早島公園
早島町内の歴史探索路として親しまれている「不老のみち」の途中、早島駅や「いかしの舎」からも近い所にある公園。4月の桜、5月のフジやツツジで知られており、市民の憩いの場となっている。山頂からは、児島半島やその手前に広がる児島湾干拓地を望むことができる。
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名称 | 早島公園 |
所在地 | 〒701-0304 早島町早島1329-1 |
TEL | 086-482-0615 早島町観光協会 |
規模 | 200本 |
花季 | 3月下旬~4月上旬 |
特色 | さくら祭期間は夜間照明あり |
干拓史 | 早島の歴史は、町の南部に広がった児島湾の干拓の歴史でもある。
かって瀬戸の「吉備の穴海」と呼ばれたこの地域も、時代とともに高梁川などの運ぶ大量の 戦国時代の終わり、このあたりを支配した宇喜多秀家はこの干潟の開発を思いたち、天正12年 この汐止堤防は「宇喜多堤」と呼ばれ、以後400年にわたる干拓の歴史の幕開けであった。 また、高梁川から引かれた用水は浜村・子位庄村・東阿知村・三田村・西之庄村・五日市村 江戸時代、早島に入った旗本戸川家も、承応元年(1652)の西田新田の開発に始まり、 しかし、干拓による新田開発には多くの問題があり、それが漁業権や水利権にかかわって 早島では沖新田の東部に広がる干潟の開発をめぐり、早島・妹尾・箕島・帯江などの備中の その結果、この干潟を含む児島湾一円は備前領ということになり、文政6年(1823) 明治以降、干拓の事業は大阪の政商藤田伝三郎に引き継がれ、明治45年(1925)には藤田 その後戦争など諸般の事情で事業は一時中断したが、昭和25年には3区・5区が昭和30年には そしてここに400年にわたる児島湾の干拓が終了した。 そしてここに400年にわたる児島湾の大干拓事業は幕を降ろしたのである。 今、目の前に広がる豊かな備南の大地には、このように400年にわたる人々の干拓への熱い |
交通 | JR瀬戸大橋線早島駅より徒歩約15分、
瀬戸中央自動車道早島ICより車で約5分 |
駐車場 | 普通車20台 |
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