08/05/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 城跡 富山城跡 岡山市街の西、万成石で有名な標高131.3mの矢坂山上にある連郭式の中世山城。ここからは、岡山市街主要部のほとんどと倉敷、玉野方面が一望の下に見ることができる。健康づくりのための散策にも最適。遠景の山の頂や町の建物、道路を見ながら行ったことのある場所との関係を考えていると面白く、眺めていて飽きない。
07/25/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 撫川城跡 撫川城は、永禄2(1559)年に備中成羽城主三村家親が、備前の宇喜多直家の侵攻に備えて築城したといわれている。城跡は東西77m、南北57mの長方形で、外側に幅15mの濠をめぐらしている。約30アールの城跡の北側と西側には完全な石垣が残り、水をたたえた濠が周囲を取り巻いていて、戦国時代末期の沼城の跡を留めている。
07/25/2017 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 城跡 庭瀬城跡 庭瀬城は室町時代の末頃に備中松山の三村元親が、備前宇喜多氏の侵攻に対する固めとして築いた城であるが、江戸時代の慶長7(1602)年には、宇喜多の重臣戸川達安が入城し城を拡張して城下町を整備した。その後4代目藩主が早世、戸川家は断絶、改易となり、元禄12(1699)年になって板倉氏の居城となり、板倉氏で明治を迎える。
06/16/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 徳倉城跡 御津金川と岡山空港を結ぶ、県道61号線沿いの遠藤山上にあった城跡。本丸の石垣がよく保存されており、岡山県指定史跡に指定されている。戦国時代、金川城主松田氏の支城としての時代が続いたが、城主宇垣一郎兵衛の時、宇喜多直家により謀殺。宇喜多氏の家臣である遠藤河内が城主となるも、関ヶ原合戦後、廃城となった。
06/16/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 城跡 虎倉城跡 築城の時期は、定かではないが、虎倉物語によれば、伊賀伊賀守が、赤坂郡鍋谷の城から移ったとあるが、それは備前軍記等から文明12年ごろと推定される。一説によれば伊賀兵庫頭が応永のころ築城。また、大永7年服部伊勢守築城という説もある。城主は伊賀勝隆ー久隆ー与三郎家久の名が知られている。
06/14/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 城跡 玉松城跡ー臥龍山ー 戦国時代初め文明12(1480)年頃、松田元成が本拠を金川に移して以来、永禄11(1568)年7月5日、宇喜多直家に攻められ落城するまで、5代約90年にわたって西備前随一の山城として栄えた。現在は臥龍山自然公園として整備され、城跡には、供養塔や天守の井戸などがみられる。
05/30/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 城跡 洲浜城趾 平家物語にもでてくる備中国妹尾郷の平家武将、 妹尾太郎兼康が築いたとされる城である。その後、江戸時代から明治維新まで、戸川氏の陣屋が置かれていた。現在は、わずかの石垣と、戸川陣屋井戸が残るのみ。当時この城の南には、「吉備の穴海」と呼ばれる浅瀬の海が広がっていた。
05/25/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 ハイキングコース 乙子城跡 宇喜多直家が乙子山に構えた連郭式の小型山城。後に備前、美作一帯を統一した直家の最初の居城で、「国とり」はじまりの地といえる。乙子城は、当時の吉井川河口付近に位置し、邑久郡の穀倉地帯である千町平野の南側を画する山々の西端にある乙子山山頂にあった。
05/21/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2021 桃太郎 ハイキングコース 新庄山城跡ーハイキングコースー 三方が小高い丘に囲まれた三徳園の南東部には、戦国時代の山城、新庄山城跡があり、この山城跡を巡るハイキングコースが整備されている。このハイキングコースからは、山麓の三徳園をはじめ、北、東、南部の三方の眺望を楽しむことができる。
05/02/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 明禅寺城跡 操山山系のハイキングコース中でのビューポイントの一つ。宇喜多直家が亀山城を居城にしていた頃、西の備中国への備えに築いた出城跡。毛利側の三村氏との間で歴史に残る明禅寺合戦の行われた所としても有名。岡山市街の中心部付近から岡山空港方面にかけて北西部の展望が開けている。
