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水谷公廟所ー定林寺ー

水谷公廟所ー定林寺ー

高梁市指定重要文化財
この廟所には当時の備中松山藩主・初代・水谷伊勢守勝隆公が寛文4年(1664年)に没し、法名・大龍寺殿前勢州太守鐡山全性大居士として向かって右側に祭られております。
また三代・水谷出羽守勝美公が元禄6年(1693年)に没し、法名・隆昌寺殿前羽州太守天山全長大居士として祭られ、左側に並んで静かに眠っておられます。
なお、二代・水谷勝宗公は元禄2年江戸にて没し、高輪・泉岳寺に葬られておりますが、法名・栄興院殿前左京亮健岑全勇大居士として御位牌を当寺・位牌堂にお祭りしております。
定林寺と水谷公
初代・勝隆公が下館(茨城県筑西市)定林寺に葬られている先代・水谷勝俊公(法名・後定林寺殿暃山全虎大居士)、先々代・水谷政村(正村)公(法名・月照院殿玉叟全珍大居士)など先祖の菩提供養のため発願し、当山開基となって城下東山麓に大普請工事の末、禅宗造りの大伽藍を完成させ、水谷家の菩提寺とされました。
              玉叟山定林寺(現地案内板)
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