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一丸大明王ー蓮昌寺ー

一丸大明王ー蓮昌寺ー

「一丸さま」の愛称で呼ばれるこの堂の主尊は、詳らかには「最尊一丸大明王」と申し上げ、南北朝時代、備前の国の守護職にあった富山城主松田左近将監元喬が、岡山城中に蓮昌寺を創建した際、傍に一宇を建立し、これに「水宝大善神」という稲荷大明神を寺の守護神として祠ったのが始りと伝えられる。

その後、備前の覇者となった宇喜多秀家は岡山城拡張のため、蓮昌寺を旭川の対岸森下に移すが、その際、「水宝大善神」は「蓮昌寺大明王」と改称される。これに伴って「蓮昌大明王」もまた、本堂の西方へ移される。

そして最尊が付され、「最尊一丸大明王」と呼ばれるようになる。
一説に、鳥取城中「一の丸」にあったのでこの名があるとされるが、眷属に月丸明王・星丸明王とあるところからしても、天の三光(太陽と月と星)を名とした稲荷神であることは疑う余地もない。

いづれにしても、今なお、霊験あらたかな「おいなりさん」として、善男善女の尊崇を集め、殊に「一丸さま」の最大の祭りである「蓮昌寺夏祭り」は、古来岡山の夏祭りの皮切り(当時は7月1日)とされ、今では、山内の各施設の子供たちをはじめ、老若男女数千の大渦となる。(現地案内板)
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