洲浜城趾

洲浜城趾遠望ー金甲山山頂よりー

洲浜城趾遠望

平家物語にもでてくる備中国妹尾郷の平家武将、 妹尾太郎兼康が築いたとされる城である。その後、江戸時代から明治維新まで、戸川氏の陣屋が置かれていた。現在は、わずかの石垣と、戸川陣屋井戸が残るのみ。当時この城の南には、「吉備の穴海」と呼ばれる浅瀬の海が広がっていた。

上の写真では、上水道用タンクがある手前の丘が洲浜城趾。

Sponsored Link



名称 洲浜城趾(すはまじょうし)
所在地  〒701-0205 岡山市南区妹尾
TEL  ー
概要  妹尾太郎兼康の母は瀬尾兼門(せおかねかど)の妹保子で、兼門は太治元(1126)年
滅んだが、保子だけは鳥羽上皇の宮女として仕え、上皇の御子を宿していたため許されて、
平忠盛(たいらのただもり)ー平清盛の父ーに預けられ、上皇の御子を産んだと
伝えられている。

これが 妹尾太郎兼康である。

兼康公は16歳で妹尾に入り、城を築き「洲浜城」と
称していたと伝えられている。

兼康公は土木技術にも優れたものを持っており、高梁川を水源とした
「湛井(たたい)十二ヶ郷用水」を整備したことはよく知られている。

        「妹尾を語る会」設置の現地案内板を参考

交通  JR瀬戸大橋線妹尾駅より徒歩約30分、

早島ICより車で約15分(栗村神社)、徒歩約10分

駐車場  ー

Sponsored Link



Follow me!

神社

前の記事

御前神社