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楯築遺跡

楯築遺跡

国指定史跡 楯築弥生墳丘墓(たてつきやよいふんきゅうぼ) 昭和56年12月9日指定
楯築弥生墳丘墓は、径約50mの主墳を中に二つの突出部を備えた弥生時代後期の墓で、現存全長約72mの大きさをもつ。
1976年から1986年まで前後6回に亘る発掘が岡山大学文学部考古学研究室を中心に行われた。
二つの突出部は団地造成工事の犠牲となり、北東突出部は法面の、南西突出部は給水塔の工事で大きく破壊されたが、これまでの発掘によってそこには石列が並び、飾られた丹塗りの壷形土器多数が置かれていたことが判明した。
いま主墳の頂には五個の巨石が、また斜面にも石列がみられる。これらには埋葬の霊域を守る役目をもつものであろうか。
また墳頂や斜面の一部には拳大の円礫が置かれている。
墳頂下に二つの埋葬が発見された。
中心部の地下約1.5mのあたりに発見された埋葬は、この墳丘墓の主人公のもので、棺の長さ約2m、幅約70cm、棺底には厚く朱(30kg以上)が敷かれていた。
骨はすべて腐って無くなっていたが、歯の小さなかけらが二つみつかった。
副葬品は鉄剣一、首飾り二、多数の小管玉とガラス小玉の集り一である。この棺は外箱つまり槨(かく)の中に入れられていた。
棺も槨も木製であったが、腐っていく過程で土と入れ替わった痕跡から構造の追及が行われた。
槨の長さ3.5m、幅1.5m、底板は少なくとも二枚で、その下方には横木数本の痕がみられた。
槨の南東には、溝を掘り石をつめた排水施設がつくられていた。
また、埋葬の祭りに使われたさまざまな道具を壊して、円礫多数とともに埋葬箇所の上方に積みあげていたことも判明した。
その中には、もと楯築神社伝世のご神体(収蔵庫にあり)とよく似た弧帯石(こたいせき)、人形土製品、大形華麗な特殊器台形土器、高坏、土製の勾玉・管玉などがある。
もうひとつの埋葬は、中心埋葬の南東約9mで発見され、木棺の痕跡がみとめられたが、副葬品はなく、朱も微量にとどまった。
      1987年5月吉日  岡山大学教授 近藤義郎 記 倉敷市教育委員会 (現地案内板より)
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