旧庭瀬港と常夜燈

旧庭瀬港と常夜燈

旧庭瀬港と常夜燈

陣屋町庭瀬は、町を東西に貫く庭瀬往来や足守川があったことから、明治24年に山陽鉄道(現在のJR山陽本線)が開通するまでは、足守川とその支流や地区内に張り巡らされた堀や水路を利用した船運が盛んで、足守川河口で瀬戸内海を航行する船から小船に積み替えられた積荷はここ旧庭瀬港に運ばれていた。

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名称  旧庭瀬港と常夜燈
所在地  〒701-0153 岡山市北区庭瀬
TEL  086-293-1111 岡山市吉備支所
概要  庭瀬は、近世まで足守川とその支流を利用した船運が盛んに行われており、地区内
に張り巡らされた堀・水路を水運等に活用し、水郷のまちとして発展してきた歴史を
有しています。

さらに陣屋町を東西に貫く庭瀬往来(鴨方往来)は、近世山陽道とも結ばれている
ことから、陸路と水路の交わる交通の要地であったといえます。

1600年代中頃の寛文年間の左の絵図によれば、絵図の下方に描かれている足守川の
河岸には、瀬戸内海を航行する船が出入りし、足守藩の年貢米の積出港としても重要な
機能を有していました。

この河岸で積荷を海船から小船に積替えて旧庭瀬港(内港)に入ります。

そこには、港町が形成され、庭瀬藩の商業・交通の中心地として栄えました。

水路に面しては雁木(階段状の船着き場)が設けられ、入港する船のため木造で大型の
常夜燈が1700年代に建てられていました。

明治24年に山陽鉄道(現在JRの山陽本線)が開業して以降は、船の往来も減少し、
昭和30年代には水路も半分ほどの幅までに埋め立てられ、また常夜燈も昭和29年の暴風
により被害をこうむり、すべて取り壊されましたが、その基礎(地伏石)は原位置で保存
されていました。

庭瀬・撫川地区の堀や水路による町割り、城跡や家屋の街なみの景観保全を目指す
住民運動は、これまで活発に行われており、その盛り上がりを受けて、当時の古写真や
地元の方々の記憶をもとに、埋め立てられていた旧庭瀬港(内港)を部分的に再現しました。

また、当時の常夜燈の石積護岸の一部と約3メートル四方の基礎(地伏石)を使用して
常夜燈を再建し、当時の旧庭瀬港(内港)の景観を平成19年に復元しました。
(現地案内板)

交通 JR山陽本線庭瀬駅より徒歩約7分、

山陽自動車道倉敷ICより車で約30分

駐車場  ー

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