富山城跡

富山城跡

岡山市街の西、万成石で有名な標高131.3mの矢坂山上にある連郭式の中世山城。ここからは、岡山市街主要部のほとんどと倉敷、玉野方面が一望の下に見ることができる。健康づくりのための散策にも最適。遠景の山の頂や町の建物、道路を見ながら行ったことのある場所との関係を考えていると面白く、眺めていて飽きない。

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名称  富山城跡(とみやまじょうあと)
所在地  〒700-0074 岡山市北区矢坂東町1
TEL  ー
歴史 仁和元(885)年に富山重興が築城。

応仁元(1467)年、松田元隆により攻められ当時の城主富山長頼は自害、
富山氏は滅亡。

文明15(1483)年元隆の子元成は、弟親秀にこの城を譲り金川城に移った。

親秀没後は、松田氏の重臣、横井土佐守が居城。

その後、松田氏の治める金川城は、永禄11(1568)年浦上宗景の傘下の
宇喜多直家により落城、金川城主元賢は討ち取られた。

その時同時に富山城も落城し、丁度金川城に行っていた当時の富山城主松田元脩
(元賢の弟)は備中へ逃げ伸びた。

富山城では、宇喜多直家の弟忠家が城主となり西の丸、東出丸を築き城を拡張。

慶長4(1599)年宇喜多家中で内紛が起こると、忠家の子で城主であった宇喜多詮家
(後の坂崎直盛)は城を捨て大坂に出奔。

関ヶ原の戦いで宇喜多氏は東軍に敗れたため、岡山には小早川秋秀が入封、その直後、
慶長6(1601)年廃城となった。

岡山城の石山門はここ富山城の大手門を移築したものであると伝えられていたが
第二次世界大戦による岡山空襲で焼失してしまった。

古代には、吉備津彦命が山陽道に派遣された時陣を構えたとの伝承があるとのこと。

以上はWikipediaを参考に作成

魚見台はその名の通り、魚を探すための見張り台、戦国時代以前にはここから見える
市街地のほとんどは、瀬戸の穴海と呼ばれる自然豊かな海であった。

宇喜多の時代よりこの瀬戸の穴海の干拓が始まり、江戸時代から昭和時代まで続いて
きた。

特色  大野幼稚園の園児もよく登っているのか、道案内も大野幼稚園の先生方が作られている様子。

採石場が近く、一部散策路脇が絶壁になっていて危険な個所もあるので注意が必要。

交通  JR岡山駅より車で約10分、徒歩約30分、

JR吉備線大安寺駅より徒歩約40分、

山陽自動車道岡山ICより車で約15分、徒歩約30分

駐車場  ー
太然寺

太然寺

太然寺

奈良時代、南都五大寺の一つ大安寺の荘園を管理するための支院として創建されたのが始まり。室町時代初頭に、岩根山太然寺という禅宗寺院となり、戦国時代の永禄4(1561)年、備前国守護の松田一族により日蓮宗に改宗されている。

魚見台ー矢坂山ー

魚見台

魚見台

魚見台はその名の通り、魚を探すための見張り台。かって、ここから見える市街地のほとんどは、瀬戸の穴海と呼ばれる自然豊かな海であった。戦国時代末頃よりこの瀬戸の穴海の干拓が始まり、昭和時代まで続いてきた。

松山長昌寺地蔵石仏

松山長昌寺地蔵石仏

松山長昌寺地蔵石仏

この石仏は本来この近くの崖の上部に彫ってあった磨崖仏であったが、天保7(1836)年地震で転落して横倒しになっていたのを、幕末(1850年頃)に地元の人々が引き起こして現在のようになったといわれる。

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