06/11/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 清水宗治の胴塚 天正10年(1582)6月4日、秀吉軍の水攻めに会い自決した高松城主、清水宗治公の首級なき胴体遺体は舟上のまま本丸に帰ってきた。迎える家臣、身内の者共、抑えきれぬ涙に感極まって一同の嗚咽がおこった。やがて回向の声に包まれ、池の下丸、この地に手厚く葬られた。
03/28/2020 / 最終更新日時 : 06/11/2020 桃太郎 史跡 太閤岩ー備中高松城水攻めー この「太閤岩」は、天正10年(1582年)に羽柴(豊臣)秀吉が織田信長の命により、毛利方の清水宗治が守る備中高松城を攻めた時、作戦上の目標物として活用したのではないかと言われている。
03/28/2020 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 羽柴秀吉本陣跡ー備中高松城水攻めー 羽柴秀吉が高松城水攻めをするにあたり本陣を構えた場所で当時の石井山持寶院境内跡である。天正10(1582)年6月4日、講和の条件として自刃した清水宗治公の首級は、この本陣に於いて、秀吉の首実検の後手厚く葬られ五輪塔が建立されたといわれている。
11/07/2018 / 最終更新日時 : 01/10/2020 桃太郎 展望の良い所 大平山ー吉備路ー 岡山市の北西部、吉備路と呼ばれるエリアにある平たくなだらかな丘を形成した山。山頂が牧場跡となっており平たい形状をしている為、周辺の各ポイントから見付け易く、また山頂からの眺望も優れている。特に、備中高松城跡と水攻めの際の毛利、豊臣各軍の配陣跡をはじめとする吉備路の歴史ポイントを眺めるには最適。
11/03/2018 / 最終更新日時 : 11/03/2018 桃太郎 市町村指定重要文化財 流鏑馬ー吉備津彦神社ー 流鏑馬(やぶさめ)は、吉備津彦神社の秋季例大祭で披露される神事。室町時代の1342年には始まっていたとされ、風水害を防ぐため、神社前の神池に浮かぶ、水の神「亀島」と風の神「鶴島」の方角に向かって矢が射られる。岡山市指定重要無形民俗文化財。
08/10/2018 / 最終更新日時 : 08/18/2018 桃太郎 神社 吉備津彦神社ー大石燈籠ー 吉備津彦神社の随神門を入った境内左右に、六段に築き上げた大基礎の上に総高12m、台石の最下段の一辺が8m、基礎・竿・中台・火袋はそれぞれ一石造りで、火袋の縦の長さは1.1m、横幅1m、笠石は3.6m四方で広さが8畳敷きもあるという大きな灯篭がある。江戸時代末期の安政6年(1859)に建てられたもので、日本一の石灯籠といわれる。
08/01/2018 / 最終更新日時 : 08/01/2018 桃太郎 県指定重要文化財 吉備津彦神社 本殿 吉備津彦神社 本殿は、寛文8年(1668)岡山藩主 池田光政が造営に着手、江戸時代中期の元禄10年(1697)、光政公の子、池田綱政により再建された、三間社流造り・檜皮葺の優美な社殿。昭和43年4月19日、岡山県指定重要文化財 建造物に指定。
08/01/2018 / 最終更新日時 : 08/18/2018 桃太郎 神社 尺御崎神社ー吉備津彦神社 末社ー 尺御崎神社(しゃくおんざきじんじゃ)は、吉備津彦神社の本殿が祀られている敷地の両脇に祀られている神社。御祭神は夜目山主命(やめやまぬしのみこと)、吉備津彦命が温羅退治に吉備地方へ遠征してきた時に、武勇を働いた吉備の国の人の霊社。
07/31/2018 / 最終更新日時 : 08/18/2018 桃太郎 神社 楽御崎神社ー吉備津彦神社 末社ー 楽御崎神社は、吉備津彦命が温羅退治に向かった時の従者の一人で、桃太郎伝説の中では猿をさすといわれている。吉備津彦神社の境内、本殿・渡殿のある敷地の最も手前の両脇に祀られている。下の吉備津彦神社案内図の中で11と14に相当する。