04/15/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 城跡 龍之口八幡宮 龍之口八幡宮創建の年代は明確ではないが、奈良時代の天平勝宝年間と伝えられている。江戸時代には岡山藩主池田家の崇敬を得て社領十五石を受けていた。最近は受験の神様として県下全域は勿論、近県の受験者からも崇敬されている。本殿後ろからの眺望が素晴らしい。
04/08/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国立公園 青佐山 寄島町の西方に位置する山で、御嶽山、寄島とともに瀬戸内海国立公園に指定されている。山頂(標高249m)付近には安倍晴明が築城(伝説)し、後に細川通薫が改修したと伝わる青佐山城の城跡がある。第一展望台からは笠岡諸島を一望することができる。
03/30/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 城跡 鴨山城跡 室町幕府成立と発展に深くかかわってきた細川家の後裔にあたる細川満国がこの城を築いたとされている。それ以降この城を拠点に備中分郡守護職としてこの地を治めていた。しかし、関ヶ原の戦いで8代・元通(もとみち)が毛利秀元の客将として参陣し敗れ、鴨山城も廃城となった。
02/24/2017 / 最終更新日時 : 01/11/2020 桃太郎 ジオサイト候補地 周匝茶臼山城跡 この城風の展望台は、天神山城主浦上氏配下にあった佐々部氏の茶臼山城跡に作ったもの。周匝は、江戸時代、岡山藩池田氏一族の陣屋町で吉井川と吉野川の合流地点にある。展望台からは、北に吉野川上流部、南に周匝平野が眺められ、一帯は吉井城山公園になっていて桜の木が多く、春には城山さくらまつり、城山公園まつりが行われる。
01/30/2017 / 最終更新日時 : 01/10/2020 桃太郎 城跡 常山城跡 岡山平野南部に、何処からでも見える富士山の形をした山で、児島富士として親しまれている。戦国時代の天正3(1575)年に備中松山城主、三村氏一族の上野隆徳軍と安芸の毛利勢がこの地で激突、隆徳の妻鶴姫が侍女30名を率いて毛利軍に突撃し女軍哀史が生まれたことで有名。山頂近くには女軍の墓が並んでいる。
01/03/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 城跡 高取山城跡 高取山城跡は、備前守護代浦上氏に仕える島村氏の居城で、天文3年には時の城主島村豊後守が、すぐ東の砥石城主であった宇喜多能家を夜討ちによって自害に追い込んでいる。その後、島村豊後守は浦上氏隷下の国人に成長するが、能家の孫宇喜多直家によって謀殺され居城も攻略される。
01/02/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 城跡 砥石城跡 瀬戸内市邑久町豊原にある畠山製菓の南西に見える小高い丘が砥石城跡。初代岡山城主になった宇喜多直家の祖父、宇喜多能家が築城した城と言われている。能家は、西隣にある高取山城主島村豊後守の夜討ちによって自害している。
12/03/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 城跡 北曽根城跡 東から流れて来た金剛川が、北から流れて来た吉井川に合流する地点北西にある、標高172mの丘陵に造られた城。戦国末期に備前・美作・西播に権勢を誇った浦上宗景の家臣、明石景行が開いた。通称「和気富士」と呼ばれ、頂上からの吉井川、金剛川流域の眺めが素晴しい。
11/23/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 史跡 天神山城跡 戦国武将の浦上宗景によって天文元(1532)年に築城された連郭式城跡で山麓には屋敷跡も残っている。城跡は三段と馬場からなっていて、山頂には本丸の礎石が現存している。
10/08/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 城跡 真鍋城跡 真鍋島には城(しろ)山と城(じょう)山の二つの城跡がある。どちらも中世の海賊城である。城山は本城であるが破壊されて原形をとどめない。城山(じょうさん)は規模やや劣るが石垣、礎石、犬走り、空濠(唐森)等が遺存する。真鍋氏八代の城跡という。
09/28/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 城跡 高越城址公園 戦国時代の英雄北条早雲が生まれ、伊勢新九郎として青年期を過ごした高越城址。小田川に沿った旧山陽道を眼下に見下ろす高台にある。歴史公園として整備され、園内は史跡ゾーンと野外活動ゾーンに分かれている。
09/06/2016 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 備中松山城跡 市街地の北端に聳え、高梁市の象徴として、また「おしろやま」の愛称で広く市民に親しまれている「臥牛山(標高480m)」。その山頂に程近い標高430m付近に位置する「備中松山城」は、現存する山城としては全国で最も高いところにあることで有名。天守、二重櫓・土塀の一部を始め山中に残る数々の城跡が国の文化財や史跡に、また山裾の御根小屋(現県立高梁高校)は県の史跡としてそれぞれ指定されている。
