07/12/2020 / 最終更新日時 : 07/12/2020 桃太郎 城跡 石鎚神社ー長良山城跡ー 石鎚神社は、長良山城の南の郭跡と言われる所に祀られている。 神社正面には、昭和5年に天皇陛下をお招きして行われた陸軍大演習の記念碑が。 右に福山城跡、幸山城跡、左に鷹ノ巣城跡のある日差山、正面には備中国分寺の背景となっている吉備路風土記の丘を見ることが出来る。
07/12/2020 / 最終更新日時 : 07/12/2020 桃太郎 城跡 八幡宮ー長良山城跡ー 長良山城跡の北の郭跡とされる所には現在八幡宮が祀られている。 ここからは、総社市街や岡山県立大学キャンパス、鬼ノ城跡、福山城跡、幸山城跡などを眺めることが出来る。
07/03/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 天神山陣跡ー備中高松城水攻めー 天神山陣跡は、備中高松城水攻めにおいて、毛利軍小早川勢の小田孫兵衛、細川兵部、杉原播磨守らが陣を張ったとされる所。備中高松城へは、花房助兵衛の陣、吉川元春の陣に次いで近い所に位置する。
06/30/2020 / 最終更新日時 : 06/30/2020 桃太郎 史跡 両児神社(ふたごじんじゃ)ー松島ー ここ両児(ふたご)神社は、約1,800年前、神功皇后が三韓征伐の帰り、戦勝と、筑前国譽田の宮にて誕生した二歳の皇子の安泰を祈願された二子の宮ー当時は高鳥居山(ここから数キロ北)に鎮座ーを約1,200年前称徳天皇の時代に遷座した神社。
06/19/2020 / 最終更新日時 : 06/24/2020 桃太郎 史跡 生石神社 生石神社ー祭神 主神ー応神天皇 神功皇后 玉依媛命 今から1200~1300年も前からこの地区の氏神様であった。奈良時代の神名帳にも残されている。社殿は南北朝末期頃建てられた。
06/19/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 加藤清正陣跡ー報恩寺山ー備中高松城水攻めー 備中高松城水攻め時、生石神社のある報恩寺山に加藤清正が陣を構えた。西脇には足守川が流れている。水攻めにあたり川向こうに400m程の副堤を築き、陣前付近を水攻めの水取り口とし足守川を閉鎖、備中高松城を孤立させた。
06/18/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 吉川元春陣跡ー庚申山ー 戦国時代この庚申山には、積善寺という多くの堂塔僧房をもち、楼門を構えた大寺があったが天正10(1582)年高松城水攻の時、毛利の勇将吉川元春がここを陣所としたため、その兵火によってことごとく焼失したと伝えられている。
06/11/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 宇喜多忠家陣跡ー八幡山ー 備中高松城水攻めの際、織田方に付いた宇喜多秀家の叔父、宇喜多忠家(直家の弟)が陣を張った八幡山。現在は、八幡神社が鎮座している。備中高松城跡や羽柴秀吉陣跡方面の眺望に優れている。
04/02/2020 / 最終更新日時 : 06/11/2020 桃太郎 史跡 御崎神社 御崎神社は、旧立田村の村社で、祭神は「吉備武彦(きびたけひこ)の命」、創建は弘治年間(1555~1558)。天正10年(1582年)高松の役のとき、この御崎神社は、秀吉配下の掘尾茂助の陣となった。
01/05/2020 / 最終更新日時 : 01/05/2020 桃太郎 神社 岡山県護国神社 岡山県護国神社は、備前藩主 池田章政公が明治2年4月3日に御後園(後楽園)裏の竹田河原に於いて、戊辰の役戦死者34柱の招魂祭を執行せしめられ、次いで同年6月岡山市東山公園内に社殿と碑石を建て奥羽、函館両戦争戦死者55柱を祭祀されたのを起源とする。
01/02/2020 / 最終更新日時 : 01/20/2020 桃太郎 ジオサイト候補地 岩神神社ーゆるぎ岩ー 岩神神社の御神体である巨岩群の一つで、長さ約5mの舟形の岩が台石と一点で接し支えられ、揺り動かすことができる。このことから、ゆるぎ岩と呼ばれている。花崗岩が節理にそって割れ風化して生じたもので、自然の造形による。一帯は花崗岩地帯であり、この岩に特有な風化状態を示す代表的なものである。
08/20/2018 / 最終更新日時 : 08/21/2018 桃太郎 神社 青陵神社 温羅とその妻の首を石棺を造って鄭重に埋葬し直したといわれる地に建てられた神社。吉備津彦命が鬼ノ城の温羅を退治した時、当初温羅とその妻の首を谷万成の岡の辻と首部の坊主山に埋葬した。しかし、坊主山から毎夜呻き声が聞こえ安眠出来なかったので二人の首を掘り起こしてこの地に埋め直すと呻き声は消えこの地に豊年が続いたと言われている。
08/20/2018 / 最終更新日時 : 08/20/2018 桃太郎 城跡 小丸山 小丸山は従来、周囲に周濠を廻らしている前方後円墳と言い伝えられてきましたが、平成3年の岡山市教育委員会の調査では、古墳説を裏付ける資料は発見されませんでした。 しかしながら、形状等から中世の城砦(辛川城の支城とも)である […]
08/20/2018 / 最終更新日時 : 08/21/2018 桃太郎 神社 艮御崎神社 吉備津神社の北東(鬼門)に当たる小丸山の山頂に鎮座。桃太郎伝説の鬼ー温羅ーの胴体を祀ったとの伝説がある神社。ちなみに温羅の頭部は首部(こうべ)の白山神社に埋められた後、吉備津神社の御釜殿に埋められ、祀られている。
