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浦上与次郎の墓

浦上与次郎の墓

天文18年(1549)浦上宗景の嫡男与次郎宗辰誕生、幼名松之亟。
与次郎は宇喜多直家の娘を嫁にするが、天正5年5月直家の居城に招待され暫く逗留の間に毒酒を用いられ、「既に御病気大儀なり」と称され天神山に帰城するが天正5年5月6日に御卒去被成 御寿29歳であった。
「おたちう様」または「若宮」と地元の人々は呼んでいる。
*「おたちうさま」と言うのは、宗景が与次郎の霊を弔うために太刀を供えたという説と、この付近に塔頭があったためと言う二説がある。(天神山城跡と浦上宗景より抜粋)(現地案内板より)
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