07/31/2018 / 最終更新日時 : 08/18/2018 桃太郎 神社 鯉喰神社ー吉備津彦神社 末社ー 楽々森彦荒魂、鯉喰明神を祭神とする神社で、吉備津彦神社の境内に祀られている。温羅伝説で温羅が鯉になって逃げ、吉備津彦命が鵜になって追いかけて鯉を食べた所といわれる足守川右岸にも鯉喰神社が祀られている。吉備津彦神社境内に祀られている鯉喰神社はここから勧請したものなのか?楽々森彦は吉備津彦命の軍師的な存在であった猿をさしているといわれている。
07/31/2018 / 最終更新日時 : 08/18/2018 桃太郎 神社 矢喰神社ー吉備津彦神社 末社ー 吉備津彦命の御矢を祭神とする神社で、吉備津彦神社境内に末社として祀られている。9月24日に祭礼が執り行われる。吉備津彦命が温羅と戦った時、吉備津彦命が放った矢と温羅が投げた岩がぶつかり、岩に食い込んで落ちた所には矢喰の岩があり、矢喰神社が祀られているがこの神社は、吉備津彦神社境内に末社として祀られている神社。
07/30/2018 / 最終更新日時 : 08/18/2018 桃太郎 神社 温羅神社ー吉備津彦神社 末社ー 吉備津彦神社の境内に末社として祀られている神社。祭神は、吉備津彦命が退治した鬼とされる温羅の和魂(にぎみたま)。桃太郎伝説では温羅は村人や女性たちを困らせる悪い鬼として登場するが、吉備地方では百済から製鉄技術をもたらし、吉備地方を繁栄させた百済の王子として尊敬されており、吉備津彦神社境内にある温羅神社に祀られている。
07/30/2018 / 最終更新日時 : 08/18/2018 桃太郎 旅日記 桃太郎像ー吉備津彦神社ー 吉備津彦神社の駐車場横にある桃太郎の像。足元には、お供の犬・猿・雉が!駐車場の隅にポツンと置かれているのですが、作者も、設置時期も書かれておらず、ただ、「この桃太郎像は、平成28年度に公益財団法人マルセンスポーツ・文化振興財団様より助成金をいただき修復しました。」と記載された立札が建てられているのみ。一度見たら忘れられない不思議な印象の桃太郎像です。
07/09/2018 / 最終更新日時 : 02/22/2021 桃太郎 史跡 細谷川 真かねふく きびの中山 おひにせる ほそたに川の おとのさやけさ 古今和歌集ー岡山市の西部、旧山陽道の南に座した吉備の中山の中央付近を流れ下る小さな川、備前、備中の境界に位置し、藤原成親の墓や福田海本部、少し西には吉備津神社、東には吉備津彦神社が鎮座している。
07/09/2018 / 最終更新日時 : 07/09/2018 桃太郎 日本遺産構成文化財 血吸川 吉備津彦命が鬼ノ城の温羅に向かって二本の矢を弓につがえて射ると、一本は温羅の投げた岩に食い込んで下に落ち、もう一本は温羅の左眼に当たり、そこから流れた血が真っ赤な川となって流れた。この時にできた川を血吸川と呼んでいる。血吸川の向こう山頂に鬼ノ城が見えている。
02/23/2018 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県立自然公園 吉備路エリアー倉敷地区ー 吉備路は、かって吉備の国が栄えた頃の吉備の中山から吉備路風土記の丘を中心とし、岡山市北西部、倉敷市北東部の庄地区、倉敷市北西部の真備地区、総社市を含むエリアを総称しているが、ここではその内、倉敷市北東部庄地区にある王墓の […]
02/22/2018 / 最終更新日時 : 03/21/2020 桃太郎 県立自然公園 吉備路風土記の丘ー県立自然公園ー 備路風土記の丘岡山県立自然公園は、歴史的景観とそれを含めた自然景観の優れた地区を中心として、文化財保護上必要な地域が風土記の丘に指定されたもので、造山古墳、作山古墳、こうもり塚古墳、備中国分寺跡、備中国分尼寺跡など、貴重な文化財が数多くある。中でも備中国分寺と五重塔は吉備路のシンボルとなっている。
11/15/2017 / 最終更新日時 : 03/11/2018 桃太郎 Google Map 吉備の中山及び周辺の史跡地図 吉備の中山及び周辺の史跡をグーグルの地図上から訪問できます。各史跡の位置関係が一目で分かるので周遊計画を立てるのに便利です。また史跡と道路、近くの駐車場、停留所やJR駅との関係もわかりやすく、周遊先でスマートフォンなどのモバイルを使えば現在位置と目的とする史跡の位置関係や所要時間も容易に知ることができます。