08/10/2018 / 最終更新日時 : 08/18/2018 桃太郎 神社 吉備津彦神社ー大石燈籠ー 吉備津彦神社の随神門を入った境内左右に、六段に築き上げた大基礎の上に総高12m、台石の最下段の一辺が8m、基礎・竿・中台・火袋はそれぞれ一石造りで、火袋の縦の長さは1.1m、横幅1m、笠石は3.6m四方で広さが8畳敷きもあるという大きな灯篭がある。江戸時代末期の安政6年(1859)に建てられたもので、日本一の石灯籠といわれる。
08/01/2018 / 最終更新日時 : 08/01/2018 桃太郎 県指定重要文化財 吉備津彦神社 本殿 吉備津彦神社 本殿は、寛文8年(1668)岡山藩主 池田光政が造営に着手、江戸時代中期の元禄10年(1697)、光政公の子、池田綱政により再建された、三間社流造り・檜皮葺の優美な社殿。昭和43年4月19日、岡山県指定重要文化財 建造物に指定。
08/01/2018 / 最終更新日時 : 08/18/2018 桃太郎 神社 尺御崎神社ー吉備津彦神社 末社ー 尺御崎神社(しゃくおんざきじんじゃ)は、吉備津彦神社の本殿が祀られている敷地の両脇に祀られている神社。御祭神は夜目山主命(やめやまぬしのみこと)、吉備津彦命が温羅退治に吉備地方へ遠征してきた時に、武勇を働いた吉備の国の人の霊社。
07/31/2018 / 最終更新日時 : 08/18/2018 桃太郎 神社 楽御崎神社ー吉備津彦神社 末社ー 楽御崎神社は、吉備津彦命が温羅退治に向かった時の従者の一人で、桃太郎伝説の中では猿をさすといわれている。吉備津彦神社の境内、本殿・渡殿のある敷地の最も手前の両脇に祀られている。下の吉備津彦神社案内図の中で11と14に相当する。
07/31/2018 / 最終更新日時 : 08/18/2018 桃太郎 神社 鯉喰神社ー吉備津彦神社 末社ー 楽々森彦荒魂、鯉喰明神を祭神とする神社で、吉備津彦神社の境内に祀られている。温羅伝説で温羅が鯉になって逃げ、吉備津彦命が鵜になって追いかけて鯉を食べた所といわれる足守川右岸にも鯉喰神社が祀られている。吉備津彦神社境内に祀られている鯉喰神社はここから勧請したものなのか?楽々森彦は吉備津彦命の軍師的な存在であった猿をさしているといわれている。
07/31/2018 / 最終更新日時 : 08/18/2018 桃太郎 神社 矢喰神社ー吉備津彦神社 末社ー 吉備津彦命の御矢を祭神とする神社で、吉備津彦神社境内に末社として祀られている。9月24日に祭礼が執り行われる。吉備津彦命が温羅と戦った時、吉備津彦命が放った矢と温羅が投げた岩がぶつかり、岩に食い込んで落ちた所には矢喰の岩があり、矢喰神社が祀られているがこの神社は、吉備津彦神社境内に末社として祀られている神社。
07/30/2018 / 最終更新日時 : 08/18/2018 桃太郎 神社 温羅神社ー吉備津彦神社 末社ー 吉備津彦神社の境内に末社として祀られている神社。祭神は、吉備津彦命が退治した鬼とされる温羅の和魂(にぎみたま)。桃太郎伝説では温羅は村人や女性たちを困らせる悪い鬼として登場するが、吉備地方では百済から製鉄技術をもたらし、吉備地方を繁栄させた百済の王子として尊敬されており、吉備津彦神社境内にある温羅神社に祀られている。
07/26/2018 / 最終更新日時 : 08/18/2018 桃太郎 神社 阿宗神社 桃太郎伝説(温羅伝説)ゆかりの地を訪ねている中で、吉備津神社、鳴釜神事で語られている温羅の妻、阿曽媛が奉仕していた神社との情報を得てここ阿宗神社を訪ねた。丁度輪くぐりの準備をされていた氏子の方から藤井フミヤが先日この神社を訪れ、その番組が今日の17時から放映されるとの情報を得ることが出来た。
07/06/2018 / 最終更新日時 : 07/07/2018 桃太郎 旅日記 貴舩神社 帯江、不洗観音寺境内の南に祀られている神社で不洗観音寺の鎮守社。不洗観音縁起に、三宝荒神・十二社権現は山内の守護神。貴布禰神は山外の鎮守神、海路往還船の守護神及び病気平癒、息災延命、寿命の守護神とある。現在の社殿は明治45年(1912)再建。
07/05/2018 / 最終更新日時 : 07/05/2018 桃太郎 神社 姫社神社 応神天皇の代に、新羅の王子天之日矛の妻、阿加流比売が王子に罵られて日本に逃げて帰ってしまった。この時、王子も妻を追って日本に渡来してきたので製鉄の技術を持った家来たちによってこの地方に製鉄技術が広まり、阿加流比売は製鉄の神ー比買碁曾神ーとしてこの姫社神社に祀られている。
07/05/2018 / 最終更新日時 : 07/05/2018 桃太郎 神社 吉備津彦命 休息石 賀陽氏の古書に、吉備津彦命はこの地の眺めが素晴らしく度々訪れ、手ごろな大きさの石に腰掛けて休息されておられたので、吉備津彦命が亡くなられた後、村人達はその御神徳を慕い命が座られていた石の周りに注連縄を引き廻して祭壇を設け、吉備津神社の社家賀陽氏に依頼し毎年祭りを行っていた。その後岩の上に小さな社殿を建立、数度の改装により現在の御本殿となったと伝えられている。
07/04/2018 / 最終更新日時 : 07/05/2018 桃太郎 神社 鶴崎神社 当社は、正中年間(1324~1326)に早島・豊洲・帯江の氏神として八幡神社を祀ったのが始まりで、その後貞和6年(1350)に吉備津神社から吉備津彦命荒魂を勧請、現在の両社宮の形式とし御崎宮と称した。春、秋の大祭には吉備津神社の七十五膳据神事と同様に、御盛相を始めとする神饌を三十台の御膳等に盛ってお供えする特殊神事供膳祭が古式に則り行われる。
