三木露風ー閑谷学校ゆかりの人ー

現竜野市生まれ。7歳の時母が去り祖母に育てられる。竜野中学から閑谷黌の3年生に転校。有本芳水を通じ作詞活動や同人たちと交遊。17歳の時、処女詩歌集「夏姫」を自費出版。芳水を追って上京、「車前草社」を創立。同40年早稲田大学入学、詩集「廃園」を出版、文壇での詩人としての地位を確立する。

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名称  三木露風(みき ろふう)(1899~1964)ー閑谷学校ゆかりの人ー
役職  童謡「赤トンボ」の作詞者
略歴  現兵庫県竜野市で銀行員の長男に生まれる。7歳の時、母が去り祖母に育てられる。

県立竜野中学から閑谷黌の3年生に転校。以前から岡山の詩誌「白虹」に投稿しており、
有本芳水(ありもとほうすい)を知っていたこともあり、作詞活動や同人たちとの交遊
もさかんとなる。

明治38(1905)年17歳のとき、処女詩歌集「夏姫」を自費出版する。

同年7月1日付けで退学。

芳水が早稲田大学高等師範部へ入学したのを追って上京、閑谷黌の先輩正富汪洋
(まさとみおうよう)や芳水らと「車前草社」を創立。

同40(1907)年早稲田大学文学科入学、同42(1909)年には詩集「廃園」を
出版して、文壇での詩人としての地位を確立する。

翌年慶応義塾大学文学部へ移り、詩集「寂しき曙」「白き手の猟人」などを出版する。

大正3(1914)年詩誌「未来」を創刊。「赤トンボ」の作曲者山田耕筰(やまだこうさく)
は同人。

このころから宗教への関心を示し、同9年からはトラピスト修道院講師として函館に
4年ほど滞在。

その後、鈴木三重吉らの<赤い鳥>の運動ともかかわり、新しい童謡を作ることに
打ち込んでいく。(現地案内板)

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