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大仏殿釈迦堂ー蓮昌寺ー

大仏殿釈迦堂ー蓮昌寺ー

太平洋戦争で全山悉く消失した当山は、昭和24年児島の常山にあった常山堂の本堂を譲り受けて、これを移築、仮の本堂に当てた。
しかし、寺宝の巨大な大曼荼羅(縦7メートル、横4メートル、市重文)を開帳するためには、高さ10メートルの空間が必要であった。

そこで、本堂内陣として、昭和27年の秋に増築されたのが、内部が吹抜けの、この二重の塔であり、平成3年、開山日像聖人の六百五十遠忌に、昭和43年の新本堂建立以来、剣道場として使用されていた旧本堂の解体がなされた時、この内陣部分だけが残され、塔正面、扉の付く部分が欠如していたのを、2メートルばかり増築する形で、塔に相応しい形に補修され、現在の形となった。

そして一時は「開山堂」と称せられ、当山開山龍華樹院日像聖人をお祠りするお堂として、併せては、歴代上人や諸天善神等をお祠りするお堂となっていたが、平成12年の夏堂内がすっかり改修整備され、化粧が施され(共立土建)、同年10月8日の、笠井山大仏(ビルマ仏像とも)当山への遷座以来「大仏殿釈迦堂」と呼ばれることとなった。(現地案内板)
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