06/16/2016 / 最終更新日時 : 03/19/2018 桃太郎 レンタサイクル 吉備路自転車道 「吉備路」、この言葉は私たち岡山県人にとって、郷愁をそそると共に、歴史ある自然豊かな郷土を自慢したくなる言葉として響く。なだらかな起伏、四季折々に美しい表情を見せる岡山市西部から総社市にかけての地域をサイクリングしてみませんか。
06/16/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 国指定重要文化財 鳴釜神事 温羅の首は鳴釜神事を認めさせるまで唸り続けている。これは、戦国時代の戦後処理の仕方で言えば、温羅の首は獲られたのだが、温羅の業績も大きく残った家族や家来、住民たちが納得のいく戦後処理にこれだけの時間がかかったとも取れる。
06/16/2016 / 最終更新日時 : 08/28/2018 桃太郎 史跡 温羅伝説 ー桃太郎伝説 の生まれたまち おかやまー 吉備津宮縁起には「桃太郎の鬼退治」の基になったと言われる温羅伝説がある。出てくる人物、地名、動物などは多くが物語として分かり易くしたのだろうが、ゆかりの地を結んでみると当時の地域や戦闘の様子を様々を種々想像することが出来て楽しい。この温羅伝説は、倉敷市・岡山市・総社市・赤磐市に渡って史跡や遺跡が広がっており、「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~として平成30年5月27日付にて文化庁より日本遺産に認定された。
06/11/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 福山城跡 新田義貞と足利尊氏の対立による南北朝時代の端緒となった備中福山合戦の地。麓には清音ふるさとふれあい広場や古墳群があり散策路も整備。山頂や途中の幸山城跡からは総社市内は勿論真備町方面、良く晴れた日には大山方面まで望むことが出来る。
06/09/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 主な庭園 備中総社宮 国道180号線沿い、jr東総社駅付近の家屋が密集した市街地の中、松が沢山植わったいかにも神社が有りそうな所を通過する。これが総社宮で備中国の祭神324柱を合祀した社。道路脇に総社宮駐車場の案内板があるのでそれに従って入れば良い。
06/08/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 吉備路ー鬼城山よりー 桃太郎伝説の鬼「温羅」の砦、標高397mの「鬼城山」は、古代山城跡としての魅力に加え、眼下の雄大な吉備の国の景色も楽しむことができる。吉備路めぐりをする前と後に後にこの地から眺めれば吉備路についての理解をより深める事が出来る。
06/08/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 博物館・資料館 鬼ノ城山 「鬼ノ城」は、桃太郎伝説の鬼、温羅が砦としていた「古代朝鮮式山城」で現在も3kmに及ぶ石塁が残っている。駐車場に車を置き、城壁跡に沿う遊歩道を歩くと、遺跡や眼下の雄大な風景を見ながら散策を楽しむことができる。
06/06/2016 / 最終更新日時 : 06/12/2018 桃太郎 史跡 秦廃寺 高梁川の右岸、総社秦地区にある飛鳥時代に創建された岡山県最古の寺院で秦氏の氏寺とも云われている。心礎が残っているのみであるが、様々の調査結果や歴史書を読みながら当時のこの秦の地の様子を想像するのも楽しいもの。
06/05/2016 / 最終更新日時 : 07/22/2020 桃太郎 史跡 鷹ノ巣城跡 羽柴秀吉の備中高松城水攻めに対して、小早川隆景が陣を構えたと言われる鷹ノ巣城跡からの眺望は本当に素晴らしい。備中高松城水攻め関係地全域は勿論、吉備の国の中心部とされる吉備の中山から総社方面にかけての吉備路全体を眺めるのにも最適。
