西山拙斎の碑

西山拙斎の碑

西山拙斎の碑

鴨神社の西、西山家の墓所にある、江戸中期の儒学者で文人、西山拙斎の頌徳碑。西山拙斎は、享保20(1735)年備中国鴨方村の医者の子として生まれ、大阪、京都で医学、儒学、朱子学を学んだ後、郷里の鴨方で私塾、「欽塾」を開き子弟に朱子学を教えた。

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名称  西山拙斎(にしやませっさい)の碑
所在地  〒719-0243 浅口市鴨方町鴨方330
TEL  0865-44-9035 浅口市観光協会
展示種類  名は正 字は子雅 号は至楽居ほか 享保20年(1735)生 寛政10年(1798)卒 贈正五位
(大正九年)近世日本が生んだ偉大な学者のひとり西山拙斎は、ここ鴨方に生まれ、ここで生き、
ここに葬られている。

その墓畔に立つ「西山処士の碑」は重厚温雅、親友諸大儒の誠意が凝集した名碑である。

拙斎の事蹟の中で特筆すべき三件の第一は、欽塾と名づけた私塾の教育である。

生涯を懸けたその感化は遠近の村々の風俗を改めるに至ったという。

第二は正学の振興である。

朱子学を正統の学術として数学の基本に基き、功利放恣に流れる風潮を矯正しようとした文筆活動は
「寛政の改革」の前後にわたって光彩を放っている。

第三は処士を貫いた見識である。

皇族や大藩への出仕を固辞し、名利に超然として在野の自由を楽しんだのである。

拙斎の人柄は、率直で感受性豊かに、秋霜の厳しさと春光の温かさを兼ね、熱中癖ありユーモアあり、
貴賎老幼の敬愛する処であった。

生前すでに世人は「関西の孔子」と呼んで、醇儒拙斎を称えている。

鴨方町教育委員会 鴨方町文化財保護委員会(現地案内板)

交通  JR山陽本線鴨方駅より徒歩約30分、または遥照山行または循環バス5分、本町下車すぐ、

山陽自動車道鴨方ICより車で約5分

駐車場  普通車10台

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