清水宗治の胴塚

時に天正10年(1582)6月4日、自決した高松城主、清水長左衛門宗治公の首級なき胴体遺体は舟上のまま本丸に帰ってきた。迎える家臣、身内の者共、抑えきれぬ涙に感極まって一同の嗚咽がおこった。
やがて回向の声に包まれ、池の下丸、この地に手厚く葬られた。その墓穴に臨んだ公の介錯人国府市佑は己が刀で己が首を切り、そのまま落ちこんで自刃し亡き公の後を追った.。

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この主にしてこの臣あり 主を思う真情躍如たるものがある。
昭和49年9月高松城址保興会(現地案内版)
この胴塚は、備中高松城水攻め跡公園のすぐ北の集落の中にある。