05/31/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 啓運山浄園院 啓運山盛隆寺の塔頭の一つであったが、日蓮宗は昭和16年に本山と末寺の関係を解体したため、現在では旧本山、旧末寺と呼んでいる。盛隆寺の境内の南東部、県道152号線沿いに位置する。 Sponsored Link 名称 啓運 […]
05/31/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 啓運山知應院 啓運山盛隆寺の塔頭の一つであったが、日蓮宗は昭和16年に本山と末寺の関係を解体したため、現在では旧本山、旧末寺と呼んでいる。盛隆寺の境内の南東部、浄園院の裏側に位置する。日親堂には久遠成院日親聖人(応永14(1407)年~長享2(1488)年)の木造をお祀りしている。
05/31/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 啓運山善立院 啓運山盛隆寺の塔頭の一つであったが、日蓮宗は昭和16年に本山と末寺の関係を解体したため、現在では旧本山、旧末寺と呼んでいる。盛隆寺の境内の南西部、安祥院の裏側に位置する。 Sponsored Link 名称 啓運山 善 […]
05/31/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 啓運山安祥院 啓運山盛隆寺の塔頭の一つであったが、日蓮宗は昭和16年に本山と末寺の関係を解体したため、現在では旧本山、旧末寺と呼んでいる。盛隆寺の境内の南西部県道152号線沿いに位置する。 Sponsored Link 名称 啓運山 […]
05/31/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 戸川陣屋井戸 この井戸は、妹尾の旧領主(戸川氏)の陣屋にあった井戸。明治になり陣屋が廃止された後も飲料水の不足に悩む土地の人々が利用したもので、当時の形態をよく伝えている。妹尾の土地を知る文化財として、昭和47年3月24日、岡山市指定有形民俗文化財に指定された。
05/31/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 西磯山観行院 啓運山盛隆寺の塔頭の一つであったが、日蓮宗は昭和16年に本山と末寺の関係を解体したため、現在では旧本山、旧末寺と呼んでいる。元は盛隆寺の境内であった所であろうが現在では、観行院のみ街並みの中の寺となっている。
05/30/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 城跡 洲浜城趾 平家物語にもでてくる備中国妹尾郷の平家武将、 妹尾太郎兼康が築いたとされる城である。その後、江戸時代から明治維新まで、戸川氏の陣屋が置かれていた。現在は、わずかの石垣と、戸川陣屋井戸が残るのみ。当時この城の南には、「吉備の穴海」と呼ばれる浅瀬の海が広がっていた。
05/30/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 御前神社 吉備津神社の摂末社72社の一社としてまた、妹尾西磯の鎮守社として祀られた神社。境内の燈籠には、開闢 神亀3(726)年とあり古くからこの地に鎮座していたものと思われる。吉備津彦命が汗入の沖で大風により船が転覆しそうになった時大亀に助けられたという伝説があり境内には亀が祀られている。
05/29/2017 / 最終更新日時 : 03/06/2018 桃太郎 グルメ キミセ醤油 温暖な瀬戸内の気候風土の中で、大豆から醤油までのすべての工程を一貫して製造。歴史ー慶応2年材木屋として創業、明治17年醤油業に転業、「木の店」にちなんで「キミセ」を商標とした。備前焼の大甕で醤油を調熟する製法を取り入れたり、「五穀」を採用するなど「古くて新しいもの」にも目を向けている。
05/29/2017 / 最終更新日時 : 03/11/2018 桃太郎 JR駅 JR瀬戸大橋線妹尾駅 JR岡山駅からマリンライナーで約7分、早島ICから車で約15分と交通至便な立地で、駅の北側は、平家の武将妹尾兼康の時代から江戸時代の戸川氏の時代にかけて開けた古い町並みが続き、駅の南側の干拓地は、郊外の住宅地として近年急速な発展を遂げつつある。
05/29/2017 / 最終更新日時 : 05/29/2017 桃太郎 旅日記 せのおニューシティ JR瀬戸大橋線 妹尾駅の南側に造成されたニューシティでJR岡山駅まではマリンライナーでわずか7分。マンションと一戸建て住宅とが調和した素晴らしい環境の高級住宅地ー全700戸ー。周辺には、教育機関、ショッピングセンター、金融機関、病院、コミュニティセンターが充実している。
05/28/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 亀山城跡 別名沼城ともいう。湿田の中に島状に並ぶ二つの丘陵に築造された連郭・輪郭式折衷の山城。城郭遺構が丘陵全体に残っている。宇喜多直家が永禄2(1559)年に主君浦上宗景よりこの城を賜り、新庄山城より移って以来天正元年(1573 […]
05/26/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 岡山孤児院発祥の地 100年余り前、今の岡山市門田屋敷に最大1,200人の孤児を収容していた民間施設「岡山孤児院」があった。創立者で、運営のリーダーが石井十次だった。十次は、22歳の時、ここの大師堂で兄妹2人の子連れの旅の母親から一人の男児を預かって以来、48歳で世を去るまで、孤児の救済と教育に人生をささげた。
