下津井・下津井港
下津井の下津井港は児島半島の西部に半島状に突き出した鷲羽山麓の長浜(四ヶ浦ーしかうらーとも総称 )と呼ばれていた浜に出来た良港。
西から下津井港・下津井漁港(祇園神社の東西に隣接)、吹上漁港、田之浦漁港(瀬戸大橋に隣接)、大畠漁港(児島ボートレース場西に位置)と連なる五港を総称して呼ばれている。
Sponsored Link
特に江戸時代の中期以降は、北海道から日本海沿岸を通り関門海峡をまわって大坂を結ぶ北前船の運航が盛んになるとその潮待ち、風待ちの港として大いに賑わった。
児島半島はかっては瀬戸内海に浮かぶ島であったが、戦国時代末期の1583年に宇喜多秀家により始められた干拓が江戸時代に入って本格的に進められ、1618年には現在の倉敷市西阿知辺りから粒浦辺りへかけての干拓により半島となった。
上の写真では、手前から田之浦港、吹上港、下津井漁港。祇園神社が祀られている小高い丘祇園鼻の向こうに湾状に入り込んでいるのが下津井港。
鷲羽山の麓の長浜と呼ばれていた浜には五つの港が連なっており(西から下津井港、下津井漁港、吹上漁港、田之浦漁港、大畠漁港)これらを総称して下津井港と呼ばれていた。この下津井港はその内最も西、祇園神社の祀られている祇園鼻の西部にある港で、いわゆる下津井本港に当たる港である。
鷲羽山の麓の長浜と呼ばれていた浜には五つの港が連なっており(西から下津井港、下津井漁港、吹上漁港、田之浦漁港、大畠漁港)これらを総称して下津井港と呼ばれていた。下津井漁港はその内西から二番目、下津井港とは、祇園神社の祀られている祇園鼻を挟んで東側に隣接した港で、岡山県の管理下となっている。
吹上漁港は下津井港の東、田之浦港との間に隣接する港で、下津井港の一部として古くから開けた港である。江戸時代の中期以降、北前船の寄港が盛んになると隣接する下津井港と共に回船問屋をはじめとする多くの商人が在住、それにあわせて船宿や料理屋も増えて繁盛を極めた。
田之浦漁港は吹上港の東に隣接した古い歴史を持つ港で、背後には鷲羽山西麓の谷に沿った集落を控えている。田之浦という地名の由来は、田之浦港背後の丘の上にある田土浦坐神社に起因しているとされている。
大畠漁港は、岬状に飛び出した鷲羽山の南東山麓の浜に、古くから漁港として発展してきた港で、現在も漁港として使用されている。大畠港の背後にある鷲羽山東麓の中腹には、大宝律令の制定された大宝年間に開基されたと伝わる大宝寺がある。