06/29/2018 / 最終更新日時 : 06/29/2018 桃太郎 市町村指定重要文化財 宗形神社 本殿 是里 本殿は、天神山城を居城とした戦国武将浦上宗景によって永禄5年(1562)に再建されたものである。棟札によると江戸時代になって数度の屋根の改修と土台の修理が行われている。三間社流造で屋根はもと檜皮葺―現在鉄板葺―正面と側面に高欄付きの廻縁がつく。また、身舎は内陣と内々陣に分かれ、内々陣はさらい三区分される。軒を支える組物の形態や彫刻に、再建された中世末期の建築様式が残っている。
06/29/2018 / 最終更新日時 : 06/29/2018 桃太郎 県指定重要文化財 宗形神社 鳥居 鳥居は神社境内の東端にあり、高さ約3.7m、幅約4.9mをはかる石造の明神鳥居である。明神鳥居は笠木や島木の両端が反り上がる特徴をもつ、石材は凝灰岩の中でも緻密な材質のものを用い、粗いたたき仕上げとなっている。額束裏面の銘文から享徳2年(1453)に建立されたことが分かる。
06/29/2018 / 最終更新日時 : 06/29/2018 桃太郎 市町村指定重要文化財 宗形神社 宗形神社は、延喜式神名帳にも記載されている備前国の古社の一つで、宗形の三女神を祭っており、浦上宗景が永禄年間に再建したことが棟札に書かれている。付近には竪穴式住居の遺跡や須恵器等の埋蔵物の出土が多く、古事記に記載されている仁徳天皇と黒姫の伝説もある。
06/27/2018 / 最終更新日時 : 07/02/2018 桃太郎 神社 石上布都魂神社 日本書紀に素戔嗚尊が八岐おろちを退治した剣を奉斎したと記す古社。延喜式内社であり備前一宮として格式高い神社で、広く全国から参拝される。最近、巨大な磐座のある山頂は、パワースポットとしても人気が高まっている。。
06/25/2018 / 最終更新日時 : 06/25/2018 桃太郎 神社 箆取神社 創立年代は不詳、第40代天武天皇の御代、壬申の乱の頃、吉備の穴海に浮かぶ都羅之郷と呼ばれる孤島から、神官が前方の海上に箆の御神紋が顕れたので箆取大権現と名付けたとの伝説がある。春は桜、ツツジ、秋は紅葉の見所でもある。
06/20/2018 / 最終更新日時 : 06/20/2018 桃太郎 神社 足高神社ー帆下げの宮ー 国道2号線沿い、倉敷市笹沖の小高い丘の上にある神社。室町時代までは吉備の穴海に浮かぶ小島で周囲に葦が茂っていたことから「葦高神社」と呼ばれていた。この付近は東西航路の要衝であったが潮流の動きが激しく通る船はすべて帆を下げて山の神に敬意を表し危難を逸れた為帆下げの宮とも呼ばれていた。
06/19/2018 / 最終更新日時 : 06/19/2018 桃太郎 城跡 城山稲荷神社ー倉敷城跡ー この付近は、戦国時代まで小野城という砦があった所。この城山稲荷神社は、明応2年(1493)に当時の城主小野好信が伏見稲荷を勧請して祠ったのが始まりで、元和5年(1619)になって城山稲荷大明神と命名され、江戸時代を通じて霊験あらたかな神としてこの地の人々の信仰を集めた。
06/13/2018 / 最終更新日時 : 06/15/2018 桃太郎 神社 秦八幡神社 八幡神社は八幡大菩薩とも呼ばれ武家の守護神として幕府や地方領主により保護され、神仏習合の祈祷寺として全国に祀られてきた。当八幡神社は、かって正木山を望む、現サントピア岡山総社のプール付近にあったが、元禄7年(1694)現在の地に遷座したものと思われる。
06/12/2018 / 最終更新日時 : 06/12/2018 桃太郎 神社 秦天神社 Sponsored Link 学問の神様として崇められてきた菅原道真を祀った神社。境内右手の地中には秦廃寺の瓦の窯跡がある。左手の手水鉢は高梁市有漢町保月にある市指定文化財の保月山二重の塔の塔心部分と伝えられている。 名 […]
06/09/2018 / 最終更新日時 : 06/09/2018 桃太郎 神社 金刀比羅神社ー総社市秦ー 讃岐の金刀比羅宮で良く知られた海上安全の神様が何故この様に山奥にあるのだろう?戦国時代頃までは酒津付近まで海だったというからその頃には既に祀られていたのか。それとも高梁川の河川交通の安全を祈ったものか?境内からは総社方面の眺望が開けている。
06/06/2018 / 最終更新日時 : 06/07/2018 桃太郎 神社 龍神社ー早島ー 延享元年(1744)領主戸川氏が和多都美神を近郷三ヶ村の水神として 小高い丘の上に奉祭したのが始まり。現在は県道152号線脇の数段高い広場の奥に進雄神社(境内神社)、鶴崎神社の御旅所と並んで祀られている。
05/29/2018 / 最終更新日時 : 05/29/2018 桃太郎 神社 酒津 川嶋の宮八幡神社本宮 この付近は当時は高梁川が吉備の穴海に注ぎ込む河口部であり、川嶋(日本書紀)の最高峰八幡山に鎮座、当初は八幡山全体が竜神信仰のご神体として崇められていた。次いで火の神、治水・農耕・植林の神が祀られ、天暦元年(947)宇佐八幡宮から八幡大神を、同2年には宗像三神を勧請、その後も神功皇后など4代5柱の神を祀り海神信仰を強める祭が加えられている。
05/22/2018 / 最終更新日時 : 05/22/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 妙見宮ー観龍寺境内ー 現在鶴形山と呼ばれているこの山の山頂に文禄3年(1594)に妙見宮が遷宮、寛永5年(1628)に観龍寺が別当となって祭祀祭礼を司ってきたが明治2年(1869)の神仏分離令により妙見宮は観龍寺に戻り、妙見宮跡には阿智神社が建立され海上交通の守護神、宗像三女神を祀ったとされている。
