玉松城跡ー臥龍山ー

玉松城跡

玉松城跡

臥龍山にはじめて砦が築かれた年は明らかではないが、戦国時代初め文明12(1480)年頃、松田元成が本拠を金川に移して以来、永禄11(1568)年7月5日、宇喜多直家に攻められ落城するまで、5代約90年にわたって西備前随一の山城として栄えた。現在は臥龍山自然公園として整備され、城跡には、供養塔や天守の井戸などがみられる。

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 名称 玉松城跡(別名金川城)ー臥龍山ー
所在地 〒709-2132 岡山市北区御津草生
TEL
築城年 不明
歴史 文明12(1480)年(戦国時代初め)頃ー松田氏第8代松田左近将監元成が本拠を
金川に移して以来5代約90年にわたって西備前随一の山城として栄える。

永正6(1509)年ー城主元勝が三条西実隆より玉松・麗水の二書を贈られ、以後
玉松城と命名。永禄11(1568)年7月5日ー宇喜多直家に攻められ、
城主元輝嫡子元賢共に壮烈な戦死を遂げ7日早暁に落城。慶長8(1603)年ー
日置忠俊修築、慶長20年(1615)年徳川幕府による一国一城令ー廃城(現地案内板を参考)

交通 JR金川駅より徒歩で約80分、

山陽自動車道岡山ICより車で約15分、徒歩約55分

駐車場

玉松城の本丸跡には、供養塔、玉松城の碑と案内板、休憩舎などがある。
玉松城のある臥龍山は、樹木が長い間伐採されておらず、まるで原生林のようにうっそうとしている。

本丸からの眺望も良くはない。
出丸、道林寺丸、道林寺丸下など数ヶ所のみ樹木が伐採され、眺望を楽しめる所がある。

天守の井戸は、本丸跡から20mほど北の丸方面に下った所。その大きさには驚く。
白水の井戸は、北の丸への登り口を少し下った所にあるが、樹林の中にあり、そばに案内板も無いので分かりにくい。

北の丸の少し北方に2本の堀切と呼ばれる切り通しが切られている。
城のあった頃はもっと急な崖状になっていたのであろう。
それにしても、400年も前の井戸や堀切は、当時の様子を思い起こすに非常に良い遺構である。

治部ヶ谷コースの登山口、案内板は、妙覚寺のすぐ西にあるJR津山線ガードを超えたところにある。

玉松城のあった臥龍山は、現在、160haに及ぶ国有林の一部になっており、明治38年以来伐採されたことのない、多様な常緑樹が山をおおっている。

遊歩道には、総数1,764段の階段が設けられており、御津支所前に登山口がある千鳥坂コースは、比較的急な1,210段の登り階段となっている。(各登山口に置かれている案内図を参考に記載)

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