大原本陣

大原本陣

美作市の北東部に位置し、吉井川の支流吉野川が途中東粟倉地区から流下してきた後山川を合流して地区中央部を南下している。
地区中央付近には、これら河川によってできた平野部が広がり、周囲を標高400m~600mの産地が囲んでいる。この平野部の中央付近で津山と福知山を結ぶ国道429号線が佐用と智頭を結ぶ国道373号線(旧因幡街道)と交差している。

その平野部北部の古町には、江戸時代、因幡街道の宿場町として栄え、本陣や脇本陣のある古い町並みが残っており、南部には、宮本武蔵誕生の地として全国にその名を知られた旧讃甘村宮本がある。
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大原本陣は、主に鳥取城主池田候32万石の参勤交代に利用された宿場で 数寄屋造りの御殿や御成門の他、長屋門に刀掛けのある脇本陣やなまこ壁の町屋や土蔵など、往時の面影を色濃くとどめている。

因幡街道 大原本陣 (寛政年間1789年~1802年) 岡山県美作市大原
本陣は江戸時代の宿駅で参勤交代の大名のほか公家・幕府要人・高僧などの宿泊施設であった。
寛永十二年(1635年)の参勤交代制の実施以後、本陣職として恒常的な公的宿泊施設となった。

大原本陣は、因幡街道を往復する鳥取三二万石池田候が参勤交代の途中宿泊するところであった。
門は木羽葺の二脚門(御成門)、御殿は桁行四間・梁間四畳半の単層で、屋根は入母屋造木羽葺の数奇屋造である。

庭は回遊式で、築山は川石をしきつめ渚に見立て、平場一面に白石を敷き、砂に波形の箒目をつける枯山水の庭園である。
大原本陣有元家は、約二百年前の本陣の遺構を今日まで残している数少ない本陣である。(現地案内板)
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