06/05/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 赤井堂地区ー日畑廃寺ー 庄新町の団地のある王墓山の北東側にまわると古くからの吉備の国の農村の雰囲気をそのままに残した日畑集落がある。そして王墓山の北東麓、集落との間には広大な寺院跡が残されている。王墓山古墳を造った子孫たちの建立した寺院跡といわれている。
06/04/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 王墓山地区ー王墓山古墳ー 倉敷市の東端、足守川の右岸、庄新町団地のある小高い丘の南部に位置する古墳群が、王墓の丘史跡公園王墓山地区。北端にある王墓山古墳を主として四つの古墳群からなっており、公園内には現在25基の古墳が残されている。
06/04/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 王墓の丘史跡公園 倉敷市の東端、足守川右岸の小高い丘に沿って大きな団地がある。この庄新町団地のある丘が王墓山丘陵で、楯築遺跡・王墓山古墳・日畑廃寺などの史跡のほか、総数60基にものぼる古墳が残されており、王墓の丘史跡公園として整備されている。
06/03/2016 / 最終更新日時 : 01/21/2020 桃太郎 史跡 楯築遺跡 吉備津神社の西方、足守川の西岸の丘の上に築かれた弥生時代末期の墳丘墓。石の楯の様なものが円形に並んでいる事から、吉備津彦の命が、鬼ノ城の温羅退治をするにあたって、この丘に防衛のための石の楯を築いたという伝説(温羅穿設=桃太郎伝説)もある。
06/03/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 日本遺産構成文化財 鯉喰神社 矢喰神社から鯉喰神社まで血吸川と足守川沿いに歩いてみた、約40分。庚申山、吉備の中山、日差山、、造山古墳、鬼城山、竜王山などを周囲に眺め、吉備津彦命と温羅の戦いや備中高松城水攻めなどを想像しながら歩くのも楽しいものだ。
06/01/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 神社 白山神社・温羅首塚 岡山市街から岡山空港、津山方面に伸びる国道53号線の西側にある坊主山の麓には「首部」と書いて「こうべ」と呼ぶ珍しい名前の集落があり、そこに祀られている白山神社の境内には「首塚」が地元の人たちによって大切に保存されている。
06/01/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 日本遺産構成文化財 矢喰の岩 吉備路のほぼ中央部、血吸川沿いの田んぼの中にある桃太郎ゆかりの岩。すぐ横は岡山自動車道岡山総社IC。「吉備の中山に陣取る吉備津彦命が射た矢と鬼の城に居た温羅が投げた岩とが空中でかみ合い落下した」といういわれをもっている。
05/30/2016 / 最終更新日時 : 10/09/2020 桃太郎 史跡 造山古墳 造山古墳は、長径350m~360mの前方後円墳。履中天皇陵に次いで全国第4位の規模を持ち、上・中・下の三段の墳丘をつくり、埴輪円筒列をめぐらせてあった。付近の6基の小古墳と共に国の史跡に指定されている。6基のうち千足古墳の石室には、直弧紋様の装飾彫刻を施した槨障がある。
05/29/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 雪舟誕生地碑 雪舟誕生の地碑は、岡山自動車道の岡山総社IC近くの赤浜にある。赤浜は岡山に伝わる桃太郎伝説の中心地矢喰岩近くで、矢喰岩は鬼が住んでいたと伝わる鬼ノ城と鬼退治をした桃太郎(吉備津彦命)が祀られている吉備津神社との中間付近にある。
05/29/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 国指定重要文化財 備中国分寺 五重塔 備中国分寺五重塔は、なだらかな松林を背景にした田園風景の中に、備中国分寺と共にいにしえの姿をそのままとどめており、四季折々の周囲の変化に応じた美しい姿を私達に見せてくれ、吉備路のシンボルとなっている。