05/19/2018 / 最終更新日時 : 05/29/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 鶴形山ー鶴形山公園ー 倉敷美観地区の背後にある鶴形山は海抜40mの小高い丘で、山頂には倉敷の総鎮守である阿智神社が鎮座しており、阿智神社の西側には、真言宗御室派の寺院、宝寿山観龍寺が建てられている。山上一帯は鶴形山公園として整備されており、春の桜やツツジ、藤の見所として知られている。
05/13/2018 / 最終更新日時 : 05/13/2018 桃太郎 神社 阿智神社の磐座 阿智神社のある杜は、古くは阿知潟(あちがた)と呼ばれる浅瀬の海に浮かぶ小島であったとされている。第15代天皇 応神天皇(4世紀末~5世紀初め頃)の時代、この小島に朝鮮半島より渡ってきた阿知使主(あちのおみ)一族が、日本に古くから伝わる盤座や磐境に、彼ら大陸の蓬莱思想に基づく鶴亀の石組や陰陽思想的な盤座を組み合わせた斎場を造った。これは、日本で最も古い蓬莱様式の庭園と考えられている。
05/13/2018 / 最終更新日時 : 05/13/2018 桃太郎 神社 阿智神社斎館北側庭園の磐座 阿智神社斎館北側の庭園にある磐座で、この磐座には中国から伝来した陰陽思想が導入されている。コトバンクによると、斎館とは神職などが神事に携わる前に心身を清めるためにこもる建物とか。本町通から阿智神社に参拝する階段登り口から右に向かって付けられている車用の道を登る途中にある為歩行者には気付きにくいので注意が必要。
05/12/2018 / 最終更新日時 : 05/12/2018 桃太郎 神社 阿智神社の磐座ー枯滝石組ー 阿智神社本殿北側、阿知の藤の藤棚の横から上にかけて枯れ滝式の石組が見られる。この石組は本殿の両側にある鶴亀の石組、磐境・磐座などと共に日本庭園に見られる石組の起源を探る貴重な資料として注目されている。
05/12/2018 / 最終更新日時 : 05/12/2018 桃太郎 神社 阿智神社の磐座ー本殿東側ー 阿智神社本殿に向かって右側、すなわち本殿の東側にある磐境(いわさか)と磐座(いわくら)。 磐境・磐座は、古代の日本で神が降臨される場所と考えられていおり、磐境・磐座の前で祭祀が行われていた。ツツジなどの樹木が茂りその配置がよくわからないのが残念。
05/12/2018 / 最終更新日時 : 05/12/2018 桃太郎 神社 阿智神社の磐座ー本殿西側ー 阿智神社本殿に向かって左側、すなわち本殿の西側にある鶴亀の石組。これは朝鮮半島からの渡来人が、中国から伝来した鶴亀の神仙蓬莱思想を導入したものと思われている。
05/08/2018 / 最終更新日時 : 05/09/2018 桃太郎 神社 戎社ー倉敷ー 阿智神社参道脇にある戎社は、倉敷中心部商店街全体の守り神としてあがめられている。戎社の下を通るえびす通りとそれに続く倉敷本町通りは、古くはこんぴら往来の通っていた早島と鴨方往来をつなぐ主要街道で、倉敷駅が出来てからは駅と当時の倉敷の中心、倉敷川河畔を往来する人々、阿智神社やこの戎社へ参拝する人々で賑わっていた。
01/04/2018 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 市町村指定重要文化財 徳守神社 奈良時代の天平5(732)年の勧請と伝えられる古社。戦国時代に兵火で焼失したが、慶長9(1604)年津山藩初代藩主・森忠政が津山城築城に際して津山城下の総鎮守として再興した。現在の社殿は、寛文4(1664)年の再建。神輿 […]
01/02/2018 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 市町村指定重要文化財 大隅神社 奈良時代の和銅年間(707~715)以前の創建と伝えられる古社で、かっては津山城の鬼門守護神であった。現神社の神門は、明治維新以後に津山城内の門を移築したもので、津山市指定重要文化財となっている。
10/15/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 国指定重要文化財 大神山神社奥宮 米子市尾高にある大神山神社の奥宮。大神山とは大山の古名で、大国主命(大黒さま)が祭ってある。社殿は文化2年(1805年)の建立と伝わり、神仏混淆時代の神社の特徴である権現造りで、中国地方でも大きい方の神社。参道の途中にある神門は、門の表裏が反対になっているので「後向き門」と言われている。
10/14/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県指定重要文化財 大神山神社奥宮神門 単層・桧皮葺・四脚の向唐門で、江戸時代末期の技法が豊かな門である。神門右側の石柱にあるように、安政4(1857)年に今の日野郡根雨の近藤氏が寄進したことがわかる。この神門は、門の表裏が反対になっているので「後向き門」と言われている。毎年6月初めの山開き祭はここで行われる。
10/14/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国指定重要文化財 下山神社 備中郡司渡邊日向守一子照政公参拝が、元徳2(1330)年、大神山神社参拝の帰路不慮の最後を遂げた。これを憐れんだ人々が大山下山の地に祠を建て下山神社と呼んだのが始まり。その後、此の地に奉還したもので多くの武将の信仰があり、現在の社殿は、石州津和野の領主亀井隠岐守矩賢公が文化2(1805)年に再建したもの。
