大廻小廻山城跡

小廻山ー草ヶ部大池よりー

小廻山ー草ヶ部大池よりー

大廻小廻山城跡は、総社市の鬼ノ城と同時期、663年の白村江の戦いなど、東アジア情勢が緊迫した7世紀頃に築造されたと推定されている。発掘調査の結果、列石と版築盛土からなる土塁を3.2kmに渡って周囲に巡らせており、土塁が谷部を渡る3箇所には石積みの防塁を伴った水門が造られている。

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名称  国指定史跡 大廻小廻山城跡(おおめぐりこめぐりさんじょうあと)平成17年3月2日指定
所在地  岡山市東区草ヶ部、同瀬戸町観音寺・同瀬戸町笹岡
TEL  086-270-5067 岡山市埋蔵文化財センター
概要  大廻小廻山城(おおめぐりこめぐりさんじょうあと)は「日本書紀」などの歴史書に
記録のない山城で、総社市の「鬼ノ城(きのじょう)」と同じく、7世紀(飛鳥時代)
頃に、唐や新羅といった大陸軍の侵攻に備えて造られた、瀬戸内型、
神籠(こうご)石系の古代山城と考えられる。

標高198.8メートルの小廻山と尾根続きの大廻山からなる主峰、および北西および西側の
谷を取り込んだ単郭式の縄張りになる、全周3.2.km、城内の面積約38.6haの規模を誇る。

整然と並べられた列石(れっせき)と版築盛土(はんちくもりど)からなる土塁(どるい)
を周囲に巡らせており、土塁が谷部を渡る3箇所には石積みの防塁(ぼうるい)を伴った
水門が造られている。

城門や城内の施設についてはわかっていないが、西に備前国府、北に国分寺・国分尼寺や
山陽道、南には国府付属の港といわれる「岩間津(いわまのつ)」と、政治的な中枢や
交通の要衝(ようしょう)を見渡す立地となっており、663年の「白村江(はくそんこう)
の戦い」の後、国内の防備を固める目的で築城された城のひとつとする説が有力。
(現地案内板を参考)

現状  大廻小廻山城跡は、平成17年に国の史跡に指定された後、岡山市教育委員会により、
史跡公園として整備を行うために、土地の公有化など順次整備計画が開始されている
様子である。しかし、現地へ行ってみてまだ、整備はこれからという印象を強く受けた。旧城内の多くの部分が、戦後の開拓団の入植地の様子でブドウ畑など畑が多く、
立ち入り禁止の場所が多い。

一の木戸への道も入口がよく分からない。

たまたま、行き逢った方に一緒に連れて行っていただき、一の木戸を訪れることは
できたが、現地に詳しい人の案内無しでは、行くことができないのではと、強く感じた。

二の木戸へは行く道がわからず(たぶんまだ造られていない)、三の木戸は個人の
所有地内の様子で、残念ながら訪れることができなかった。

常楽寺 国指定史跡、大廻小廻山城跡の東部にある寺院。

備前48ヶ寺の一つで、最も栄えていた時期には20余りの院や坊が立ち並んでいた
といわれている。

山号の「築地山」の語源は、小廻山山頂(標高198m)に弘法大師空海が構築した
霊場の「台輪」とする寺伝や大廻小廻山城跡に築かれている城壁の列石と推定する
説がある。

交通 JR山陽本線瀬戸駅より車で約20分、

山陽自動車道山陽ICより車で約15分

駐車場  ー

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