田中索我の墓
備中鴨方に生まれ、京都で鶴沢探索に学び、仙洞御所の屏風・杉戸などを制作した江戸時代後期の画家、田中索我ー寛保2(1742)年~文化11(1814)年ーとその子の墓。晩年は鴨方に帰り、求めに応じ筆をとるとともに、同郷の西山拙斎と親しく交わり「索我描けば、拙斎賛す」という仲であった。
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名称 | 田中索我(たなかさくが)の墓 |
所在地 | 〒719-0243 浅口市鴨方町鴨方330 |
TEL | 0865-44-9035 浅口市観光協会 |
名は守貫、索我は画号である。
鴨方三日市に居住し、幼少より画才があり、長じて京都にのぼり、鶴沢探索に従って、専ら画法 明和7年(1770)仙洞御所の屏風二双、杉戸二枚に揮毫を命ぜられ寛政元(1789)年法橋上人位に 後、鴨方に帰り絵筆をとる傍ら、和歌を好み、酒を嗜み、同郷の西山拙斎とは殊に親しく、 文化11年(1814)正月7日没、行年73歳、 子、彦太郎守義も、鶴沢探泉に学び、父と並んで画を大成した。 父子前後して墓碑があり、この碑文は、西山拙斎の次子、謹(復軒)の撰並びに書に 鴨方町教育委員会 鴨方町文化保護委員会(現地案内板) |
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交通 | JR山陽本線鴨方駅より徒歩約30分、または遥照山行または循環バス5分、本町下車すぐ、
山陽自動車道鴨方ICより車で約5分 |
駐車場 | 普通車10台 |