10/12/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国指定重要文化財 本荘八幡宮 通仙園の入り口右側にあり、源平水島合戦の地である水島灘を見下ろすことが出来る。この本荘八幡宮のある地域は、平安時代、備前国通生荘(かようしょう)の一部であり、その内の本荘にあったことから本荘八幡宮と呼ばれたのではないだろうか。三間社流造。
10/07/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 亀石神社 亀石神社は、神武天皇の水先案内をした神が乗った大亀の化身(亀岩)を祭った神社で、毎年旧暦6月15日には、帆柱から山形にちょうちんを飾り付けた美しいシャギリ船が笛や太鼓などを演奏しながら水門湾内を巡回し、五穀豊穣を祈る古式豊かな満潮祭が催される。
09/23/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 金刀比羅神社ー中津井ー 中津井川沿いの屏風岩と呼ばれる岩に沿う、極めて狭い所に神社が建てられているのに関心を持ち参ってみた。中津井川によって浸食されたのか、大きな地殻変動があったのか知らないが、切り立った巨大な岩とその脇に祀られた神社に、人々の自然に対する畏敬の念を強く感じた。
07/15/2017 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 岡山市北区市街地とその周辺の寺社 岡山市北区の市街地とその周辺にある寺社、特に岡山ゆかりの武将、藩主にゆかりの深い寺社や歴史ある寺社を中心に訪問。北区の内吉備路、庭瀬、御津、建部地区の寺社はこことは別にそれぞれの地区に掲載。
07/15/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国指定重要文化財 皷神社 皷神社は備中二宮で、主神は、四道将軍の1人として、吉備を平定したとして知られる、吉備津彦命の后、高田姫命。かっては、五社殿があり、「皷五社大明神」と称せられていた。本殿に向って左奥手に、鎌倉時代の特徴を伝える南北朝期の名 […]
07/02/2017 / 最終更新日時 : 03/12/2018 桃太郎 主な庭園 宗忠神社 教派神道の一つである黒住教の教祖、黒住宗忠を祭神として、京都の神楽岡宗忠神社ー文久2(1862)年鎮座ーに続いて、祭神の生誕地に、明治18年(1885)建立、鎮座された。黒住教本部は、道路道路拡張の影響で、昭和49(1974)年に岡山市尾上の神道山へ遷った。
07/01/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県指定重要文化財 今村宮 浮田直家が岡山城を拡張した際、内山下榎の馬場にあった三社明神を現在地に移し、同地の八幡宮と合祀したもの。本殿は、元和9(1623)年に再建された、桃山時代の特色をよく伝える建物(岡山県指定重要文化財)である。
06/28/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 金刀比羅神社 宇喜多直家が岡山城に入城した時の城下町整備で創建された、旧山陽道に面した神社。昭和20年6月29日の岡山大空襲により付近一帯が焼け野原となるも、翌年には本殿と社務所が再建されたとか。狛犬や石灯籠、手水鉢にその痕跡が残っているのが戦災の恐ろしさを物語っている。
06/21/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 市町村指定重要文化財 志呂神社 志呂神社は、作国が備前国から分国した奈良時代の和銅6(713)年の創建と伝えられる古社。現在の本殿は、中山造より発展した総欅造の出向拝を備えた入母屋造妻入で、江戸時代後期の嘉永元(1848)年の改築。秋の大祭に奉納される […]
06/17/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 市町村指定重要文化財 七曲神社 七曲神社は松田氏の氏神として、長禄元(1457)年ごろ神奈川県七曲山から金川に勧請されたと伝えられている。三十六武仙図は、古代の吉備津彦命から室町時代の足利義満まで三十六人の武将を選んで、狩野十兵衛が桧板6枚に描いたもので、日置忠明が武運長久を願って、寛文13(1673)年に奉納。
06/16/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 郷土記念物 徳蔵神社の森 徳蔵神社は、古事記に登場する天児屋根命を祭っているといわれる由緒ある神社で、地元の鎮守の森として住民に親しまれている。周囲の森林は、シイノキを優占とし、アタカシ、ナナメノキ、スギなどが混生し、自然の状態が良く保存されている。このようなシイノキの大木が群生する森は県下では珍しい。
06/03/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 市町村指定重要文化財 栗村神社本殿 栗村神社は、吉備津神社72末社のひとつといわれ、周囲や本殿の床下には磐座(いわくら)と思われる巨岩がある。本殿は三間二間の入母屋造社殿で、内部は宮殿を安置し、その左右に小部屋を造り髄神を祀る。建立の時期は宮殿内部の扉銘板から元禄15(1708)年とみられる。
