04/22/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 旅日記 家型石棺の蓋ー浄泉山 正法寺ー 西花尻にある浄泉山 正法寺の門を入って左手の庭に不思議な板状の石の板が建てられている。この石の板は播磨国の竜山石(たつやまいし)で造られた刳り抜き式家型石棺の蓋と推定されている。
04/22/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 神社 御崎神社ー西花尻ー ここ西花尻に鎮座する御崎神社(おんさきじんじゃ)は、平安時代中期、醍醐天皇の延喜年中(901年~923年)に吉備津彦命の御墓を守護する御崎の神として創建せられたと伝わる。
04/22/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 旅日記 吉備の中山と備前国・備中国の国境 古代吉備の国は、あまりにもその勢力が強かったため、大和政権により備前国、備中国、備後国に分けられ、その後備前国はさらに備前国と美作国に分けられた旨伝わっている。ここでは、吉備の中山とその周辺にある備前国・備中国国境を示している場所を取り上げる。
04/20/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 史跡 吉備の中山と古墳 吉備の国は大和の国や出雲の国と並ぶ勢力を持ち、その中心が吉備の中山といわれてきた。この山には、最古級の前方後円墳とされている大和の箸墓古墳よりもさらに古い前方後円墳との説もある矢藤治山古墳をはじめ、吉備津彦命の墓ではないかとされている中山茶臼山古墳など多くの古墳が造られている。
04/19/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 吉備の中山と神社・仏閣(寺院) 吉備の中山は、吉備の国の中心にあり神聖な山として古代から崇められてきた。そしてそこにある巨岩を神の依代(よりしろ)即ち磐座として吉備の中山を崇拝する祭祀を行ってきたが、仏教が伝来してくると寺院建築の影響でこの祭祀の場に社 […]
04/19/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 神社 天神社ー西花尻ー この天神社は、鎌倉時代の創建といわれており、菅原道真公をご祭神としてお祀りしている。正法寺の北西、帝釈天への参道の途中に鎮座している。
04/18/2021 / 最終更新日時 : 04/21/2021 桃太郎 磐座・巨石 吉備の中山と磐座・巨石・奇岩など 磐座は、石位・石坐・石座・岩倉・磐倉・石蔵・岩蔵などとも書かれ、またその定義についても専門家の中では様々な説がある。薬師寺慎一氏はその著書「祭祀から見た古代吉備」(吉備人出版)で、磐座(イワクラ)とは神の依代(ヨリシロ)即ち、祭りなどの際に神様が一時的に宿るあるいはお座りになる岩と述べている。
04/17/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 磐座・巨石 影向石ー新宮社跡ー 吉備の中山の西麓で、吉備武彦命を祀っていたといわれる新宮社跡にある影向石(ようごいし)。影向とは神仏が一時的に人前に現れることをいい、影向石とは神を遙拝したり、降臨する神を拝んだりする場所にある石のことで「拝み石」ともいう。
04/16/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 史跡 大守大藤内家宅跡 備前の豪族難波氏の一族大守氏(おおもりし)の家宅跡。平安時代から明治まで代々大藤内(おうとうない)ー王藤内とも書くーを名乗り、備前吉備津宮(現在の吉備津彦神社)の社家頭(筆頭の神職)を継ぐ家柄。
04/16/2021 / 最終更新日時 : 04/16/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 三十番神堂ー岡山市北区尾上ー 三十番神は、神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民などを守護するとされた30柱の神々のことで。伝教大師 最澄が比叡山に祀ったのが最初とされ、鎌倉時代には盛んに信仰されるようになった。中世以降は特に日蓮宗・法華宗で重視され、法華経守護の神とされた。この三十番神堂は、尾上車山古墳の方墳部の前方近くにある。
04/16/2021 / 最終更新日時 : 04/16/2021 桃太郎 神社 尾上八幡宮 尾上八幡宮は、吉備の中山の東側に突き出した台地上に鎮座しており、南東方面の眺望に優れている。創建は永保元年(1081)で、祭神は応神天皇、神功皇后、中山主命。
04/15/2021 / 最終更新日時 : 04/16/2021 桃太郎 神社 保存樹 クスノキー尾上八幡宮境内ー 尾上八幡宮の境内にある保存樹のクスノキ。指定番号第86号・第87号の二本のクスノキがある。第86号は、推定樹齢100年、樹高20.0m、幹周1.3m、第87号は、推定樹齢150年、樹高25m、幹周1.6m、いずれも指定年月日平成18年3月31日
