備前国分寺跡ー山陽地区ー

備前国分寺跡ー山陽地区ー

赤磐市の山陽地区は、市の南部に位置し、両宮山古墳、備前国分寺跡をはじめとする史跡や稚媛(わかひめ)伝説にみられる数々の物語が存在し、古代の吉備国として巨大な文化圏があったことを示している。また、桃の栽培が盛んで春にはピンクの桃の花が咲き乱れる「桃源郷」が出現する。

備前国分寺跡 国指定史跡 昭和50年7月19日指定 赤磐市馬屋
聖武天皇の発願により、鎮護国家を願って奈良時代に全国に建てられたもののうちの一つで、天皇は必ず好所に建立するように命じている。昭和49(1974)年の発掘調査では、南門、中門、金堂、講堂、僧房等の跡が確認された。

これら主要な伽藍が南北方向に縦に一直線に並び、そこから東南の位置に塔が配置されている様子から、東大寺(国分寺)式伽藍配置が採用されていることも判明した。全国の国分寺のうち、半数近くがこの伽藍配置を採用している。

この備前国分寺跡は、推定の南門と推定の中門の間隔が狭いことが他の国分寺では見られない特徴。
また、柱をのせた礎石には加工の痕跡があまり見られず、自然の石をほとんどそのまま利用していた様子。このほか、創建時の軒先の瓦の文様に独特の特徴があり注目されている。

当時、国分寺は「国の華」といわれ、文化の拠点としてだけはでなく、福祉や教育の拠点としても賑わっていたようです。
  平成15年3月 山陽町(現赤磐市)教育委員会 (現地案内板より抜粋)
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