阿保田神社

阿保田神社

阿保田神社

平重衡の兵火により焼失した東大寺大仏殿を再建するにあたり、大勧進職に任ぜられた重源が、備前の国万富で瓦を調達することに決め、瓦を焼く工事の安全と良質の瓦を得る加護を受けるために、東大寺の守護神「田向山八幡宮」をこの地に勧請したのが阿保田神社の起源。

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名称  阿保田神社(あぼたじんじゃ)
所在地  〒709-0841 岡山市東区瀬戸町万富1989
TEL  086-952-1101
概要  治承4(1180)年、総国分寺東大寺大仏殿は、平重衡(たいらのしげひら)の兵火に
より焼失しました。

その後、朝廷に再建の議が起こり、俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が
大勧進職に任じられました。

重源は、その建立に必要な木材は周防(すおう)の国、瓦は備前の国(万富)で調達する
ことに決め、瓦を焼く工事の安全と良質の瓦を得る加護を受けるために、東大寺の守護神
「手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)」をこの地に勧請(かんじょう)しました。

これが阿保田神社の起源で、成就祈願とともに工事全般の指令所になったものと思われます。

阿保田神社の称号には諸説がありますが、中世は阿保田明神、近世は正八幡宮、明治以降に
阿保田神社に復しています。

また、東大寺瓦を焼いた所が、梅保木村の太田であり、「あお田」「おお田」の連想の意味
から「阿保田」の称号の由来が考えられます。

平成22年 阿保田神社、総代会ー吉備温故秘録ほかに拠るー(現地案内板より)

交通  JR山陽本線万富駅より徒歩約10分、

山陽自動車道山陽ICより車で約15分

駐車場  有り

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