04/15/2021 / 最終更新日時 : 04/16/2021 桃太郎 神社 備前焼の狛犬ー尾上八幡宮ー 備前焼の狛犬ー尾上八幡宮ー狛犬は医師で作られたものが多いが、ここ尾上八幡宮の狛犬は備前焼で造られている。一方が口を開き、他方は口を閉じた「阿吽(あうん)の形をしている。備前伊部住 木村新七郎作の銘が刻まれ、江戸時代後期の作と思われる。
04/15/2021 / 最終更新日時 : 04/16/2021 桃太郎 神社 稲荷神社ー尾上八幡宮末社ー この稲荷神社は、京都の伏見稲荷大社の祭神 宇迦之御魂大神の分霊をお迎えしてお祀りしたものと考えられている。この神は伊勢神宮、外宮の祭神豊宇気比売神と同神視される神で、食物、農業、商業などに携わる多くの人々から信仰されて全国の神社の中で最も数が多いのが稲荷神社。稲荷とは稲を荷う神。
04/15/2021 / 最終更新日時 : 04/16/2021 桃太郎 神社 佐留女神社(さるめじんじゃ)ー尾上八幡宮 末社ー 佐留女神社(さるめじんじゃ)は、高天原で須佐之男命の悪戯に怒って天の岩戸に隠れた天照大神を、神々の歌に合わせておもしろおかしく踊り、天の岩戸から誘い出した天宇受売命(あまのうずめのみこと)を祀った神社。芸能の神様として崇拝されている。
04/15/2021 / 最終更新日時 : 04/16/2021 桃太郎 歴史的建造物 尾上八幡宮の土蔵ー元岡山城内石山にあった倉庫を移築再建したものー この土蔵(尾上八幡宮の倉庫として使用)は、かって岡山城内石山にあった倉庫を移築再建した建物。土蔵の棟に「岡山城内 石山倉庫之内 小倉ヲ請求シ村内 字中石 機器倉トスル。上棟者 深井永五郎」と書かれていることから証明される。
04/14/2021 / 最終更新日時 : 04/16/2021 桃太郎 神社 家形石棺の底石ー尾上八幡宮・天神様の台石の前側の石ー ここ尾上八幡宮境内に祀られている天神様の台石の前側の石は、吉備の中山の横穴式古墳石室に葬られた組合せ式家形石棺の底石を転用したものです。吉備の中山では、約30基の横穴式古墳石室が確認され、尾上の石舟古墳を含めて石棺が五個出土しているが、いずれも播磨龍山産の龍山石です。
04/11/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 福寿山 立成寺 立成寺(りゅうじょうじ)は、吉備の中山の南麓東花尻にある日蓮宗の寺院である。山号は福寿山という。旧本山は庭瀬の不変院。山門は明治維新後の廃藩置県の際に庭瀬城の表門が移築されたもので重厚な四脚門として知られる。
04/11/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 題號山 妙伝寺 吉備の中山の南麓にある日蓮宗の寺院で永禄年間の1558年頃に日戒により備前国尾上に開創された。岡山藩主池田光政の時代に行われた日蓮宗不受不施派の弾圧(寛政の法難)を逃れるため当時備中国の現在地に移転し難を逃れたという。
04/10/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 神社 神道山ー黒住教本部ー 神道山は、江戸時代後期に岡山で生まれた神道、黒住教本部のある所で、春は桜やつつじ、秋には紅葉を楽しめる自然豊かな山。また、日の出の名所としても知られており、山頂に設けられた日拝所では、正月の初日の出は勿論、毎朝日の出を迎え拝む「日拝式」が欠かさず執り行われている。
04/09/2021 / 最終更新日時 : 04/09/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 天台宗 山神山 徳寿寺 徳寿寺は十一面観世音菩薩を本尊とする天台宗の寺院。かっては備前吉備津宮(現在の吉備津彦神社)の社寺の一つで、池田光正が強行した寺社整理ー寛文6年(1666年)ーの対象からはずれた備前一宮では唯一の寺院。
04/08/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 神社 八幡宮ー花尻ー 備前国旧藩主池田家文庫本神名帳に花尻八幡宮とあり、建武年間(1334年~1336年)の勧請という。尾上車山古墳の方墳の真南に位置していることから、薬師寺慎一氏はその著ー「吉備の中山と古代吉備」吉備人出版ーの中で、八幡宮として祀られる前には、この場所で尾上車山古墳の祭りを行っていたのではないかと書いている。
04/08/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 神社 天神社ー東花尻ー 天神社ー学問の神様として知られる菅原道真を祀った神社。尾上車山古墳の円墳の真南に位置していることから、薬師寺慎一氏はその著ー「吉備の中山と古代吉備」吉備人出版ーの中で天神社として祀られる前には、ここで尾上車山古墳の祭りを行っていたのではないかと書いている。
04/08/2021 / 最終更新日時 : 04/20/2021 桃太郎 史跡 国指定史跡 尾上車山古墳 昭和昭和47年7月29日指定 尾上車山古墳ー全長138.5m、後円部径96m、同高約11m、前方部幅52m、同高9mを測る前方後円墳で、ギリギリ山古墳とも呼ばれている。吉備中山南東部、標高約五十メートルの尾根部先端に位置する。
