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犬養毅銅像

犬養毅銅像

犬養毅(木堂と号す)は安政2(1855)年に備中国賀陽郡庭瀬村(現在岡山市北区川入)に犬養源左衛門の二子として生る。
明治8年(21才)西南戦争の起るや従軍記者となったが、その後、文筆と雄弁とをもって政治運動に入り明治23年(36才)衆議院議員となる。
明治31年(44才)文部大臣に任ぜらる。
その後、立憲国民党革新倶楽部等を組織し、「憲政の神」と称せらる。
大正13年(70才)逓信大臣、昭和4年(75才)政友会総裁となり昭和6年総理大臣となる。
しかるに、翌昭和7(1932)年いわゆる五一五事件勃発し過激派のために官邸にて暗殺さる。
享年78才。
正二位・旭日桐花大綬章を追贈せらる。
毅の生家(此処より南方へ約3キロに現存)は代々庭瀬藩の大庄屋、その遠祖犬養健命(たけるのみこと)は大吉備津彦命の随神なり、よって氏吉備津神社のため尽瘁(じんすい)するところ多し、毅の没するや郷党の人々その高風を慕い、昭和9年この地に銅像を建つ。
作者は朝倉文夫、雄姿堂々として天下を睥睨(へいげい)するの概(がい)あり。(現地案内板)
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