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西大寺町商店街

西大寺町商店街

ー由来ー
備前を制圧した宇喜多直家は、天正元(1573)年亀山城(岡山市沼)から石山城(岡山市)に移り、城下町をつくるため備前福岡(瀬戸内市)から有利な条件で多くの商人をよびよせ、さらに会陽で栄えた西大寺の門前町からも、山口与左衛門ら二十七軒の有力商人が移り、そこでその町名を西大寺町と呼んだ。
直家の死後、その子秀家は父の築いた石山城よりも拡張整備した岡山城を築き、同時に城下町の繁栄を考え、西国往来(山陽道)の道筋を変えて、京橋ー西大寺町ー福岡町(表町筋)を通るようにした。
城下町完成は、慶長三(1598)年頃と言える。
尚、表八ヶ町の愛称が生まれたのは、明治三十六年といわれ、後日橋本町(京橋町)が抜けて、千日前がこれに代わって加わり現在に至る。

今屋
おなじみ「備前太鼓唄」にみえる。
備前岡山西大寺町 大火事に 今屋が火元で五十五軒 コーチャエ コチャエ・・・・・で知られている。
天保五(1834)年三月二十六日夜半、西大寺町の中ほど南側にあった今屋喜兵衛の物置納屋から出火、岡山城下町の大火災となった。
「岡山市史」によると、丸焼四十三、半焼十三、取り壊し家屋四、計六十軒なり
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