04/06/2021 / 最終更新日時 : 04/06/2021 桃太郎 史跡 犬養木堂(毅)生家 犬養毅(木堂)は、安政2年(1855)この地に生まれた。明治23年(1890)36歳で衆議院議員に初当選し、以後、憲政擁護運動の先頭に立った。昭和6年(1931)内閣総理大臣となったが、翌年の5月15日首相官邸において兇徒に襲われ(5.15事件)「話せばわかる」の言葉を最後に志なかばにして没した。
04/06/2021 / 最終更新日時 : 04/06/2021 桃太郎 史跡 木堂塾 木堂塾ー犬養毅(木堂)は、明治元年(1868年)に父親を亡くした後、門脇の部屋で近所の子供たちに読み書きを教えていたというエピソードが残っていた。この木堂塾はこのエピソードを受けて昭和56年(1981年)に建設された。木堂塾は、文化的な学習・研究会・講座や集いなどの場として利用することが出来る。
04/05/2021 / 最終更新日時 : 04/05/2021 桃太郎 史跡 ハナノキー犬養木堂生家ー 木堂がこよなく愛したといわれるハナノキが木堂生家裏 木堂塾横、犬養木堂記念館への通路横にある。ハナノキはカエデの一種、長野・岐阜・愛知の県境地域と長野県大町市にのみ自生する雌雄異株の落葉高木でハナカエデともいわれ3月末から4月初めにかけて珍しい形の赤い花を咲かせ、秋には葉が鮮やかに紅葉または黄葉する。
04/05/2021 / 最終更新日時 : 04/06/2021 桃太郎 国指定重要文化財 国指定重要文化財(建造物)ー旧犬養家住宅ー昭和53年1月21日指定 旧犬養家住宅の主屋は18世紀前半の建築で、構造は和小屋。昭和53年(1978年)に国指定重要文化財に指定後、解体修理を行い、正徳年間(1711~1716)四代目に建て替えられた姿に復元されている。
04/05/2021 / 最終更新日時 : 04/05/2021 桃太郎 駐車場 犬養木堂生家・記念館駐車場 犬養木堂生家・記念館の駐車場は、山陽新幹線に沿って走る県道242号線を倉敷方面に走行する道路沿いにある。犬養木堂生家・記念館は、駐車場より歩いて約3分程度で途中には犬養木堂の葬られている墓地もある。
04/04/2021 / 最終更新日時 : 04/06/2021 桃太郎 博物館・資料館 犬養木堂記念館 犬養木堂記念館は、「憲政の神様」と呼ばれ、第29代総理大臣となりながら、翌昭和7年(1932年)に五・一五事件で海軍の青年将校らの凶弾に倒れた政治家犬養毅(木堂)の人柄、功績を広く顕彰する為、木堂生家(国指定重要文化財)に隣接して建設、平成5年に開館した。
04/03/2021 / 最終更新日時 : 04/06/2021 桃太郎 史跡 犬養毅(犬養木堂)の墓と顕彰碑 五・一五事件で凶弾に倒れた犬養毅(犬養木堂)の墓と顕彰碑が生家近くの先祖代々の墓地の中にある。毅の墓の左隣には政治家(法務大臣)であり小説家でもあった三男の犬養健(たける)の墓も並んで建てられている。
03/31/2021 / 最終更新日時 : 03/31/2021 桃太郎 神社 吉備護国神社 旧都窪郡吉備町(旧吉備郡庭瀬町と旧都窪郡撫川町が合併してできた町)関係の戦没者の霊を祭神として昭和21年に川入八幡宮の境内に創建した神社。鳥居には大国魂神社と書かれた扁額が架けられている。
03/31/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 神社 川入八幡神社 吉備の中山の最南端に鎮座している川入八幡神社は、備中守藤原宗弘が平安時代の貞観2年(860年)に宇佐八幡宮を勧請・創建した神社で、歴代の庭瀬藩主(戸川家・板倉家)が篤く崇敬してきた。
03/28/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 磐座・巨石 備前吉備津宮(吉備津彦神社)の磐座 備前吉備津宮(吉備津彦神社)の磐座ーこの忠魂碑の台座として使われている大きな石は、かってはこの忠魂碑が立っている広場より一段高い後ろ側の土地にあり、社殿は無く、この巨岩を神のヨリシロ(磐座)として吉備の中山を拝んでいたのではないかと考えられている。
03/28/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 庚申山 帝釈天 浄泉山 正法寺(じょうせんざん しょうぼうじ) 正法寺は、江戸時代元和年間(1615年~1624年)に、吉備の中山、庚申山の麓にあった藤原成親ゆかりの三つの庵室(坊)、正林坊、法住坊、月心坊を、成親の菩提供養と成親が信仰していた帝釈庚申天祭祀のため合体建立、正林坊と法住坊の頭文字を取って正法寺と名付けられたのが始まり。
03/28/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 庚申山 帝釈天 ここに祀られている庚申山 帝釈天は、宝暦年間(1751年~1764年)正法寺8世 観達院日道上人の代に、ここ庚申山の山頂近くに帝釈天堂を建立、それまで正法寺に祀られていた藤原成親信仰の帝釈庚申天を移転したのが始まり。
