庭瀬往来

庭瀬往来

JR岡山駅から山陽本線で西に二つ目の庭瀬駅近くには、戦国時代に備中の武将、三村元親が備前の宇喜多直家の侵攻に備えて築城した庭瀬城がある。この庭瀬城城主はその後、宇喜多氏、戸川氏と時代と共に代わり、江戸時代の途中からは、庭瀬陣屋と撫川陣屋に分かれ、城下は二つの陣屋町として治められ明治維新を迎える。

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庭瀬城跡

庭瀬城跡

庭瀬城跡

備中松山の三村元親が、備前宇喜多氏の侵攻に備え築いた城だが、慶長7(1602)年には、戸川達安が入城、城を拡張して城下町を整備した。4代目藩主が早世、戸川家は断絶、改易となり、元禄12(1699)年になって板倉氏の居城となり、板倉氏で明治を迎える。

旧庭瀬港と常夜燈

旧庭瀬港と常夜燈

旧庭瀬港と常夜燈

陣屋町庭瀬は、庭瀬往来や足守川があったことから、明治24年の山陽鉄道開通までは、足守川とその支流や地区内に張り巡らされた堀や水路を利用した船運が盛んで、足守川河口で瀬戸内海を航行する船から小船に積み替えられた積荷はここ旧庭瀬港に運ばれていた。

撫川城跡

撫川城跡

撫川城跡

永禄2(1559)年に備中成羽城主三村家親が、備前の宇喜多直家の侵攻に備えて築城。城跡は東西77m、南北57mの長方形で、外側に幅15mの濠をめぐらしている。城跡の北側と西側には完全な石垣が残り、戦国時代末期の沼城の跡を留めている。

名称  陣屋町庭瀬
所在地  岡山市北区庭瀬・撫川
TEL  086-293-1111 岡山市吉備支所
交通  JR山陽本線庭瀬駅より徒歩約7分、

山陽自動車道倉敷ICより車で約30分

駐車場  ー
清水山松林寺

清水山松林寺

松林寺

歴応2(1339)年、白幡城主赤松円心が、別峰和尚を招いて開山、元禄12(1699)年入封の庭瀬藩主板倉重高は篤く帰依し元禄15(1702)年には菩提寺としている。応永12(1405)年に制作された、寺宝の絹本著色開山別峰国師頂相は、岡山県の重要文化財。

法万寺川

法万寺川

法万寺川

この法万寺川の水は、高梁川から取水した農業用水が、足守川を経由で流れてきている。江戸時代には庭瀬城の外濠として、また、水路を水運として利用、備中南部の舟物資集散地の要所として栄え、水路には雁木が設けられ、荷物の積み替えも行われていた。

不変院

不変院

不変院

戸川達安公が、慶長7(1602)年に庭瀬に封ぜられた時に建立、城国院日鳳上人によって開かれた戸川家の菩提寺。代々藩主から寺領を受け、領内十数ヶ寺の座主を務めていた。境内には戸川家累代の墳墓があり、境内には不変院の鎮守として八幡大菩薩が祀られている。

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応徳寺本堂

応徳寺本堂

応徳寺

臨済宗東福寺派の寺院で、応永2(1395)年に円光国師が薬師如来を祀って開山。盛衰を経て、寛文9(1669)年、撫川藩主戸川安宣により、また文政6(1823)年に心界和尚来任時などに復興発展を重ね、明治以降も檀家の篤志により繁栄してきた。

旧撫川大橋の常夜灯

旧撫川大橋の常夜灯

旧撫川大橋の常夜灯と親柱

庭瀬往来が足守川を渡る所に、全長22m程の橋が架けられ、そのたもとには石造の常夜灯と親柱があった。この撫川大橋が昭和43年に少し南に架け替えられた時、東側たもとにあった石造の常夜灯と親柱が移設され、大橋中之町公民館前に保存されている。

金花山観音院

金花山観音院

観音院

奈良時代の神亀~天平年間(724~749)の創建と伝えられ、戦国時代の備中兵乱によって荒廃、長期間再建されなかったが、江戸時代初期の寛永6(1629)年になって宥賢和尚により現在地へ移転、再興された。現在の本堂は昭和59年に建築されたもの。

常夜灯

常夜灯

常夜灯ー信城寺境内ー

撫川と庭瀬の堺となっている堺川の撫川寄り、北側の橋詰にあった常夜灯。最上部の宝珠まで地上総高4mに余る大きさで軸石の三面に「吉備津宮」「文化二年乙丑九月吉旦」「発起人橋本屋吉兵衛」の銘があり、四段の台石の上段には「世話人大黒屋」「栄講中」とある。

太鼓橋ー撫川ー

太鼓橋

太鼓橋

撫川城跡の北西部にあり、戸川氏の時代にはここに撫川知行所総門があったと言われている。総門は現在撫川城址公園の門として移設。撫川城周辺はもともと沼地で、運河が張り巡らされ、橋も数多くあったものと思われるが、現在はこの太鼓橋だけが当時の様子を語っている。

金毘羅道の道標

金毘羅道の道標

金毘羅道

「こんぴらさん」に参詣する往来に建てられた道標。岡山城下からは、野田付近で庭瀬往来と別れて南下、下津井湊を通るルートの他、江戸中期以降は、「瑜伽大権現」との両参りも盛んになり、吉備津神社、高松稲荷を参詣して庭瀬、早島、天城を通る人々も多くなった様子。