05/29/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 史跡 作山古墳 備中国分寺の西方に県下第2位、国内第9位の作山古墳がある。一見この付近に多く見られる丘陵と変わらないので注意しないと見落とす。造山古墳同様立ち入ることがでる古墳。墳丘の東・南方向には農村集落があり、西方に駐車場がある。
05/28/2016 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 総社吉備路文化館 吉備路を代表する備中国分寺のある付近、なだらかな松林を背景にした田園風景の中に五重塔が建つ吉備路風土記の丘と呼ばれている丘の上、備中国分寺と備中国分尼寺の間、松林の一角に社吉備路文化館がある。
05/28/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 井山宝福寺 高梁川が大きく迂回した所、秋葉山のふもとにあるこの臨済宗東福寺派の禅寺は、画聖雪舟が幼い頃この寺で修行してねずみの絵を描いたエピソードで有名。妻側に入口のある妻入りの庫裡と朱色優美な姿の三重塔が印象的。
05/26/2016 / 最終更新日時 : 06/14/2018 桃太郎 史跡 湛井十二ヶ郷用水 国道180号線より宝福寺へ入る道路から高梁川方面を見ると真横に大きな井堰が見える。この井堰は平安時代末期の平氏の武将妹尾太郎兼康により改修されたと伝えられており十二箇郷六十八ヶ村(現三市)の約5,000haの田畑を潤してきた。
05/25/2016 / 最終更新日時 : 05/28/2018 桃太郎 史跡 こうもり塚古墳 自然の丘陵を利用して造られた全長約100mの前方後円墳。後円部にある横穴式石室は巨石を用いた全長19.5mに及ぶ巨大なもので、中には家形石棺が安置されている。築造年代は6世紀後半。吉備路風土記の丘の一角にあり散策には最適。
05/25/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 備中国分寺跡 聖武天皇の発願によって全国に創建された国分寺の一つである。建物は南北朝時代に焼失したと伝えられ、現在の建物は江戸時代中期以降に再建された。境内にそびえる五重塔は県内唯一のもので吉備路の代表的な景観となっている。
05/24/2016 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 史跡 吉備の中山 備津神社や吉備津彦神社の背後には、古くから吉備の中心に位置し、人々から崇められていた吉備の中山がある。歴史や自然に興味の或る方は、健康作りも兼ねて吉備の中山を散策することをお勧め。数多くの桃太郎伝説が残る吉備の歴史や自然をより深く理解するよい機会となるでしょう。
05/23/2016 / 最終更新日時 : 04/17/2021 桃太郎 仏閣ー寺院ー 鼻ぐり塚ー福田海(ふくでんかい)ー 吉備津神社と吉備津彦神社を結ぶ、吉備の中山の山裾沿いの道を通っていると鼻ぐり塚ー福田海ーと書いた見慣れない案内表示に出会う。ここでは牛の鼻ぐりを集めて家畜の供養や蓄魂祭を営んでいる。近くには平清盛の怒りを買ってこの地に流された藤原成親の遺跡も。
05/23/2016 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 史跡 藤原成親遺跡 大納言藤原成親は、僧俊寛らと共に平家打倒を誓った”鹿ヶ谷”の密議が露見、平清盛により治承元(1177)年下津井に流され、後吉備の中山有木の別所に移されこの地で非業の最後を遂げた。高麗寺の山門跡の礎石や成親の墓などが残っている。
05/22/2016 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 岡山県古代吉備文化財センター 古代吉備の国の時代、人々から崇められてきた「吉備の中山」の中腹にある埋蔵文化財の保存、展示施設で古代吉備の遺跡を中心に、百間川、鬼城山など岡山県内から出土した土器や石器を展示して写真やパネルで説明をしている。