03/26/2021 / 最終更新日時 : 04/20/2021 桃太郎 史跡 矢藤治山古墳(やとうじやまこふん) 矢藤治山古墳は、吉備中山の南面する尾根上に築かれた前方後円墳で、前方部が撥形を呈しているのが特徴。終末期の特殊器台と特殊壺が数多く発見されたこと、棺内・外から発見された副葬品、それに撥形の前方部という特徴から弥生時代終末期~古墳時代初頭頃の築造と推定され、全国でも最古型式の前方後円墳であり吉備における最も重要な遺跡の一つと考えられている。
03/24/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 福田海本部 福田海は、聖徳太子、役行者、僧行基の法統に立つ中山通幽(なかやまつうゆう)師が、明治33年に開創、比叡山より頂いた「不滅の燈明」をかかげた陰徳積善をモットーとする宗教団体。
03/22/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 有木の別所ー有木山ー 有木の別所は、吉備の国の中心に位置し信仰の対象でもあった吉備の中山のうち、有木神社、青蓮寺、高麗寺などの寺社と関連施設のあった現在の福田海本部付近を中心に、有木山一帯を総称して呼ばれていたようで、平安時代には京の都にも広く知られていたと思われる。
03/22/2021 / 最終更新日時 : 03/31/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 有木山ー吉備の中山ー 有木山は、吉備国の中心にあり古代からあがめられてきた吉備の中山を構成する山の一つで、平安時代には有木神社、高麗寺、青蓮寺などが立ち並び脇には細谷川が流れる有木の別所として都にまで知れ渡り、数多くの和歌にも詠まれている。
03/21/2021 / 最終更新日時 : 03/21/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 藤原経衡歌碑ー福田海ー 藤原経衡歌碑ー「祈ること しるし有木の 山なれば 千とせの程も たのもしき哉」筑前守従五位上藤原朝臣経衡鼻ぐり塚で知られた福田海の境内、易塚の入り口右手に建てられた歌碑。この和歌は、大嘗会和歌集に載せられている平安中期の歌人藤原経衡の歌。
03/21/2021 / 最終更新日時 : 03/21/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 平賀元義歌碑ー福田海ー 平賀元義歌碑ー「あたらこの 成親がごと よき臣を 有木の山の うもれ木にして」元義詠 古杏書 鹿ケ谷での平家討伐の謀議が露見、この地高麗寺 有木の別所に配流、あえない最期を遂げた大納言 藤原成親卿について詠んだ江戸末期の歌人平賀元義の歌碑。福田海、鼻ぐり塚近くに置かれている。
03/21/2021 / 最終更新日時 : 03/21/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー お大師堂ー福田海ー お大師堂ー福田海の中、鼻ぐり塚の斜め前に建てられたお堂で、本尊は大師座像、そのかたわらに藤原成親卿の位牌が祀られている。
03/20/2021 / 最終更新日時 : 03/20/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 英霊堂ー福田海ー 英霊堂ー福田海境内の鼻ぐり塚へ行く途中、養老本堂の奥山側にある。英霊が奉斎され、三千体の観音像が祀られている。
03/20/2021 / 最終更新日時 : 03/20/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 鼻ぐり塚の古墳開口部ー福田海ー 鼻ぐり塚の古墳開口部ー鼻ぐり塚は円墳の上に鼻ぐりを納めたものだが、その円墳の正面開口部には馬頭観音が祀られている。
03/20/2021 / 最終更新日時 : 03/20/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 鼻ぐり塚の鼻ぐりー福田海ー 鼻ぐり塚の鼻ぐりー福田海の鼻ぐり塚に納められた鼻ぐり。鼻ぐりは牛を飼うにあたり牛を動かしたり柱や木に留め置くため、鼻に穴を穿ち鼻輪(鼻ぐり)をはめそれに綱を結んで使われていた。
03/20/2021 / 最終更新日時 : 03/20/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 護摩堂ー福田海ー 護摩堂ー福田海の境内、藤原成親遺跡に向かう山道の左側、燈明堂の下にある護摩を焚いて祈祷を行う仏堂で本尊は虚空蔵菩薩、脇士は弥勒菩薩と役行者。
03/20/2021 / 最終更新日時 : 03/20/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 仏舎利塔ー福田海ー 仏舎利塔ーお釈迦様を祀った塔で鼻ぐり塚で知られた福田海の境内を藤原成親遺跡方面へ上る途中の左側、燈明堂の上にある。福田海の案内資料によると前奈良国立博物館長 故石田茂作先生の設計によるとのこと。
03/16/2021 / 最終更新日時 : 04/20/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 円墳ー鼻ぐり塚ー 牛の鼻輪(鼻ぐり)を集めて浄祭し、円墳の上に積み上げたため鼻ぐり塚と呼ばれている。薬師寺慎一著「吉備の中山と古代吉備」(吉備人出版)には、この古墳は近くにある不動岩と密接な関係があるのではないかと書かれている。塚の前には馬頭観音の他牛と豚の像も置かれている。
