細川通董公墓碑

細川通董公墓碑

細川通董公墓碑

細川通董公は、第7代鴨山城主で、名君の誉れが高かったが、天正15(1587)年豊臣秀吉の筑紫征伐の際、毛利氏に随伴出陣、その帰途赤間関(下関)で客死した。長川寺境内に墓碑がある。

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名称  細川通董公墓碑
所在地  〒719-0243 浅口市鴨方町鴨方387
TEL  0865-44-2405
概要 従五位下 下野守通董公は、天文4年鴨山城主5代晴国の嫡男として出生、伊予国宇摩郡川之江
に在城後、6代輝政の継嗣として毛利氏と盟約を結び、永禄2年笠岡大島青佐山(在城7年)、
鴨方六条院竜王山(在城9年)を経て天正3(1575)年鴨山城に入り、一門の栄誉を
承継した。

菩提寺長川寺の諸堂修復、寺領120石をはじめ、近隣寺社への浄財の寄進とともに、
伝統文化や地域産業の振興に寄与するなど、名君の誉れが高かった。

その治領は備中浅口、小田二郡、伊予宇摩、温泉二郡、松山にも及んだが、
天正15(1587)年豊臣秀吉の、筑紫征伐の際、毛利氏に随伴出陣、その帰途赤間関
(下関)で客死した。

その霊骸は家臣によってこの地に葬られたが、元和年間山崩れにより諸堂什器流失の惨事
のため、墓碑は正徳5年改替再建立された。

因みに、「中興開宇長川寺殿前野州大守峯山浄高大居士」の称号を付し、その遺徳顕彰、
報恩供養は、忠臣の末裔である清滝会員により今日もなお承継されている。(現地案内板)

交通 山陽本線鴨方駅より車で約10分、

山陽自動車道鴨方ICより車で約10分

駐車場  普通車25台(長川寺)

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