05/22/2016 / 最終更新日時 : 04/20/2021 桃太郎 史跡 中山茶臼山古墳 古代吉備の国の時代、人々から崇められてきた「吉備の中山」の山頂付近にある全長120m程の中山茶臼山古墳は、4世紀初頭の築造で四道将軍として大和から派遣され吉備の国を治めた大吉備津彦命の墓と呼ばれる前方後円墳。
05/22/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 一乗寺 最上稲荷から奥之院参道を登って行くと、竜王山山頂にある、最上稲荷の奥の院に達する。ここには、麓の最上稲荷に比べ訪れる人も少なく、ひっそりとしていて訪れるたびに四季の変化を身近に感じることが出来る。
05/21/2016 / 最終更新日時 : 10/11/2020 桃太郎 仏閣ー寺院ー 日本三大稲荷 最上稲荷教総本山 妙教寺 最上稲荷教総本山 妙教寺は、約1,200年前に報恩大師が創建した日本三大稲荷の一つで神仏混合の姿を今も残し、五穀豊穣・商売繁盛の神として全国から幅広い善男善女の信仰を集めている。奥之院への参道は季節の変化を感じることが出来、見晴らしも良いお勧めの散歩道。
05/19/2016 / 最終更新日時 : 04/17/2021 桃太郎 史跡 備中高松城水攻めの舞台ー備中高松城跡ー 備中高松城水攻めは、今から約400年前の天正10年(1582年)、織田信長より毛利攻略の命を受けた羽柴秀吉が備中国南東部に侵入、毛利方の諸城を次々と攻略すると共に、3万の大軍をもって備中高松城を攻めるに当たって行った奇策。
05/17/2016 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 主な庭園 吉備津彦神社 岡山市中心部より国道180号線を西進すると古代「吉備の国」で神体山として崇められた「吉備の中山」の北東麓にさしかかる。ここに鎮座し備前の一宮として信仰を集める神社には吉備国草創の伝説上の英雄吉備津彦命が祀られている。現在の本殿は1697年(元禄10年)、岡山藩主池田綱政による再建。
05/14/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 栄西禅師生誕地 臨済宗の開祖として、また中国から日本に茶の種を持ち帰り茶を広めた茶祖として仰がれる鎌倉時代の高僧栄西禅師は、吉備津神社の神官賀陽氏の出。吉備津神社から徒歩で5分程の栄西禅師生誕地とされる所に2014年3月庭園が整備された。
05/14/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 妹尾太郎兼康公墓 妹尾太郎兼康公は備中妹尾の豪族で平氏の家人として数多くの武功をたてると共に農業にも深く意を注ぎ領内においては新田を開発し嘉永元年には十二ヶ郷用水の取水口である湛井井堰を開設するとともに、用水路の整備をしたとされている。
05/13/2016 / 最終更新日時 : 04/22/2021 桃太郎 国宝 吉備津神社ー備中 吉備津宮ー 吉備の中山の麓に建つ吉備津神社は、崇神天皇の御代に四道将軍として吉備国に派遣された吉備津彦命ー桃太郎の温羅(鬼)退治(=桃太郎伝説)の主人公ーを祭神とし古くから吉備地方の総氏神として崇敬されている。境内では春にはぼたん、初夏にはあじさいが咲き誇り多くの人々が訪れる。本殿と拝殿は国宝。
05/12/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 体験型観光施設 足守プラザ 足守の町並み保存地区の南西のはずれにある、陶芸や木工の体験が可能な観光施設。併設してレストランやギャラリー、駐車場もあるのでゆったりと過ごすことが出来る。大きな「くすの木」と「洪庵茶屋」と書かれたなまこ壁の食事処が目印。
05/12/2016 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 備中足守まちなみ館 足守の町並み保存地区を南西に向かって歩いていくと右手に「備中足守まちなみ館」と書かれた、白壁になまこ壁が印象的な町家が見えてくる。ボランティアガイドの方が出てきて丁寧に展示物や足守の町並みについての説明を受けることが出来た。
