藤原成親遺跡

藤原成親遺跡

藤原成親遺跡

大納言藤原成親は、僧俊寛らと共に平家打倒を誓った”鹿ヶ谷”の密議が露見、平清盛により治承元(1177)年下津井に流され、後吉備の中山有木の別所に移されこの地で非業の最後を遂げた。高麗寺の山門跡の礎石や成親の墓などが残っている。

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名称 岡山県指定史跡 藤原成親遺跡(ふじわらなるちかいせき)
ー高麗寺(こうらいじ)山門跡と藤原成親墓地ー昭和35年4月26日指定
所在地  岡山市吉備津
TEL  ー
概要  京都、鹿ヶ谷において僧俊寛とともに平家追討の密議を企てたが発覚、俊寛は鬼界島へ藤原成親は治承元(1177)年この地「有木の別所」に流された。

成親は、有木山の中腹にある山寺(今なお十数個の礎石をのこす高麗寺か)で配所の月を眺めるうち非業の最期をとげたといわれている。

成親の供養の石塔は荒れ果てていたが、明治43年に整備され現在に至っている。

幕末の万葉調歌人として広く知られる平賀元義は、この地での成親の最期について「あたらこの成親がごときよき臣を有木の山のうもれ木にして」とうたっている。(現地案内板)

交通   JR吉備線吉備津駅より徒歩約20分、

山陽自動車道岡山ICまたは岡山自動車道岡山総社ICより車約15分、徒歩約10分

駐車場  福田海本部駐車場(福田海の鼻ぐり塚を参拝する場合には利用可能?)

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