金刀比羅神社

金刀比羅神社

金刀比羅神社

宇喜多直家が岡山城に入城した時の城下町整備で創建された、旧山陽道に面した神社。昭和20年6月29日の岡山大空襲により付近一帯が焼け野原となるも、翌年には本殿と社務所が再建されたとか。狛犬や石灯籠、手水鉢にその痕跡が残っているのが戦災の恐ろしさを物語っている。

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名称  金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)
所在地  〒700-0815 岡山市北区野田屋町2-10-9
TEL  ー
祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)、加具土命(かぐつちのみこと)、

品田別命(ほんだわけのみこと)

創建 天正元(1573)年
概要 金刀比羅神社は、天正元(1573)年宇喜多直家入城による城下町整備に伴ってこの地に
創建。その後岡山城主となった宇喜多秀家が国家安泰の祈願所とした神社といわれ、
金比羅大権現として祀られていた。

江戸時代、神社の前は西からの諸大名が参勤交代に江戸に赴く道筋(旧山陽道)であり、
諸大名や旅人が拝礼して通過していたと伝えられている。

寛政年間(1789~1800)、池田光政が母福照院のために建てたといわれる養林寺から
出火した時に類焼するなどの歴史を経た後、明治2年5月に現在の社名に改名。

昭和20(1945)年6月29日未明の岡山大空襲で、付近一帯の市街は焼け野原となり、
金刀比羅神社も多くの焼夷弾を受けて建物は全焼。

狛犬や燈ろう、手水鉢は、焼夷弾により欠けたりしながらもかろうじて残り修復
されたが、その傷跡がかっての空襲の激しさを今に伝えている。

戦災前の建物は、本殿、幣殿(へいでん)、拝殿、渡殿(わたりでん)、
神馬殿(しんめでん)などがあり、末社として稲荷神社、天神社、春日神社を
擁(よう)していた。

終戦の翌年には、本殿及び社務所が再建されたといわれるが現在の建物は、
昭和58(1983)年に再建された時のもの。(現地案内板を参考)

行事 元旦祭ー1月1日、例祭ー10月10日、月次祭ー毎月9日
ご利益 病気平癒、厄難消除、縁結び、家内安全、商売繁盛、海陸空路安全
摂末社 春日神社、天満宮、稲荷神社
交通 JR岡山駅より徒歩約10分、

山陽自動車道岡山ICより車で約15分

駐車場  無し

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