黒田家墓所
妙興寺境内の墓所に、黒田家のものとされる墓塔がある。古くて刻まれている文字ははっきりしないが、豊臣秀吉の軍師として活躍した、黒田官兵衛孝高の曽祖父高政の頃のものではないかと云われている。高政は、永正8年に備前福岡に移住、祖父重隆の代になって播磨に移っている。
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名称 | 黒田家墓所 |
所在地 | 瀬戸内市長船町福岡684 |
TEL | 0869-26-2024 |
概要 | 黒田家発祥の地は、奥琵琶湖の長浜市木之本町黒田。
佐々木源氏の流れをくむ一族が、木之本町黒田に住み、源宗清(別名宗満)のときに 黒田高政の子重隆の代になって播磨に移り、御着城主の小寺氏に仕え、姫路城代を任される。 黒田官兵衛は、重隆の子職隆(もとたか)の子として天文15(1546)年11月29日に 長子長政は関が原の役に家康を援けて筑前52万石に封ぜられ城を築いて福岡と命名した。 これは父祖の旧址であり、墓もある故この地名を用いた。 明治の代孝高、長政父子に従三位を贈られた。 茲に有志相謀り墓所を修理し之を建てた。(現地案内板を参考) |
交通 | JR赤穂線長船駅より徒歩約15分、
岡山ブルーライン邑久ICより車約20分 |
駐車場 | 無し |