03/10/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 磐座・巨石 不動岩ー有木神社ー 不動岩は福田海の敷地内、根本中堂の背後に祀られている自然の巨岩。この場所は吉備の中山の一つ有木山の麓に位置し平安時代には有木神社という神社が祀られていた。この不動岩は有木神社が祀られる以前から磐座として信仰の対象であったと考えられている。
03/10/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 史跡 有木神社ー吉備の中山ー 有木神社はかって吉備の中山の有木山山麓に祀られていた神社。現在は鼻ぐり塚で知られた福田海の敷地内に小さな祠が残るのみとなっている。しかし、有木神社についてよく調べてみると非常に興味深い事が分かってきた。
03/07/2021 / 最終更新日時 : 03/07/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 有木山青蓮寺石碑 吉備津神社から、吉備津彦神社へ行く道路を少し歩くと右の石垣の上に「有木山青蓮寺」と書かれた標柱石が見える。有木山は「平家物語で鹿ヶ谷の謀議にやぶれ、流配の身となり最期を遂げた大納言 藤原成親の流配の地有木の別荘」で知られた所であり、高麗寺や青蓮寺跡でもある。
03/07/2021 / 最終更新日時 : 03/12/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 養老本堂ー福田海ー 福田海の本堂で、青蓮寺の本尊十一面観世音を祀っている。また隣には、勝鬘夫人尊像(慶長8年多田朝臣雪津郎の作)を奉祭。
03/07/2021 / 最終更新日時 : 03/07/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 燈明堂ー福田海ー 福田海境内にある不滅の常燈明を奉祀するためのお堂。このお堂の上側には釈尊を祀る仏舎利塔が下側には護摩堂が並んでいる。
03/07/2021 / 最終更新日時 : 03/07/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 長床ー福田海ー 吉備津神社から吉備津彦神社に向かう山裾の道を少し歩くと写真のような長床が見えてくる。ここは、平家物語で知られる有木別所の跡地であり、青蓮寺、高麗寺等の寺跡でもある。現在は、福田海(ふくでんかい)本部となっており、牛の鼻ぐりを浄祭して畜類を供養する塚、「鼻ぐり塚」がある。
03/07/2021 / 最終更新日時 : 03/11/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 「鎮遠」の錨と理源大師・役行者石造ー福田海ー 福田海(ふくでんかい)根本中堂の真後ろに祀られた「鎮遠」の錨と理源大師(左)・役行者(右)石造。「鎮遠」は日清戦争時の明治28年、日本海軍と戦った中国(当時は清国)の軍艦名。この軍艦を弔い、現在その錨が不動尊として祀られている。
03/07/2021 / 最終更新日時 : 03/07/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 根本中堂ー福田海(ふくでんかい) ー 根本中堂は、福田海の中枢となる施設で水神を祀る施設。周りには49基の石塔があり、奈良時代に行基僧正が説いた弥勒四十九ヶ院浄土説法にもとづくもの。また、中堂の天井には瑞龍が彫られているが左甚五郎の作と伝わっているとか。
03/07/2021 / 最終更新日時 : 03/07/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 馬頭観世音菩薩 この馬頭観音は福田海(ふくでんかい)の鼻ぐり塚となっている横穴式古墳の前に本尊として安置されている銅像。馬頭観音は、観音菩薩の変化身の1つとされるが、観音の中では唯一忿怒の形相である。六観音の一つに数えられ、馬が草を食べるように煩悩を食べ尽くし災難を取り除くとされている。
03/04/2021 / 最終更新日時 : 03/04/2021 桃太郎 史跡 門前町宮内(もんぜんまちみやうち) 門前町宮内ー宮内とは江戸時代の備中国賀陽郡宮内村のこと。備中国一宮の吉備津神社の門前町が起源。江戸時代になると、宮内は門前町として栄え、山陽道でも屈指の遊興街を形成していた。井原西鶴の著した「好色一代女」にも備中宮内として出てくる。
03/04/2021 / 最終更新日時 : 03/04/2021 桃太郎 史跡 神領会所(じんりょうかいしょ) 神領会所ー江戸時代、三代将軍徳川家光から交付された朱印状によって御朱印領となった宮内村を支配するための会所跡。神領役所ともいわれ、江戸時代の絵図によると、長屋門をくぐって広場となり、その南側に屋敷を構えていた。
