百間川遺跡群

中世の橋跡ー百間川遺跡ー

中世の橋跡

百間川遺跡は、旭川の氾濫から岡山城下を守るために造られた放水路、百間川流域の微高地とその周辺で発見された弥生時代、古墳時代の遺跡群。百間川内には、原尾島遺跡、沢田遺跡、兼基遺跡、今谷遺跡、米田遺跡などが点在しており、微高地からは、竪穴住居、墓などがまた、微高地周囲の低地からは水田跡が発見されている。その他に、鎌倉時代から室町時代にかけての橋跡も発見されている。

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名称  百間川遺跡群
所在地  岡山市中区沢田
TEL  086-270-5066 岡山市埋蔵文化財センター
概要  百間川遺跡群の竪穴住居復元について、

百間川内には、原尾島(はらおじま)遺跡、沢田(さわだ)遺跡、兼基(かねもと)遺跡、
今谷(いまだに)遺跡、米田(よねだ)遺跡などが点在しており、これらの遺跡を百間川遺跡群と
総称しています。

これらの遺跡からは弥生時代、古墳時代の竪穴住居が多数発見されていますが、この百間川緑地公園内
に復元された竪穴住居はその中でも保存状態が良いものです。

竪穴住居は、地面を掘って、その底面を平らにして床面をつくり、その上に屋根をかけた構造となって
います。

床面には炉、カマド、柱穴などがあります。

弥生時代の竪穴住居の形は円形や隅を丸くした方形が一般的ですが、古墳時代には方形に変化します。

また、弥生時代の竪穴住居にはカマドがつくられていませんが、古墳時代になると、屋内の壁にカマドが
取り付けられるようになります。(現地案内板)

橋跡  中世の橋跡(12世紀末~16世紀中頃)、

この石組みは、ここから百間川を約2km下った地点(現在の米田橋のすぐかみ)で見つかった中世の
橋の基礎部分です。石の中に並んでいる丸太は橋脚です。

推定全長40m、幅約2.3mの大きな橋です。

最初に橋が架けられたのは今から約800年前の鎌倉時代初め頃ですが、当時の橋は橋脚を打ち込んだだけ
の簡単なものでした。

それ以後、壊れる度に補修や改修を繰り返しています。

ここに移築したものはその最後の段階(室町時代末頃)の姿です。

大量の石と木材を使用した頑丈な基礎を新たに構築し、橋の倒壊を防いでいます。

このような基礎構造は全国的にも珍しく、土木工学の点からも注目されています。

この橋はその位置や以前の調査から、港と内陸部を結ぶ重要な橋であったと考えられます。

多くの、そして様々な人や荷物がこの橋を渡っていったことでしょう。(現地案内板)

交通  岡山駅より車で約20分、または宇野バス、瀬戸駅前、日生・寒河、八日市、長岡団地方面行
で高屋下車徒歩約10分、山陽自動車道岡山ICより車で約30分
駐車場  ー

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