清流、旭川が南北に貫き、南部で新庄川と合流している勝山の町は、三浦藩2万3千石の城下町として、また、中世から近世にかけて高瀬舟による物資輸送の発着地として栄えた。旭川の東岸には、当時をしのぶ、白壁の美しい町並みが残っており、県下で最初に町並み保存地区として指定された。
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GoogleMapー真庭市観光案内地図ー
Google Mapー岡山県北部ー美作地域ーホテル・旅館案内地図ー
毎年3月3日のひな祭りの前後には、町並み保存地区から新町商店街にかけての約1kmの区間、道沿いの民家や商家の軒先や部屋に飾ったお雛さまを楽しんでいただくイベント、勝山お雛祭りが開催される。
北部にある神庭の滝は、日本百景と日本の滝百選に選ばれている西日本一の名瀑で国指定の名勝。切り立った断崖が周囲を取り囲む約百ヘクタールの地域の初夏の新緑、秋の紅葉、そして高さ110mの岩盤を背景にした滝の調和は見事。
国道181号線を美甘方面に向かうと「竜宮岩」と呼ばれている景観に出くわす。新庄川の清流に洗われた雪白の石灰岩が、長年の浸食により様々な奇岩を作り出し、竜宮を思わせるところから名付けられた。近くにはやはり石灰岩地帯を特徴付ける「鬼清水」や「鬼の穴」などもある。
主な見所
ー神庭の滝、城下町勝山(勝山城跡ー三の丸遺跡ー、御前酒ー辻本店ー、安養寺―三浦家菩提寺ー、妙円寺、玉雲宮、化生寺、殺生石、勝山武家屋敷館、明徳寺、高田神社、勝山郷土資料館、郷宿、椎の木御殿、お食事処椎の木御殿)、勝山町並み保存地区、竜宮岩、神代の鬼の穴ー
勝山は古くから作州西部における政治・経済の要衝として重要な位置にあった。現在に残る城下町の基礎が出来上がったのは、江戸中期、三河国西尾の三浦氏が2万3千石の藩主となってからである。
勝山城跡から南に延びる勝山の町並み保存地区は、江戸時代中期の明和元年、三河国西尾から2万3千石の藩主として入封した三浦氏が、旧高田城跡に新しい城を築き「勝山城」と改め城下町を形作った事に始まる。
旧高田城は、鎌倉時代の有力御家人三浦氏(本拠地・三浦半島)の末裔、三浦貞宗が如意山山頂に築城したのが始まりと言われている。現在の勝山城下町を作ったのは江戸時代中期に入封した三河国西尾の三浦氏。
勝山町並み保存地区のほぼ中央に位置し、藩主三浦家に関する資料や城下町勝山の様子、歴史についての展示がされている。観光案内所としても利用できるので城下町散策の前後には是非訪れたい所。
勝山城の北側で旭川が大きく迂回した台地にある旧勝山藩主居宅三浦邸は、邸宅の門前に大きな椎の木が有ることから「椎の木御殿」と呼ばれ、蔵を改装して食事処としても親しまれている。アジサイの名所。
旧勝山藩主居宅三浦邸の土蔵を改装した、地産地消をテーマにした料理を提供する食事処。邸宅の表門の前に樹齢数百年と言われる椎の木があることから椎の木御殿と呼ばれている。アジサイの名所でもある。
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