宇喜多堤
今から約420年前、宇喜多秀家の命により、岡豊前守と千原九右衛門らの指揮のもと築かれた宇喜多堤。(現県道152号 岡山ー倉敷線)そのきっかけは、どうも織田信長の家臣、豊臣秀吉による高松城水攻めの時の二人の築堤技術にあったようです。
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戦国時代末期、戦国大名宇喜多秀家が児島湾干拓の端緒を開いた所。秀家はここ多聞ヶ鼻を起点として倉敷の向山の宮崎へ至る堤と、酒津から向山に至る堤を築くことを命じて早島と向山周辺に広大な大地を生み出し、以後400年にわたる児島湾干拓が始まった。
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宇喜多堤について取材をしていて、宇喜多堤起点の地が早島の龍神社境内に造られているとの情報を得たことから訪問。駐車場が見つからないのでグーグルマップを見ていた所、県道152号線の龍神社前が少し広くなっているのに気付いたので此処を利用して駐車。
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名称 | 宇喜多堤ー早島ー |
所在地 | 早島町県道152号線 |
TEL | 086-482-0615 早島町観光協会 |
概要 | (上より)その堤は、早島から向山を経由して倉敷の酒津まで伸び、早島から倉敷東部にかけて広大な 大地を生み出し、その後も、昭和34年(1959)の児島湾締め切り堤防の完成まで、干拓事業が 続けられてきたとのこと。(宇喜多堤築堤420周年記念事業のカタログを参考に作成) |
交通 | 瀬戸中央自動車道早島ICより車で約5分 |
駐車場 | ー |
宇喜多堤は宇喜多秀家の命によって早島の南側から向山の東麓に、向山の西麓から酒津に向けて築かれ、以後、吉備の穴海そして児島湾干拓による岡山平野誕生のきっかけとなった。
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