温羅伝説 ー桃太郎伝説 の生まれたまち おかやまー
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~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~
吉備津宮縁起には「桃太郎の鬼退治」の基になったと言われる温羅伝説がある。出てくる人物、地名、動物などは多くが物語として分かり易くしたのだろうが、ゆかりの地を結んでみると当時の地域や戦闘の様子を様々を種々想像することが出来て楽しい。
この温羅伝説は、倉敷市・岡山市・総社市・赤磐市に渡って史跡や遺跡が広がっており、「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~として平成30年5月27日付にて文化庁より日本遺産に認定された。
~桃太郎の鬼退治の物語~
吉備津宮縁起には、おとぎ話の「桃太郎の鬼退治」の基になったと言われる温羅伝説がある。第10代の宗神天皇の頃、百済の王子と称する温羅(うら)という鬼が住んでいた。
両眼は大きくて毛髪は赤く、大きな身の丈で腕力は強くて、新山(にいやま)造った鬼ノ城を拠点に、西国から京への貢物を略奪したり、里の人民に危害を加えるなど悪事の限りを働いていた。
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吉備の人々が、この窮状を都に訴えたため、天皇は、温羅征伐のため、孝霊天皇の子で四道将軍(よつのみちのいくさのきみ)の一人・吉備津彦命(きびつひこのみこと)を派遣した。
彦命は兵数千を率いて、東の方吉備の中山に陣(現在の吉備津神社の付近)を構え、西の方は、日畑西山(稲荷山)に石の楯(楯築(たてつき)遺跡)を築き甲兵を引きい、鬼ノ城の温羅と戦った。
吉備津彦命の射た矢は、空中で温羅の投げる岩に食い込まれて落ちてしまい勝負が決まらない(その岩の落ちた所が矢喰宮)。
そこで、吉備津彦命は二本の矢を同時につがえて放つと、一本は温羅の左眼に命中した(その血が流れて川となったのが血吸川、下流の赤く染まった浜が赤浜)、もう一本は岩に喰い込んで下に落ちた。
温羅は雉となって山中に隠れたが、彦命は鷹になって雉を追った。
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次に、温羅は鯉の姿に化けて川を逃げ下った。
すると吉備津彦命は、鵜となって温羅を追い鯉をついばんで退治した(鯉喰神社)と言われている。
温羅の首は、首部の地(現在の白山神社)にで晒されたが、一晩中うなり声を上げて止むことはなかった。そこで吉備津彦命は、吉備津宮の御釜殿の竈の地中に埋めた。
それでも温羅の首のうなり声は何年も鳴り止まず周辺に鳴り響いた。
ある夜、吉備津彦命の夢に温羅が現れ、温羅の妻阿曽媛に御釜殿の神饌を炊かせるよう告げた。吉備津神社の鳴釜神事の始まりである。その後うなり声は鎮まり、釜の鳴る音で吉凶を占うという神秘な神事は今も続けられている。
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構成文化財 | 鬼城山(鬼ノ城)、鬼の釜、楯築遺跡、楯築神社の旋帯文石、矢置岩と矢立ての神事、 矢喰宮、鯉喰神社(鯉喰神社遺跡)、血吸川、吉備津宮勧進帳、備中国大吉備津宮略記、 吉備の中山、吉備津神社、吉備津神社御釜殿、鳴釜神事、吉備津神社境内古図、 吉備津神社の鬼面、吉備津彦神社、特殊器台、造山古墳、作山古墳、両宮山古墳、 こうもり塚古墳、牟佐大塚古墳、箭田大塚古墳、上東遺跡出土の桃の種、岡山の桃、 きびだんご |
その他、関連神社など | 阿宗神社ー温羅の妻、阿曽媛が奉仕していたと伝わる神社ー、
白山神社ー吉備津彦命が成敗した温羅の首を晒したと伝わる地にある神社ー、 艮御崎神社ー桃太郎伝説の鬼ー温羅ーの胴体を祀ったとの伝説がある神社ー、 青陵神社ー温羅とその妻の首を石棺を造って鄭重に埋葬し直したといわれる地に建てられた神社ー、 皷神社ー吉備津彦命の后、高田姫命を祀った神社ー うらじゃーおかやま桃太郎まつりー |
、交通 | JR吉備線吉備津駅より徒歩約5分、
山陽自動車道岡山ICまたは岡山自動車道岡山総社ICより車約15分、 ゆかりの地は上の様に沢山あるのでここでは出発点として、吉備津神社の駐車場までを記載 |
駐車場 | 普通車400台、バス3台(吉備津神社の駐車場) |