07/16/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 城跡 城下町 勝山 勝山は古くから作州西部における政治・経済の要衝として重要な位置にあった。現在に残る城下町の基礎が出来上がったのは、江戸中期の明和元(1764)年三浦明次が三河国西尾から家臣団300人を連れて入り、2万3千石の藩主となってからである。
07/14/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 城跡 勝山城跡 勝山城ー別名高田城ーは、神奈川県三浦半島を本拠地とする鎌倉時代の有力御家人三浦氏の末裔、三浦貞宗が如意山山頂に築城したのが始まりと言われている。戦国時代の激しい攻防の歴史を経て、江戸時代中期の明和元(1764)年三浦氏が三河国西尾から2万3千石の藩主となり、旧高田城跡に新しい城を築き「勝山城」と改めた。
07/05/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 史跡 矢筈城跡 矢筈城は、戦国時代、美作国と因幡国に勢力を有していた国人領主の草刈衡継が、標高756mの矢筈山に築いた全国でも指折りの高地にある山城。矢筈山の北西の山麓には「内構」と呼ばれる城主草刈氏の大規模な居館跡もある。
06/15/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 史跡 天城陣屋跡ーお茶屋跡ー 天城陣屋跡(御茶屋跡)は、今は天城中学校・高等学校のグランドとなっており、校門の北から道を隔てて反対側の同校グランドに上った所、学校を見下ろす高台の上に石碑が建てられている。学校の向こう側には天城池田家墓地のある丘陵も見える。
06/11/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 福山城跡 新田義貞と足利尊氏の対立による南北朝時代の端緒となった備中福山合戦の地。麓には清音ふるさとふれあい広場や古墳群があり散策路も整備。山頂や途中の幸山城跡からは総社市内は勿論真備町方面、良く晴れた日には大山方面まで望むことが出来る。
06/08/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 吉備路ー鬼城山よりー 桃太郎伝説の鬼「温羅」の砦、標高397mの「鬼城山」は、古代山城跡としての魅力に加え、眼下の雄大な吉備の国の景色も楽しむことができる。吉備路めぐりをする前と後に後にこの地から眺めれば吉備路についての理解をより深める事が出来る。
06/08/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 博物館・資料館 鬼ノ城山 「鬼ノ城」は、桃太郎伝説の鬼、温羅が砦としていた「古代朝鮮式山城」で現在も3kmに及ぶ石塁が残っている。駐車場に車を置き、城壁跡に沿う遊歩道を歩くと、遺跡や眼下の雄大な風景を見ながら散策を楽しむことができる。
05/19/2016 / 最終更新日時 : 04/17/2021 桃太郎 史跡 備中高松城水攻めの舞台ー備中高松城跡ー 備中高松城水攻めは、今から約400年前の天正10年(1582年)、織田信長より毛利攻略の命を受けた羽柴秀吉が備中国南東部に侵入、毛利方の諸城を次々と攻略すると共に、3万の大軍をもって備中高松城を攻めるに当たって行った奇策。
04/15/2016 / 最終更新日時 : 12/12/2020 桃太郎 城跡 下津井城跡 下津井港の背後の小高い丘に瀬戸大橋架橋記念公園が造られている。これは慶長年間の初め宇喜多秀家によって築かれ後小早川家、池田家など歴代領主によって整備され寛永16(1639)年一国一城令により廃城となった下津井城跡。
04/07/2016 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 城跡 津山城跡ー鶴山公園ー 津山初代藩主森忠政が江戸時代初めの慶長9(1604)から12年の歳月をかけて築城したもので、残っている石垣からも推測されるように当時の最高水準の築城技術が駆使された堅固な平山城であった。廃藩置県の明治6(1873)年に石垣だけを除いて取り壊された。現在は鶴山公園として整備され西日本一の桜の名所としても知られている。国指定史跡。
04/06/2016 / 最終更新日時 : 06/10/2021 桃太郎 城跡 岡山城ー別名 烏城・金烏城ー 宇喜多秀家が豊臣秀吉の意見に従い築いた城で天守閣の下見板が黒いところから”烏城”として知られている。現在の天守閣は再建であるが、野面積の石垣など他の城には見られない特徴が随所に残っている。