倉安川吉井水門
倉安川吉井水門は、吉井川を下る高瀬舟を直
吉井川を下る高瀬舟を直接岡山城下へ導くと共に、新田の灌漑のため岡山藩主池田光政が津田永忠に命じてつくらせた延長約20kmに及ぶ運河ー倉安川ーの取入口の水門。この水門の特徴は、二つの水門によって水位差の調節を行い通船する閘門式の水門で約300年を経た現在もほとんど完全な形で残っている。
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名称 | 岡山県指定史跡 倉安川(くらやすがわ)吉井水門 昭和34年3月27日指定 |
所在地 | 〒709-0601 岡山市東区吉井 |
TEL | ー |
特色 | 倉安川(くらやすがわ)は倉田(くらた)・倉益(くらます)・倉富(くらどみ)の三新田 の灌漑(かんがい)と吉井川・旭川間の連絡のため、岡山藩主池田光政(いけだみつまさ) が津田永忠(つだながただ)に命じてつくらせた延長約20kmに及ぶ水路。 延宝(えんぽう)7年(1679)2月に起工、同年中に完成している。 吉井水門は、吉井川からの取水口にあたり、吉井川の堤防に築かれた「一の水門」と、 また、船だまりは、出水時の船の待避や検問に使われた。 昭和48年からの坂根堰(さかねぜき)改修に伴い、水門としては使われていないが、 |
倉安川 | 倉安川は、延宝7年(1679)池田光政が津田永忠に命じ、吉井川と旭川を結んで開削させた 延長約20km、幅約7mの水路。 倉安川には大きく灌漑用水路としての機能と舟運のための運河としての機能の二つがあった。 灌漑用水路としての役割は、新たに開発された倉田新田及び沖新田への用水供給という役割 用水の配分は番水制によって管理され、現在においても承継されている。 倉安川の運河としての役割は、岡山の城下町への年貢米等の運搬路として高瀬舟などの航行に また、池田光政が江戸からの帰途、和気郡坂根村から船に乗り岡山城へ帰ったこともある。 この川は、はじめ新川とも称されていたが、津田永忠の意見により、倉安川と命名された。 倉安川沿いには、常夜灯、高瀬廻し、かわいち(川へ降りる石階段)、船頭道、舟を引く 私達の祖先の生活を育んできた倉安川の三百年の歴史を大切にしながら守り育てていく必要 |
交通 | IR山陽本線上道駅より車で約15分
山陽自動車道山陽ICより車で約20分 |
駐車場 | 有り |
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