05/26/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県自然環境保全地域 安仁神社 備前地域では最古の記録を持つ神社で、元は宮城山にあり、主祭神として五瀬命を祭る。社名の「安仁」は、神武天皇の「兄」を仮名書きしとことに由来すると言われている。現社地には、江戸時代前期に岡山藩主・池田綱政によって移され、現社殿は明治18(1885)年に改築されたものである。
05/25/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 ハイキングコース 乙子城跡 宇喜多直家が乙子山に構えた連郭式の小型山城。後に備前、美作一帯を統一した直家の最初の居城で、「国とり」はじまりの地といえる。乙子城は、当時の吉井川河口付近に位置し、邑久郡の穀倉地帯である千町平野の南側を画する山々の西端にある乙子山山頂にあった。
05/25/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 大廻小廻山城跡 大廻小廻山城跡は、総社市の鬼ノ城と同時期、663年の白村江の戦いなど、東アジア情勢が緊迫した7世紀頃に築造されたと推定されている。発掘調査の結果、列石と版築盛土からなる土塁を3.2kmに渡って周囲に巡らせており、土塁が谷部を渡る3箇所には石積みの防塁を伴った水門が造られている。
05/24/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 築地山常楽寺 国指定史跡、大廻小廻山城跡の東部にある寺院。備前48ヶ寺の一つで、最も栄えていた時期には20余りの院や坊が立ち並んでいたといわれている。山号の「築地山」の語源は、小廻山山頂に弘法大師空海が構築した霊場の「台輪」とする寺伝や大廻小廻山城跡に築かれている城壁の列石と推定する説がある。
05/24/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 天然記念物 宗堂の桜 八重桜の1種で花弁の直径は約3cm、横向きに着花し、花弁の数は60枚もあり、その中の20枚くらいが内に向かって屈曲して二重の弁となるのが特徴。伝説によると、この桜を植え、大変愛していた雲哲日鏡上人が若くして殉教したのを悲しみ、花は開ききることがないとされている。
05/23/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 万富東大寺瓦窯跡 治承4年(1180)源平の戦いで焼失した東大寺大仏殿を、鎌倉時代初期、俊乗房重源を中心に再建した際、その瓦を焼いた窯跡の一つである。大寺山および上の山と呼ばれる丘陵の斜面に窯場跡が、平坦部には、礎石建物、暗渠排水施設、竪 […]
05/23/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 阿保田神社 平重衡の兵火により焼失した東大寺大仏殿を再建するにあたり、大勧進職に任ぜられた重源が、備前の国万富で瓦を調達することに決め、瓦を焼く工事の安全と良質の瓦を得る加護を受けるために、東大寺の守護神「田向山八幡宮」をこの地に勧請したのが阿保田神社の起源。
05/21/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 浦間茶臼山古墳 全長約138m、後円部径約81mで、3世紀末頃に造られた、吉備地方でも最古の前方後円墳と推定されている。円墳頂部には巨大な乱掘壙が残されているが、近年(1988)の発掘調査により長大な竪穴式石室をはじめ、銅鏡など多数の遺物が出土した。
05/21/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2021 桃太郎 ハイキングコース 新庄山城跡ーハイキングコースー 三方が小高い丘に囲まれた三徳園の南東部には、戦国時代の山城、新庄山城跡があり、この山城跡を巡るハイキングコースが整備されている。このハイキングコースからは、山麓の三徳園をはじめ、北、東、南部の三方の眺望を楽しむことができる。
05/20/2017 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 花の見所ー桜以外ー 神崎梅園 吉井川左岸の遊楽山と呼ばれる小高い丘の上、神前(かむさき)神社南の眺望の良い所を地元町内会が昭和40年頃から管理してきた梅林。この梅林に隣接して岡山市が神崎緑地を造成、今では合わせて20種類以上約500本の梅林に広がっている。
05/19/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 明王寺 馬路山明王寺は、奈良時代末期に報恩大師の開基と伝えられ、備前四十八ヶ寺の一つに列する天台宗の古刹である。聖観音立像(国指定重要文化財)は、平安時代前期(8世紀)の作とみられる体長148cm、カヤの木の一木造りで、他に例のない個性的な姿をしている。
05/16/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2021 桃太郎 森林公園等 三徳園 第一生命保険㈱の創設者、矢野恒太翁創設の三徳塾を前身とする農業公園機能を持つ農業者研修施設。園内には、桜、椿、牡丹、果樹などの展示園、県内各地の樹木園、芝生広場などを設け、また、周辺山麓には小鳥の森と名付けた散策路を設けている。