06/03/2017 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 市町村指定重要文化財 栗村神社 このお宮の縁起口碑によれば、当社は中山七十二社の末社の一つであり妹尾叔奈麻呂の新居跡である。叔奈麻呂は吉備津彦の軍に従い早島の海賊を三嶋部の大依別(おおよりわけ)と部下の足速男(あしはやお)等と謀って賊軍を打ち果す等の功績ありし人であり、その功により中山七十二社の一つに加えられた。
06/03/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 粟村天満宮 妹尾小学校の北西に位置する栗村神社境内に、学問の神として全国的に崇敬厚い菅原道真公の御分霊を大宰府天満宮より拝領して奉斉している。
05/30/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 御前神社 吉備津神社の摂末社72社の一社としてまた、妹尾西磯の鎮守社として祀られた神社。境内の燈籠には、開闢 神亀3(726)年とあり古くからこの地に鎮座していたものと思われる。吉備津彦命が汗入の沖で大風により船が転覆しそうになった時大亀に助けられたという伝説があり境内には亀が祀られている。
05/26/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県自然環境保全地域 安仁神社 備前地域では最古の記録を持つ神社で、元は宮城山にあり、主祭神として五瀬命を祭る。社名の「安仁」は、神武天皇の「兄」を仮名書きしとことに由来すると言われている。現社地には、江戸時代前期に岡山藩主・池田綱政によって移され、現社殿は明治18(1885)年に改築されたものである。
05/23/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 阿保田神社 平重衡の兵火により焼失した東大寺大仏殿を再建するにあたり、大勧進職に任ぜられた重源が、備前の国万富で瓦を調達することに決め、瓦を焼く工事の安全と良質の瓦を得る加護を受けるために、東大寺の守護神「田向山八幡宮」をこの地に勧請したのが阿保田神社の起源。
05/13/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 古宮神社 元禄5(1692)年、津田永忠が沖新田の干拓を行った際、干拓した沖新田全体の産土神として沖田神社を元禄7(1694)年5月23日、御野郡の住吉宮に勧請。同じ年の元禄7(1694)年9月3日、ここ沖元の宮地に遷宮。しかし、 […]
05/12/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 住吉宮 元禄5(1692)年、津田永忠が、岡山藩主池田綱政の命により、沖新田の干拓を行った際、干拓した沖新田全体の産土神として沖田神社を最初に勧請したのがここ御野郡(現在の岡山市南区福島)の住吉宮。現在は旭川の河川敷となっている […]
05/11/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 平賀元義ゆかりの地ー布施神社境内ー 平賀元義は、岡山藩士の家に生れながら、脱藩、放浪生活を送り、新古今調の和歌が全盛だった幕末に、ひとりおおらかな万葉調の歌を詠んだ異色の郷土歌人で、明治になり正岡子規に万葉以来の歌人と絶賛された。その平賀元義が晩年滞在していた所ー布施神社ー。境内には歌碑が二基建てられている。
05/07/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 沖田姫神社 沖田神社の本殿の背後に平成8年4月に建立された神社。沖田神社には沖田新田干拓の際、潮止め工事が難航し「きた」という女性が人柱として龍神に捧げられたとの伝説があるが、ここでは「おきた姫」を実在の女性と書かれている。
05/07/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 道通宮 沖田神社の末社の一つで猿田彦命を祀る。天正10(1582)年6月4日、備中高松城水攻めの際、城主清水宗治の次男、長九郎がかねてより信奉していた道通宮に祈願したところ、一匹の白蛇に守り導かれて西大島の御滝山(現在の笠岡市西大島)に逃れることができたことに始まるとされる。
05/07/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 旅日記 沖田神社 岡山藩主池田綱政の命により、備前国南部の沖新田全体の産土神として勧請、鎮座。沖新田は、池田綱政の命で、津田永忠の指揮の下、干拓によりできたものであるが、潮止め工事が難航したため、「きた」という女性が人柱となって龍神に身を捧げたという伝説が伝えられている。
05/02/2017 / 最終更新日時 : 01/05/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 操山周辺の神社・仏閣 金蔵山古墳をはじめ多くの古墳が築造されている事からも明らかな通り、古くから開けた操山山麓には、多くの神社・仏閣があり、自然豊かで心安らぐ空間を作り出している。これらの多くは、登山口近くにあるので、その目標としてまた、歴史探訪や散策の場所としても訪問をお勧め。
