経ヶ島ー源平藤戸合戦ー
藤戸寺から倉敷川のすぐ向こうに小さな森が見える。源平藤戸合戦の頃この付近は海で対岸の森も瀬戸に浮かぶ小さな島であった。この島は、佐々木盛綱が浅瀬を聞き出しその秘密を守るために殺した漁師の追悼の写経を埋めたので経ヶ島と呼ばれている。
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名称 | 経ヶ島ー源平藤戸合戦ー |
所在地 | 倉敷市藤戸町天城 |
TEL | ー |
概要 | 経ヶ島 秋の下闇 深かりし 高濱年尾、
寿永3年(西暦1184年)冬12月、源平両軍はこの藤戸海峡をはさみ布陣した。 源氏の将佐々木盛綱は漁夫に浅瀬を教えられ、馬を躍らせて一番に海を渡り、味方を勝利 この時盛綱は浅瀬の秘密をまもるためこの漁夫を亡きものにしたという。 次の年、児島郡の領主となった盛綱は、哀れな漁夫の追福のため、大供養を藤戸寺で行い 頂上に石灰岩で造られた二基の宝篋印塔があるが、小さい方が漁夫の供養塔と伝えられている。 麓の弁財天社は藤戸寺の鎮守で、寛永9年(西暦1632年)岡山藩家老池田氏が天城に陣屋 |
交通 | JR山陽本線倉敷駅より車約20分または児島方面行バス20分藤戸下車、
瀬戸中央自動車道水島IC下車車約10分 |
駐車場 | 無し(但し、藤戸寺に参拝する場合には、門前に各5台程のものが三ヶ所あり) |
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