03/04/2021 / 最終更新日時 : 03/04/2021 桃太郎 史跡 藤井高尚旧邸(ふじいたかなおきゅうてい) 藤井高尚は、江戸時代後期の吉備津宮の社司(しゃし)で、著名な国学者であり、本居宣長の高弟でもあった。高尚は自分の屋敷を師宣長の「鈴屋(すずのや)にならって「松の屋」と称した。中国地方をはじめ、京都、四国にも多くの弟子があり、王朝文学を教えている。
03/04/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 史跡 新宮社跡ー吉備の中山ー 新宮社跡ー吉備武彦命を祀っていた神社で平安時代の歌謡集「梁塵秘抄」に出てくる神社。明治時代の末までこの地に鎮座していたが現在は吉備津神社の摂社である本宮社に合祀されている。
03/03/2021 / 最終更新日時 : 03/03/2021 桃太郎 史跡 岡山県指定史跡 伝賀陽氏館跡 伝賀陽氏館跡ー吉備の中山の西麓の新宮社跡西方にある、幅約30mの堀で囲まれた、東西約70m~75m、南北約60mの館跡。備中国の有力者で吉備津神社の神官を務めた賀陽氏の館跡と伝わり、中世の豪族屋敷の典型的な遺構である。現在は個人の人家があり周囲は畑地となっている。
03/02/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 磐座・巨石 お休み岩ー吉備の中山ー お休み岩ーこの岩について特に記録や言い伝えは残されていません。他の地域では神さまが休息された「腰掛け石」や「お休み岩」と呼ばれるものの言い伝えが数多く残されている。
02/24/2021 / 最終更新日時 : 02/24/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 東林山 真如院(とうりんざん しんにょいん) 当真如院は、東林山明仙童寺真如院と称し、明仙童寺という数院を擁する天台宗の寺院の塔頭であった。明仙童寺は、吉備津五摂社の第一にあげられる新宮社の別当寺で、文献などから、室町初期に最も隆盛であったと推定され、吉備津宮の社僧寺の中でも有力な寺院であったと思われる。
02/23/2021 / 最終更新日時 : 03/22/2021 桃太郎 名勝 高麗寺仁王門跡 福田海から坂道を登って行くとコンクリートの舗装が少し途切れた所があり、左手には、「史跡 高麗寺仁王門跡」と書かれた石柱がある。よく見ると山門の礎石と思われる石が数個並んでいるのが確認できる。
02/23/2021 / 最終更新日時 : 02/23/2021 桃太郎 史跡 法螺貝の井戸ー吉備の中山ー 法螺貝の井戸ー福田海から藤原の成親遺跡へ上っていく途中、細谷川の丸木橋の石碑がある所を左にそれて、少し登った所にある霊水の湧き出る井戸。吉備の中山を守る会の説明によると、千年の昔から枯れたことのない井戸とのこと、有木の別所へ流されてきた藤原成親も飲んだのだろうか?
02/22/2021 / 最終更新日時 : 02/22/2021 桃太郎 史跡 備前・備中国境石ー吉備の中山ー 備前・備中国境石ー中山茶臼山古墳の正面歩道の右部に、備前と備中の境界を示す標柱がある。上の写真で境界石の左側向こう側に備中国、右手前側に備前国と刻まれている。
02/22/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 磐座・巨石 環状石籬ー吉備の中山ー 環状石籬ー自然の石を環状に配列した遺構(ストーンサークル)ではないかと考えられていて、縄文時代の墓ともいわれているが、研究者の間では、環状石籬とすることに懐疑的な意見もあるとか。
02/22/2021 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 花の見所ーサクラー 平安桜ー吉備の中山ー 平安桜ー山桜の大木(保存樹)ー岡山市が都市緑化向上のため保存している。指定番号第66号 第67号の2本 中山茶臼山古墳より遊歩道を八徳寺遺跡方面へ歩いていく途中にあり。グーグルマップではいつの間にか平安桜と名付けられているのでここでも平安桜としました。
02/22/2021 / 最終更新日時 : 02/22/2021 桃太郎 花の見所ーサクラー 吉備桜ー吉備の中山 吉備桜ー平成15年に吉備の中山を守る会のメンバーが、この大きな山桜を発見し、通称名を「吉備桜」と名付けることにしましたが、本当の和名はヤマザクラ(バラ科)です。発見当初、山桜の周辺は鬱蒼と雑木が茂り、その場所に近づくことも困難な状態にあり、カズラを幾重にも巻き付け日当たりも悪い山桜は放置すれば数年で枯れてしまうという状態にありました。
02/20/2021 / 最終更新日時 : 02/20/2021 桃太郎 史跡 両国橋ー吉備の中山ー 両国橋ー吉備の国はあまりにも強大であった為、吉備の中山のほぼ中央を流れる細谷川で備前国と備中国に分割されてしまった。この細谷川に架かっている橋が両国橋で、橋の脇には、「両国橋」の文字と共に明治の宰相山県有朋の歌が刻まれた石碑が立てられている。
02/20/2021 / 最終更新日時 : 02/20/2021 桃太郎 史跡 細谷川の丸木橋 細谷川の丸木橋ー吉備の中山の備前と備中の境目の川として知られた細谷川をさかのぼっていく途中に、平家物語で語られた平通盛小宰相の悲恋の物語を思い起こさせるかのように細谷川の丸木橋と書かれた石碑がある。