05/13/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 古宮神社 元禄5(1692)年、津田永忠が沖新田の干拓を行った際、干拓した沖新田全体の産土神として沖田神社を元禄7(1694)年5月23日、御野郡の住吉宮に勧請。同じ年の元禄7(1694)年9月3日、ここ沖元の宮地に遷宮。しかし、 […]
05/12/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 住吉宮 元禄5(1692)年、津田永忠が、岡山藩主池田綱政の命により、沖新田の干拓を行った際、干拓した沖新田全体の産土神として沖田神社を最初に勧請したのがここ御野郡(現在の岡山市南区福島)の住吉宮。現在は旭川の河川敷となっている […]
05/11/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 平賀元義ゆかりの地ー布施神社境内ー 平賀元義は、岡山藩士の家に生れながら、脱藩、放浪生活を送り、新古今調の和歌が全盛だった幕末に、ひとりおおらかな万葉調の歌を詠んだ異色の郷土歌人で、明治になり正岡子規に万葉以来の歌人と絶賛された。その平賀元義が晩年滞在していた所ー布施神社ー。境内には歌碑が二基建てられている。
05/10/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 大多羅寄宮跡 岡山藩主、池田光政が、領内の神社の由緒を調べさせ、翌年、産土神601社および由緒ある神社を残し、社や祠10,524社を廃して、71社の寄宮に合祀した。その後、正徳3(1713)年、次の藩主、綱政が、この地にあった句句廼地神社境内を拡張、社殿を建て71社の寄宮の内5社だけを残し66社を合祀した。これが大多羅寄宮。
05/10/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 広谷山西方寺 芥子山南東の山腹にある高野山真言宗の寺院。無量壽院と共に、広谷山如法寺の塔頭で西方院と呼ばれていた。明治33(1900)年まで、西大寺観音院会陽の「宝木取り」の儀式はこの西方院で行われていたが、その後は無量壽院で行われている。
05/10/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 無量壽院 南無仏太子立像 無量壽院太子堂に安置されている聖徳太子二歳像である。寄せ木造りで彩色され玉眼が嵌入されている。像高は69.5センチメートル、各部に補修や欠落が認められ、彩色も原初と補彩が混合しているが、保存は良好である。鎌倉時代後期の洗練された作風を示し、岡山県下に遺存する南無仏太子像の中でも優品である。
05/10/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 無量壽院 本堂 無量壽院の境内にある如法寺本堂は、明和5年に再建された仏堂だが、14世紀頃に建立されたと推定される5間仏堂の部材を再用。従ってこの本堂は、それまでの中世の仏堂の材料を可能な限り再利用しながら造り替えたもので、中世寺院の意匠が窺える貴重な建造物で、文化財としての価値は非常に高い。
05/10/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 無量壽院 芥子山(備前富士)の南東山腹にある寺院。西大寺観音院の会陽に使用される宝木の原木を、西大寺からの使者に授与する「宝木取り」の儀式が行われる寺、として知られている。宝木取りの儀式は、西大寺観音院と無量壽院の間を真夜中に提灯の火を頼りに無言で往復するという神秘的な行事。
05/09/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 展望の良い所 芥子山 岡山市東区西大寺市街地の北西に見える円錐形の山(標高233m)。形が富士山に似ていることから備前富士として地元の人達に親しまれている。山頂からは瀬戸内市方面から、吉井川河口、干拓により出来た岡山平野、児島半島方面を眺めることができる。操山と共に岡山後楽園の借景ともなっている。
05/09/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 岡山市埋蔵文化財センター 岡山市埋蔵文化財センターは、岡山市における埋蔵文化財保護の拠点施設として、市内の埋蔵文化財の調査、出土品の整理保存を行っている。また、その成果を活用するため様々な展示や教育普及活動も行っており、古代から岡山城築城までの遺跡の出土品を展示。
05/08/2017 / 最終更新日時 : 05/09/2017 桃太郎 旅日記 沖新田干拓 奈良時代から昭和の中頃にかけて行われた「吉備の穴海」干拓の長い歴史の内、沖新田の干拓は、元禄4(1691)年9月に池田綱政が津田永忠に命じ、永忠の指揮の下、元禄6(1693)年12月に完成した部分をいう。この干拓の時、百間川河口部の大水尾による遊水地と5つの樋門も完成した。
05/08/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 岡山県ゆかりの人 津田永忠像 岡山藩主 池田光政、綱政の2代に仕え、和意谷に池田家墓所の造営、百間川放水路の開削、倉田新田、沖新田などの干拓、倉安川の開削、池田家の菩提寺、曹源寺の建立、後楽園の造営など岡山藩の各種事業を手がけ、完成させる。岡山藩郡代。
