岡山市南区-金甲山山頂より

岡山市南区-金甲山山頂より

金甲山山頂より岡山市南区方面を望む。拡大すると
左の緑の多い平野部は、明治から大正にかけて藤田伝三郎によって干拓された藤田地域。

その向こうにはかって、「吉備の穴海」と呼ばれる浅瀬の海に浮かんでいた早島。今は瀬戸自動車道岡山インター開設に伴って造られた「岡山県総合流通センター」となっている。

早島の東の端付近が、平安時代末の平氏の武将妹尾太郎兼康の居館の有った所で妹尾地区(南区)。兼康は、宝福寺西方の高梁川からこの妹尾など十二ヶ郷に用水を引いたことでも知られており、その用水は今もこの地域の田を潤す用水として使われている。

笹ヶ瀬川が児島湖へ流れ込む付近から右方向旭川河口までも広い平野部が続くが、この付近には、浦安総合公園、岡南飛行場、岡山市卸売市場、大規模ショッピングセンター、住宅や、工場など都市化が著しい。南区は、国道2号線付近より南この金甲山付近にまで及ぶ。
旭川から右は中区に属する。

平野部の向こうには、早島の右から、古代吉備国の中心であった吉備の中山(北区)、戦国時代の山城富山城跡のある矢坂山(北区)、旭川の右には岡山後楽園の背景となっている操山(中区)と続いている。最も手前の三角状の山は怒塚山でここ金甲山とは峰続き。
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