04/24/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 湯迫日吉神社 天台宗の湯迫山浄土寺の境内に西に向かって祀られている旧湯迫村の氏神様。ここに祀られた年代は不明であるが、比叡山延暦寺とその鎮護神として祀られた日吉神社の関係に見られるように、浄土寺の鎮護神として祀られたのが始まりと思われる。明治時代になって神仏分離令により分離。
04/20/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 石高神社 操山の南側、操山山系から突き出した小高い丘の上にある氏神様。岡山県神社庁のホームページによると、備前の式内、式外古社128社の内の1社で、現在位置から北東部、操山山系の一つ高倉山にあった石高神社と西方の嶽岩坪にあった八幡宮を天和3(1683)年に合祀したとか。
04/17/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 備前国総社宮 かって国司はそれぞれの国で国内のすべての神社を一宮から順に参拝していた。平安時代になって、この参拝を効率化するため各国の国府近くに国内の神を合祀する為に設けられたのが総社。ここは、備前国府の北西に位置し備前国内にあった神社128社の祭神を集めたものと伝わっている。
04/15/2017 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 城跡 龍之口八幡宮 龍之口八幡宮創建の年代は明確ではないが、奈良時代の天平勝宝年間と伝えられている。江戸時代には岡山藩主池田家の崇敬を得て社領十五石を受けていた。最近は受験の神様として県下全域は勿論、近県の受験者からも崇敬されている。本殿後ろからの眺望が素晴らしい。
04/01/2017 / 最終更新日時 : 01/10/2020 桃太郎 神社 日月水火神社 遥照山に行っていつも思うのが、何とも不思議な名前の神社です。日月火水木金土と並んでいるのかと思えば、そうでもなく、火と水が逆の順序に、またその読み方も「ひつききびじんじゃ」。同じ境内には、観音様や龍神様も祀られています。
03/29/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 鴨神社 創祀年月は不詳。平安朝の頃、京都より加茂大明神を勧請し、氏神として奉斎、明治20年太政官布告により、鴨神社と改号。明治40年火災により焼失、幣殿と拝殿は明治45年に再建、本殿は昭和18年に再建竣工し旧に復した。戦前、戦中、戦後を通じ氏子はもとより、近郷近在の多くの人々の、魂のよりどころとして崇め祈っている。
03/22/2017 / 最終更新日時 : 06/24/2018 桃太郎 神社 天満宮ー松ヶ岡ー 長津の松ヶ岡に鎮座する天満宮は、その名のとおり菅原道真を祭る社である。かって瀬戸内の「吉備の穴海」に浮かぶ島であった早島は、九州から畿内をめざす船の航路に位置していたといわれ、九州大宰府へ流れる菅原道真がその途中休憩のため、ここに立ち寄ったという伝説も残されている。
03/20/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県指定重要文化財 加茂総社宮 奈良時代の宝亀2年に、備前国津高郡長田荘の氏神として創建、天喜年間に加茂郷に鎮座する古社8社を相殿に配祠しするとともに、加茂大祭を創始。現在も、10月第3日曜日に行われる加茂大祭は、近郊の8社から神輿が集まる寄宮祭(県指定無形民俗文化財)で、県下三大祭りの一つとされている。
03/17/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 円城寺提婆宮 円城寺の鎮守提婆天を祀っているー鎌倉中期の創祀ー。古くから「加茂の提婆は人をとる」と言われており、呪詛の社としてよく知られている。深夜、提婆宮に参り、境内の古木に呪釘を打つと、この提婆宮の狐が相手に取り付いて殺してしまうという言い伝え。
03/17/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 根本稲荷 建立は不明であるが、約320年前に鎮座されていた記録があり、現在の建物は昭和52年に建築されたもので、本尊は走る白狐に乗る美しい天女の姿をした吒枳尼天(だぎにてん)が祀られている。名前の由来については京都鈴鹿山の根本稲荷明神を勧請していることから、根本稲荷と呼ばれている。
03/07/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 国指定重要文化財 吉川八幡宮 旧黒山村に第15代応神天皇の巡幸があったと伝わる天安元(857)年に八幡宮を祀ったのが始めといわれる。平安時代後期の永長元(1096)年になって現在地に遷座、京都・岩清水八幡宮の別宮として繁栄した。本殿が国指定重要文化財で、随身門と拝殿が岡山県指定重要文化財に指定されている。
03/05/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 猿田彦神社 熊山の山頂にある熊山奥吉原郷土自然保護地域内に祀られている神社。かっては帝釈山霊山寺があった地域なので、明治以前の神仏習合の時代には、帝釈山霊山寺や熊山神社と共に一体的な霊場であったのであろう。参道脇には大国主命の御旅所があるので今は熊山神社の摂社か末社なのだろうか?
