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天神山城跡河本登山口

天神山城跡河本登山口

岡山県指定文化財(史跡)天神山城略年譜
1531年(享禄4年) 浦上宗景は大田原・日笠・延原・明石・岡本・服部ら6人の部将を連れ室津城(播州)を立ち太鼓丸城に移る。(天神山城完成後は東の砦となる。)
1532年(天文元年) 兄浦上政宗は、宗景を討つべく富田松山城(備前市)に布陣する。
宗景も太鼓丸城より人数を出し片上の葛坂に出陣したが、戦意を喪失し相互に軍を引き上げる。
1533年(天文2年) (第一期工事)(確立期)天津社を南西山麓に移し天石門別神社と称す。
西方防衛の為天津社境内に本丸を構え西に空堀を掘り二の丸を張り出し、東方に明石飛騨の屋敷、馬屋、南櫓を築き、北方防衛のために広の段に築城を始める。
天瀬に岡本・木村の屋敷を配し張木戸を回らし吉井川下流の警備を固め、観音山城を配し西方の守備に当たる。
侍屋敷を本丸南下に配し、垣上は上級武士の屋敷、垣下は下級武士団の屋敷、倉庫、馬小屋、川岸に船着場を配し、生活必需物資の確保を図る。
北麓田土は赤松氏支配時多数の土豪の地で、山麓に家臣の根小屋屋敷を配す。
1536年(天文5年)宇喜多八郎8歳で家臣となる。
1539年(天文8年)(第二期工事)(勢力拡張期)桜の馬場・西南端に鍛冶場・北に大手門・百貫井戸・長屋(倉庫)・腰曲輪を配し、西方の中心郭となす。
1543年(天文12年)(第3期工事)(全盛期)三の丸・西櫓台・下の段を設け西方防衛の郭とした。
赤松氏と播州にて戦う。宇喜多八郎初陣、鉄砲伝来。
1544年(天文13年)宇喜多八郎元服し直家と名乗る。宗景が300貫を与え乙子城主(岡山市)とする。
1549年(天文18年)浦上松野丞誕生。与次郎宗辰と名乗る。
1551年(天文20年)出雲尼子氏と作州合戦。
1561年(永禄4年)龍ノ口城・金川城攻略。
1562年(永禄5年)戦死者供養祭、宗像神社造営(吉井町)
1570年(元亀元年)金川城攻め。
1571年(元亀2年)織田信長より播州・備前・作州三国の所領朱印を受く。
1574年(天正2年)宇喜多直家離反し、毛利と和す。宗景、信長の援により毛利と戦う。
1575年(天正3年)信長天神山へ兵糧を送る。
1577年(天正5年)4月12日、日笠青山城落城。5月浦上与次郎、直家により毒殺される。8月10日天神山城落城。
1963年(昭和38年)佐伯町指定文化財(史跡)
1982年(昭和57年)岡山県指定文化財(史跡)  (現地案内板より)
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