02/18/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 磐座・巨石 鏡岩ー吉備の中山ー 鏡岩ー吉備の中山の山頂近くに、表面が鏡のように平らになっている岩が山道に沿って一列に並んでいるところがある。その中で最も南側に一番大きな岩がその表面の形から鏡岩と呼ばれている。
02/18/2021 / 最終更新日時 : 04/18/2021 桃太郎 磐座・巨石 八畳岩(奥宮磐座)ー吉備の中山ー 八畳岩ー吉備の中山の尾根上に大小100を越える岩が集合して露出している所がある。その中で最大の岩の上面が平らで、畳八畳ほどの広さがあることからこの名がついたものと考えられている。八畳岩は吉備の中山の磐座の中でも代表的なもので、吉備津神社の奥宮として信仰されてきた。
02/18/2021 / 最終更新日時 : 02/18/2021 桃太郎 史跡 八畳岩古墳ー吉備の中山ー 八畳岩古墳は、古墳時代末期の横穴式石室の古墳で、天井石は落ちている。平成24年5月の清掃中に見つけたもので、この古墳の西に天井部が平らで畳八畳ほどの広さの岩があり、八畳岩と呼ばれていたことから名付けられたものと思われる。
02/18/2021 / 最終更新日時 : 03/02/2021 桃太郎 史跡 ダイボーの足跡ー吉備の中山ー ダイボーの足跡ーダイボーとは大きな坊さん(大坊)を意味する言葉で、吉備の中山の尾根上にある長さ20m、深さ50㎝程窪地。まるで人の足跡のような形をしていることからこの名が付けられたものと思われる。
02/18/2021 / 最終更新日時 : 02/18/2021 桃太郎 史跡 藤原成親供養塔ー吉備の中山ー 藤原成親供養塔ー吉備津彦神社から吉備の中山への登山口付近の古墳上にあるこの五輪塔は、鹿ヶ谷事件で平清盛に捕らえられ、有木の別所で処刑された大納言藤原成親(1138年~1177年)の供養塔と伝えられている。
02/17/2021 / 最終更新日時 : 02/18/2021 桃太郎 史跡 藤原成親供養塔下古墳ー吉備の中山ー 藤原成親供養塔下古墳は、吉備津彦神社から吉備の中山に上る登山口付近にある古墳で、6世紀頃の古墳時代後期に造られた横穴式石室と考えられている。その名の通り、古墳の上には、藤原成親供養塔が安置されている。
02/17/2021 / 最終更新日時 : 04/18/2021 桃太郎 磐座・巨石 夫婦岩遺跡ー吉備の中山ー 夫婦岩遺跡ー吉備の中山の北峰(竜王山)の南斜面に、巨岩が二つ仲の良い夫婦のように寄り添って並んでいるのを見ることが出来る。岡山市の遺跡一覧に記載されながら長く所在が分からなかったのを、「吉備の中山を守る会」のメンバーが調査して平成19年に発見。
02/16/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 磐座・巨石 天柱岩ー吉備の中山ー 吉備の中山の竜王山山頂から福田海方面に降りる参道の斜面にあるこの岩は、昭和9年(1934年)に福田海の中山通幽が「天柱」の文字を刻んだことから「天柱岩」と呼ばれている。
02/16/2021 / 最終更新日時 : 04/18/2021 桃太郎 磐座・巨石 元宮磐座ー吉備の中山ー 元宮磐座と名付けられたこの岩は、吉備の国の中心であったとされ、信仰の対象の山であった「吉備の中山」の北峰、龍王山の山頂近くにある大きな岩。吉備津彦神社では5月の第2日曜日に磐座祭を行い、この岩の前で神事を行っている。
02/15/2021 / 最終更新日時 : 02/15/2021 桃太郎 史跡 経塚ー吉備の中山ー 吉備国の中心とされる所にあり信仰の対象とされてきたという吉備の中山、その最高峰、竜王山山頂、八大龍王の両脇に鎌倉時代に経を筒に納めて埋納したとされる経塚がある。
02/15/2021 / 最終更新日時 : 02/15/2021 桃太郎 史跡 八大龍王ー吉備の中山ー 吉備の中山の最高峰龍王山(標高170m)の山頂に八大龍王の祠がある。龍神は雲をあやつり雨を降らせる力を持つとされ、雨の少ない岡山南部の農耕社会では重要である。この祠は、天明年間(1781年~1788年)の大干ばつの時、岡山の商人常盤屋が奉献したもの。
02/14/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 牛王山 八徳寺 牛王山 八徳寺は、中山茶臼山古墳の東側の谷間にあり、中山茶臼山古墳の後円部を拝む位置にある。この場所には、山岳仏教が盛んであった平安時代末期に「高麗寺(こうらいじ)」の金堂があったと考えられている。
02/14/2021 / 最終更新日時 : 04/20/2021 桃太郎 史跡 石舟古墳群 石舟古墳群は、石舟古墳のある所から300mほど北側に登ったところにある4基の横穴式石室古墳。7世紀初め頃に造られたと推測されるもので、吉備尾中山を守る会のメンバーが平成16年春の清掃作業時に発見した。
02/13/2021 / 最終更新日時 : 04/20/2021 桃太郎 史跡 石舟古墳 中山茶臼山古墳の北東部、吉備の中山の中腹にあり、岡山に伝わる桃太郎伝説で、桃太郎ー吉備津彦命ーに退治された鬼(温羅)の墓ともいわれている古墳。古墳時代末期(7世紀初め)の横穴式石室中には播磨国の竜山石を繰り抜いた石棺があり、絶えず清水がたたえられ、この水は潮の干満によってその水量が変わると伝えられている。