03/04/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 熊山神社 熊山の山頂に祀られている熊山神社は、切妻平入り神明造りの本殿で、祭神は大国主命。熊山山頂付近には中世「帝釈山霊山寺」の伽藍があり熊山神社はその鎮守であった。明治初期の神仏分離令により開扉。境内には、児島高徳挙兵の跡として、上寺山の館から熊山に兵を挙げた時の腰掛岩と旗立岩がある。
02/21/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 田倉牛神社 社殿は無く、備前焼の牛が10万~20万個積まれた神座の上に、高さ40cm程の石像の牛がご神体として載っているという神社。願いをかなえたい人は、この神座の備前焼の牛を一体持ち帰り、願いがかなうと、持ち帰った牛にさらに一体を […]
02/18/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 日吉神社 本社の創建は八塔寺と同じ神亀5(728)年。かっては神仏一帯の霊地で、祭神は大山咋命、大物主命。地主の神で、比叡山と日吉神社の関係と同様神仏一帯の霊地であった。八塔寺と盛衰をともにし、一時は社領没収、境内は荒廃したが明治5(1872)年村社に列したという。
12/10/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 忌部神社 天津神社の境内末社の一つで、天津神社の西、伊部北大窯の近くにある神社。備前焼の窯元六姓(金重・森・木村・大饗・寺見・頓宮)の窯元たちが、古くから小さな祠があったこの地に、昭和4年に伊勢神宮から摂末社をいただきこの神社をまつったとされている。例祭日ー5月15日に備前焼陶友会会員ら参列の下開催。
12/09/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 天津神社 応永18(1411)年以前の創建で、昔は浦伊部にあったが、御神託により、天正7(1579)年に現在地に遷宮した。本殿は、延宝6(1678)年の建築で蟇股、虹梁、木鼻の繰形が特にすばらしい流れ造りの堂々とした一間社で、、江戸前期の一間社建築として例のないすぐれた建築である。備前市指定文化財。
11/22/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 日本遺産構成文化財 由加神社 由加神社は、和気氏の氏神様として平安時代後期、天永3(1112)年に西久保方の上山上に建立された。南北朝時代の建武4(1337)年、足利氏に従い九州で戦い戦利を得た、赤松則祐(播磨守護職)によって現在地に移された。古来より由加大明神と呼ばれていたが、明治5年に由加神社と改称した。
11/20/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 和気神社 備前国和気郡より出で、奈良時代から平安時代にかけて中央政界で重きをなし、長岡遷都や平安遷都に尽力した和気清麻呂公をはじめ和気氏の先祖を祀った神社。狛犬は全国的に珍しい「狛イノシシ」。厄除開運、学問成就、安産・子育てなどにご利益があるとされている。
11/13/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 豊原北島神社 西大寺観音院から吉井川の東に見える、上寺山と呼ばれる小高い丘の上に鎮座する神社。餘慶寺に隣接しており、神仏習合の形態を今に留めている。神社草創の舒明天皇6(634)年頃は磐座信仰が行われていたとの記録がある。
10/26/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 牛窓神社 本殿は、文化9(1812)年の再建・古くより石清水八幡宮の牛窓別院とされる。三間社・向唐破風・千鳥破風付入母屋造。主な文化財におかげ参り図絵馬がある。牛窓海水浴場横に鳥居がありうっそうとした社叢に向かって石段が伸びている。途中見晴らしのよい蕪崎園地ー展望台ーあり。
10/14/2016 / 最終更新日時 : 04/12/2021 桃太郎 神社 牛窓天神社(天満宮) この牛窓天神社(天満宮)は、菅原道真公が大宰府へ流される途次この山の岩に腰を掛け讃岐の方を眺められ、讃岐の守であった昔を偲ばれた所といわれている。公の死後、牛窓の人々が岩の跡に社を建て、宝暦6年(1756年)に大宰府より御神体を勧請して牛窓天神社(天満宮)として崇めてきている。
10/14/2016 / 最終更新日時 : 04/13/2021 桃太郎 神社 金比羅宮・荒神社ー牛窓ー 金比羅宮は、城山と呼ばれている高台に祀られており、眼下には牛窓の町並みが、またその向こうには瀬戸内海の美しい多島美が広がっている。昔、不漁と海難事故に苦労した地元の人々が、讃岐の金毘羅大権現に願って、既に祀られていた荒神社と併せて祀ったといわれている。
10/13/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 五香宮 本殿は、寛文7(1667)年の再建、その後大正7(1918)年大きく改築されている。古くは海上安全、航海守護の神、住吉神社と呼ばれる。神功皇后が海路の平安、ご安産を祈願をされた伝説がのこり、神功皇后ご着用の御腹帯が御神宝として伝わっている。その他、宝物に鎧・馬具(いずれも県指定)がある。一間社神明造り銅板葺き。
10/09/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 八幡神社ー真鍋島ー 八幡神社の祭りに真鍋島走りみこしがある。八幡神社から前の浜に担ぎ出された3体のみこしが飾り立てられた漁船に乗せられて本浦地区に上陸、競争しながら島を走り抜けるという行事。子供達による舞も奉納される。