05/12/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 緒方洪庵誕生地 江戸時代末期に蘭学者として天下に名をはせた緒方洪庵(1810~1863)の誕生地。現在は銅像、顕彰碑の建てられた宅地と古井戸が残っているのみ。足守の町並み保存地区から足守川の大井橋を渡って細い路地を越えた先の山裾にある。
05/12/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 仏閣ー寺院ー 乗典寺 足守観光駐車場に車を止めて足守の町並み保存地区を歩いていくと、備中足守まちなみ館が目に入るがこの建物のすぐ隣にあるのが乗典寺。緒方洪庵ゆかりの寺ののぼりが立っているので分かり易い。洪庵の両親や先祖の墓が後の墓地に。
05/12/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 大光寺 近水園から少し離れた山麓にある足守藩主木下家の菩提寺で、藩主の遺筆など貴重な資料も数多く納められ、御霊屋(みたまや)には秀吉、北の政所そして木下家代々藩主の位牌が安置され、足守の歴史を見つける事の出来る由緒ある寺院。
05/11/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 旧足守藩木下家陣屋跡 足守侍屋敷から足守小学校横の利玄道を通って、近水園に行く時左側に芝生の公園がある。何もないので見過ごしがちだがこれが、旧足守藩の陣屋跡。良く見ると周囲が濠で囲まれておりまた利玄生家ともかってはつながっていたとの説明もある。
05/11/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 木下利玄生家 旧侍屋敷から近水園に行く途中、利玄通りに入ると左側の広い空地(足守陣屋跡)に続いて利玄生家の長屋門が見えてくる。利玄生家は週末と祝日など限定された日にしか公開されないが嘉永年間に建てられた時の様相が良好に残されている。
05/10/2016 / 最終更新日時 : 03/13/2018 桃太郎 主な庭園 近水園ー吟風閣ー 足守の町並みの北、宮路山の麓、足守川の右岸にある旧足守藩主木下家の庭園。広い泉池に鶴島、亀島をうかべ園内にはカエデやサクラが多い。吟風閣は6代藩主が宝永5年、京都の仙洞御所を造営した際、残材を運んで建築したと言われる。
05/10/2016 / 最終更新日時 : 03/18/2018 桃太郎 県指定重要文化財 旧足守藩侍屋敷遺構 市営足守駐車場から近水園に行く途中に,白壁の長屋門と土塀に囲まれた木下家家老 杉原家旧邸宅がある。長屋門、母屋、内蔵、便所・湯殿、外蔵からなり、母屋は伝統的な武家書院造りの構造を持ち、今日の和風住宅の原型とも言われている。
05/09/2016 / 最終更新日時 : 03/14/2018 桃太郎 博物館・資料館 藤田千年治邸 足守の町並み保存地区のほぼ中央にある、足守の商家の姿を良く残した貴重な建物。機械化、自動化されている現在の醤油製造工程とは違い、醤油仕込み桶や醤油搾り機等当時の醤油製造の様子を知るには分かり易く興味深く学ぶことが出来る。
05/08/2016 / 最終更新日時 : 03/17/2018 桃太郎 町並み保存地区 町並み保存地区ー足守ー 慶長6(1601)年に秀吉の正室「ねね」の実兄木下家定が25,000石の足守藩を収めたのに始まる足守の町は一時天領となったが元和元(1615)年家定の子利房が藩主となって以降、明治の廃藩置県まで256年間木下氏の陣屋町として栄えた。今もかっての建築様式を伝える武家屋敷や商家が数多く残り町並み保存地区に指定されている。
05/07/2016 / 最終更新日時 : 03/15/2018 桃太郎 史跡 吉備大臣産湯の井戸 矢掛町の東端に近い所、旧山陽道(現国道486号線)の北側、吉備真備公の居館跡と伝わる地に造られた吉備真備公園の南西の隅、一段低い所に井戸がある。この井戸が吉備真備公が産湯を使った井戸と言われている。