05/07/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 沖田姫神社 沖田神社の本殿の背後に平成8年4月に建立された神社。沖田神社には沖田新田干拓の際、潮止め工事が難航し「きた」という女性が人柱として龍神に捧げられたとの伝説があるが、ここでは「おきた姫」を実在の女性と書かれている。
05/07/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 道通宮 沖田神社の末社の一つで猿田彦命を祀る。天正10(1582)年6月4日、備中高松城水攻めの際、城主清水宗治の次男、長九郎がかねてより信奉していた道通宮に祈願したところ、一匹の白蛇に守り導かれて西大島の御滝山(現在の笠岡市西大島)に逃れることができたことに始まるとされる。
05/07/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 旅日記 沖田神社 岡山藩主池田綱政の命により、備前国南部の沖新田全体の産土神として勧請、鎮座。沖新田は、池田綱政の命で、津田永忠の指揮の下、干拓によりできたものであるが、潮止め工事が難航したため、「きた」という女性が人柱となって龍神に身を捧げたという伝説が伝えられている。
05/06/2017 / 最終更新日時 : 03/12/2018 桃太郎 ハイキングコース 操山公園の遊歩道 操山公園は、操山(標高169m)を最高として、それに連なる山塊をつなぐ古くから利用されてきた道を整備、維持し遊歩道として公園化したもの。この道を歩いていると落葉樹林、常緑樹林、スギ林、ヒノキ林など様々の態様の林を体験することができ、操山の奥深さを知ることができる。
05/06/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 森林公園等 操山山頂 岡山市街地の東部にある標高169mの低山。後楽園の借景になっている山で、市街地の東方に何処からでも眺められ、岡山市民にとっては心の風景の一つになっている。山裾に瓶井(みかい)という泉があったことから古くは瓶井山(みかいさ […]
05/04/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 操山の古墳 操山には、金蔵山古墳をはじめ、古代この地方で勢力を誇っていた支配者の墓が50余基確認されている。大半は、古墳時代後期(6世紀)に造られた横穴式石室を持つものであるが、旗振台古墳のように前期(4~5世紀)の方墳や、二股古墳と呼ばれる珍しい形式のものもある。
05/04/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 石鉄山古墳 岡山藩池田家菩提寺曹源寺の三重塔の背後にある丸い山、円山とか高倉山と呼ばれている山の上(標高138m)、円山山頂ふれあい広場の南東にある古墳。詳細は不明であるが、古墳の前には、No.76 古墳後期、操山古墳群54号墳(石鉄山古墳)との銘板が付けられている。
05/03/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 二股古墳 小型の横穴式石室墳7基の小古墳群からなり、古墳群の盟主と思われるこの古墳は、遺骸を安置する玄室が二室に別れていることから二股古墳と呼ばれている。築造時期は6世紀後葉から7世紀初頭と推定、当時の有力家族の構成を反映するものとして注目されている。
05/03/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 萩の塚古墳 操山山頂から東に延びた稜線の先端に築かれている円墳で、現状では小振り墳丘であるが、本来は直径10m、高さ2.5m程の規模であったと想定される。築造時期は6世紀後半と推定でき、操山北山麓に住んでいた当時の有力者の家族墓と考えられる。
05/02/2017 / 最終更新日時 : 01/05/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 操山周辺の神社・仏閣 金蔵山古墳をはじめ多くの古墳が築造されている事からも明らかな通り、古くから開けた操山山麓には、多くの神社・仏閣があり、自然豊かで心安らぐ空間を作り出している。これらの多くは、登山口近くにあるので、その目標としてまた、歴史探訪や散策の場所としても訪問をお勧め。
05/02/2017 / 最終更新日時 : 03/27/2018 桃太郎 ハイキングコース 操山公園ー操山丘陵ー 操山は、岡山市東部に位置する、後楽園の借景ともなっている山で、山中には築造当時としては、県内でも最大の金蔵山古墳をはじめ多くの古墳や史跡が散らばっている。山上には展望の開けた所が数ヶ所あり、岡山市街や岡山平野をはじめ、遠く小豆島、瀬戸内海などを眺めることが出来、散策に最適。
05/02/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 明禅寺城跡 操山山系のハイキングコース中でのビューポイントの一つ。宇喜多直家が亀山城を居城にしていた頃、西の備中国への備えに築いた出城跡。毛利側の三村氏との間で歴史に残る明禅寺合戦の行われた所としても有名。岡山市街の中心部付近から岡山空港方面にかけて北西部の展望が開けている。
05/01/2017 / 最終更新日時 : 11/07/2017 桃太郎 旅日記 柿の里沢田 岡山市街の東、操山の北麓と百間川に挟まれた里で柿の産地として有名。市街中心部からごく近いところに位置しながら日本の良き里山の風景をそのままに残している。操山の公園化計画とともに造られた、操山里山センターがあり、操山に関する情報の提供や各種イベントが行われ、多くの自然愛好家が訪れている。