02/13/2021 / 最終更新日時 : 04/19/2021 桃太郎 磐座・巨石 穴観音 穴観音は、岡山に伝わる桃太郎伝説の桃太郎の墓とされている、中山茶臼山古墳の円墳部に向かって拝むように置かれた観音様!昔からの言伝えで側面の穴に耳をあてると観音様のお声が聞こえると言う俗信仰があって、昔から縁日には参拝客が多い。
10/08/2020 / 最終更新日時 : 10/09/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 最上稲荷教総本山 妙教寺の文化財 最上稲荷 妙教寺では、その神仏習合の特徴を表した景観が評価され、江戸末期から昭和初期に建立された以下の建物が国の登録有形文化財に指定されている。指定年月日ー平成21年(2009年)1月22日。
10/07/2020 / 最終更新日時 : 10/09/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 霊応殿 本殿ー最上稲荷教総本山 妙教寺ー 霊応殿 本殿は、寛保元年(1741年)に再建され、1979年(昭和54年)の新本殿(霊光殿)の建立に伴い移転された旧本殿。岡山市重要文化財ー平成16年(2004年)2月24日指定。国の登録有形文化財ー2009年10月8日登録。
10/07/2020 / 最終更新日時 : 10/09/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 霊応殿 拝殿ー最上稲荷教総本山 妙教寺ー 霊応殿 拝殿は、前殿と経王殿の間に建つ木造平屋建、入母屋造檜皮葺の、周囲が解放された建物。内部は格天井。建築は1886年(明治19年)。国の登録有形文化財 2009年1月8日登録。
10/07/2020 / 最終更新日時 : 10/09/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 霊応殿 経王殿ー最上稲荷教総本山 妙教寺ー 霊応殿 経王殿は、霊応殿本殿の前に立つ木造平屋建、切妻造妻入檜皮葺の建物で、本殿側に唐破風造の突出部を付ける。前部は前の拝殿につながっている。建築ー1897年(明治19年)。国の登録有形文化財 2009年1月8日登録。
10/07/2020 / 最終更新日時 : 10/09/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 霊応殿 前殿ー最上稲荷教総本山 妙教寺ー 霊応殿 前殿は、拝殿の正面に細長く突き出した木造平屋建の唐破風造妻入檜皮葺の建物(桁行四間、梁間一間)。拝殿・経王殿と一体となって美しい。国の登録有形文化財 2009年1月8日登録。
10/06/2020 / 最終更新日時 : 10/09/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 石彫 生命の連環 法華経よりー最上稲荷教総本山 妙教寺ー 最上稲荷 本堂裏の花崗岩の崖に施された石彫。最上稲荷教立教50周年記念事業の一つとして企画され、「法華経」をモチーフとして制作された。 Sponsored Link 作品名:生命の連環~法華経より 作家:よしもと正人 規 […]
10/06/2020 / 最終更新日時 : 10/09/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 六社天王社ー最上稲荷教総本山 妙教寺ー Sponsored Link 縁の末社が祀られている段の右側、七十七末社Cゾーンの一つ屋根の下に以下の六社が祀られている。 第73番 一富(いちとみ)天王[(相場ーそうばごとー)金運招来] 第65番 夜守(よもり)天王[ […]
10/06/2020 / 最終更新日時 : 10/09/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 第52番 大乗(おおのり)天王社ー最上稲荷教総本山 妙教寺ー 第52番 大乗(おおのり)天王[(ご威徳 船玉ーふねだまー)船舶守護] Sponsored Link 高松 最上稲荷へ 最上稲荷の文化財へ
10/06/2020 / 最終更新日時 : 10/09/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 第53番 四天王 羽弥御崎(はやみさき)天王社ー最上稲荷教総本山 妙教寺ー 第53番 四天王 羽弥御崎(はやみさき)天王[(ご威徳 商業ーあきないー)商業繁栄] Sponsored Link 高松 最上稲荷へ 最上稲荷の文化財へ
10/06/2020 / 最終更新日時 : 10/09/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 第54・55番 信受・照(のぶあき)両天王社ー最上稲荷教総本山 妙教寺ー 第54・55番 信受・照(のぶあき)両天王[(ご威徳 和合ーなかよくなるー)夫婦円満] Sponsored Link 高松 最上稲荷へ 最上稲荷の文化財へ