10/02/2017 / 最終更新日時 : 07/14/2020 桃太郎 県指定重要文化財 田原用水水路橋 江戸時代の元禄年間に岡山藩の郡代津田永忠らによって数々の技法を駆使して作られた。田原用水が小野田川を横切って渡るために架けられた石製の水路橋で、長さが12.97m、幅3.19mの県下最大規模のものである。全国的にも、その規模、技術水準の高さにおいて誇り得る貴重なものである。
03/05/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 ハイキングコース 熊山 山頂付近は、熊山奥吉原郷土自然保護地域に指定されており、展望台からは、岡山平野を流れ下る吉井川や、遠く小豆島、屋島など瀬戸内海とその周辺の景色を望むことができる。また、周辺には奈良時代の築造と言われる「熊山遺跡」や児島高徳が挙兵をしたと伝わる熊山神社などがありハイキングコースも整備されている。
03/05/2017 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 猿田彦神社 熊山の山頂にある熊山奥吉原郷土自然保護地域内に祀られている神社。かっては帝釈山霊山寺があった地域なので、明治以前の神仏習合の時代には、帝釈山霊山寺や熊山神社と共に一体的な霊場であったのであろう。参道脇には大国主命の御旅所があるので今は熊山神社の摂社か末社なのだろうか?
03/04/2017 / 最終更新日時 : 03/16/2018 桃太郎 天然記念物 熊山奥吉原郷土自然保護地域 スギ、モミの巨樹をはじめとする針葉樹にスダジイ、ヤブツバキ、ヤブニッケイ等常緑広葉樹による天然林が形成されている。一部には海岸植生の代表であるウバメガシの大樹も見られ、県南部地域の潜在植生をうかがううえで貴重な存在となっている。
03/04/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 熊山遺跡 標高508mの熊山山頂にある全国に類例を見ない石積み遺構で、ほぼ方形の基壇の上に、割石で三段に構築している。第一段は南面が狭く、北面が広い台形、第二段は、南面が広く、北面が狭い台形になっている。第三段は、方形であるが、中央部分に大石で竪穴の蓋がしてある。戒壇に似た、類例のない特殊な遺構である。
03/04/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 帝釈山霊山寺跡 帝釈山霊山寺は、奈良時代、鑑真和上が建立したと伝わる寺で、熊山修験道の拠点となっていたと言われている。現在は、霊山寺本堂に通じる階段跡、「鐘楼か観音堂跡」と思われる遺跡や塔身に「僧顕空 正應五壬辰七月十日」と刻まれた、霊山寺にいた僧顕空のものと思われる供養塔などが残っている。
03/04/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 児島高徳挙兵の跡 児島高徳が25歳の年、足利尊氏が叛いて九州から攻め上がって来た時に、上寺山の館から熊山に旗挙げー建武3(1336)年4月ーをして新田義助を助けに行った所。熊山神社境内、拝殿に向かって右側には、児島高徳が腰掛けたと伝わる岩と旗を立てたと伝わる岩が、前後に並んで鎮座している。
03/04/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 熊山神社 熊山の山頂に祀られている熊山神社は、切妻平入り神明造りの本殿で、祭神は大国主命。熊山山頂付近には中世「帝釈山霊山寺」の伽藍があり熊山神社はその鎮守であった。明治初期の神仏分離令により開扉。境内には、児島高徳挙兵の跡として、上寺山の館から熊山に兵を挙げた時の腰掛岩と旗立岩がある。
03/01/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 小川山 常念寺 自性院 常念寺 自性院は、日野富子が亡き夫、室町幕府八代将軍、足利義政の供養をするため、義政の造営した、京都東山にある慈照寺(銀閣)にちなみ建立した寺といわれている。寺の庫裡の脇の建物には、足利幕府8代将軍の供養塔と将軍の正室、日野富子の墓と伝えられる宝篋印塔が建てられている。
02/28/2017 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 史跡 史跡伝和気清麻呂公墓所 赤磐市熊山地区の松木に、和気清麻呂公・広虫の墓と伝えられる二基の宝篋印塔が建っている。向かって左が、清麻呂公、右が姉、広虫の墓と伝わっている。墓の前には、備前焼の清麻呂像が建っており、毎年3月1日は、この清麻呂塚のお祭りとなっている。
02/27/2017 / 最終更新日時 : 03/12/2018 桃太郎 主な庭園 熊山英国庭園 初夏のバラをはじめ、四季折々の草花が庭園を彩っており、豊かな自然に触れながら、散策や地域の人たちとの交流、学習を楽しむことのできる公園。旧小野田小学校のモダンな校舎内には、カフェ、イベント会場や各種講座を楽しむための教室などがある。