄博士生家

ノーベル物理学賞受賞の湯川・朝永両博士を指導、日本の物理学の基礎を築き、戦後初めての文化勲章を受章した仁科芳雄博士が幼・少年時代を過ごした生家。松・梅などの老木、白土壁に囲まれた風格ある佇まいから、仁科芳雄博士が過した在りし日をしのぶことが出来る。

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名称  仁科芳雄博士生家
所在地  里庄町浜中717
TEL  0865-64-7212 里庄町教育委員会、

0865-64-4888 仁科会館

概要 仁科芳雄博士は明治23年12月6日仁科存正氏の四男としてこの家に生まれた。

祖父は浜中の名代官仁科存本氏である。

博士は新庄小学校(現 里庄西小学校)生石高等小学校、岡山中学、第六高等学校を経て
東京帝国大学工学部電気工学科を首席で卒業し、恩賜の銀時計をうけた。

大学卒業後、理化学研究所に入り、昭和10年から7年間ヨーロッパに留学、イギリスの
ケンブリッジ大学、ドイツのゲッチンゲン大学、デンマークのコペンハーゲン大学に
学び、ノーベル賞受賞者で量子論の創始者のニールス、ボーア博士の指導を受け、昭和
3年「クラインニシナの公式」を完成して世界的に有名になった。

帰国後、理化学研究所主任研究員となって仁科研究室を主宰し、新しい物理学研究の
指導者として湯川秀樹博士、朝永振一郎博士(いずれもノーベル賞受賞者)などの後進の
指導育成に心血をそそいだ。

昭和10年、理化学研究所に原子核実験室をつくり、昭和12年、日本最初のサイクロトロン
を完成させた。

昭和20年8月、広島に新型爆弾がおちると、ただちに調査団を編成し、これを調査して、
それが原子爆弾であると判定し、政府に、これ以上戦争継続が不可能であることを報告し
大戦終結のいとぐちをつくった。

こうした博士の業績によって、戦後初めての文化勲章の受章者の栄に浴した。

その後健康を害し、昭和26年1月10日東京都に於いて60歳で歿した。

この生家は博士にとって、多感な少年時代を過ごした大切な思い出の家である。

風雪を閲(けみ)して荒廃しかかったこの生家を里庄町が各方面の御協力によって修復し、
博士の偉業を永遠に伝えると共に我が国の科学水準の画期的向上への念願をこの旧居に
託している。

昭和57年11月 里庄町(現地案内板)

主要展示品  老木、白土壁に囲まれた風格ある佇まいから、仁科芳雄博士が少年時代を過した在りし
日をしのぶことが出来る。
料金  無料
開館時間  10::00~16:00(日曜日のみ開館)
休館日  日曜日以外、12月28日~1月4日
交通  JR山陽本線里庄駅より徒歩約20分、または車約10分、

山陽自動車道鴨方ICより車約20分

駐車場  普通車8台